2023年02月19日

(証し)統一教会入教、半世紀を越えて 「お父様は私の心をすべてご存知」



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「肩を寄せ合って夢に現れた真のお父様とイエス様」
と題した証しより

この方は、1970年に入教され、
1800双の祝福を受けた大先輩です。

長い信仰生活は、
毎日が父母様と共にある
証しの連続であり、
語り尽くせない内容があるかと思います。


仕事の昼休みになると、世田谷聖書教会のかたが
集会のチラシを配りに来て、
私はその集会に参加したのがきっかけで
中村信一牧師のいる教会に通うようになりました。

私は、中村牧師から洗礼を受けると、
クリスチャンになったという責任と自覚が芽生え、
今までと同じではいけないと思い、
朝、職場に行く前に近くの公園で
聖書を読んでから出勤するようにしました。

一九六九年頃、統一教会には宗教部という部署がありました。
中村牧師は宗教部のかたと交流を深め、
朝食祈祷会に誘われて参加するようになりました。

そこには松本道子先生も来られていて、
とても親しく話しかけてくださったそうです。

それから中村牧師は「原理」を学びに統一教会へと通い、
帰ってくると
「統一教会の青年たちは清いなあ」と言っていました。


この頃、私は統一教会に対し
良いイメージを持っていませんでした。

「男性も女性も同じ屋根の下で共同生活を
しているなんて、変な人たち」
「講義後のお祈りが、
『イエス・キリストの御名を通して……』ではなく、
『真の父母様の御名により……』と祈るなんて、
変わった人たち」と思っていたのです。

その一方で、家に帰ると何か気になるのです。
そのたびに祈りました。


そんなある日、
「死体のあるところには、はげたかが集まる」(マタイ二四・28)
という聖句が目に止まり、
何かピンと来るものがありました。

「死体がある所にハゲタカが集まるように、
光(=統一教会)がある所に
人は集まるのではないか」と逆説的に考えさせられ、
「原理」を聴いてみようと思ったのです。

そして牧師に勧められていた一九六九年十二月二十九日から
翌年一月一日の青年を対象にした四日修練会に、
中村牧師の夫人と共に参加しました。
 

イエス論の中で、イエス様が十字架にかかって
殺されるときの話を聴いたとき、
突然、頭がものすごく痛くなって
どうしようもなくなったのです。

そして、泣けて泣けて、
この講義が終わるまでずっと泣いていました。
 
私はこの四日間で、「原理」に脱帽しました。


そしてすぐに「悔い改めの断食をしなければならない」
と感じ、四十時間断食を始めたのです。

断食が終わると久保木修己会長(当時)から
「七日断食というものもあるんだよ」と伺い、
すぐに七日断食を始めました。
 
献身したとき、宗教部の配属を受けましたが、
お世話になった中村牧師がアベルでは
良くないと思い、久保木会長に
「私を地方に行かせてください」と願い出たのです。

久保木会長は「それでは、
四十日くらい名古屋に行ってきたらいいね。
名古屋には神山先生夫妻がいらっしゃる。
お二人ともクリスチャンの背景もあるし」
と言われ、名古屋に向かいました。

結局、名古屋で七年間歩みました。


名古屋教会では、とにかく伝道伝道の日々でした。
皆、熱心に活動するのですが、
私は積極的な性格でもないため、
初めは実績も良くありませんでした。

天の願いに応えられないので泣きました。
すると、その晩、真のお父様の夢を見たのです。

夜空の中に、さらに円形のブルーの空ができていて、
それを見上げている私がいました。
円形の中ではかわるがわる影絵が現れ、
それを見ながら楽しんでいました。

そうしていると、
その円の中に肩を寄せ合って座っていらっしゃる
真のお父様とイエス様が現れたのです。

くっきりとしてはいませんでしたが、
それがお父様とイエス様であるとはっきり分かるのです。

それで私は、
「ああー、お父様とイエス様は霊界でも一緒なのだな」
と思いました。
    

一九七一年一月頃、韓国での修練会に参加しました。
献身的に歩んで半年ほどの私を神山教会長が
「あなたが行ったらいいね」と送ってくださったのです。

修練会の途中、お父様は兄弟姉妹の座っているところを、
中央から縦横に分けられ、
十字路のような道(アボジロード)をつくられました。
私はその十字路から二人目の位置に座っていました。

すると、お父様はその道を歩かれながら私の前に止まって、
そのままお座りになると私にお菓子と飴を下さったのです。
このときの私は、何が起きたのかよく分からないまま、
ただ感謝で頂いたように記憶しています。


こうして初めてお父様にお会いしてから程なく、
韓国で再びお父様にお会いする機会を得ました。
会場に多くの食口が集う中、お父様はみ言を語られました。

私は、み言を聴く傍ら、こんなことを考えていたのです。
「私は、幼いとき父が戦死したので父の記憶がない。
だから父親の気持ちも分からない。
そんな私が、お父様のことを本当の『父』と思えるだろうか」

そう思った瞬間、
お父様が私の横に突然立たれて私を見下ろしながら、
勢いよく何かを語られたのです。

何と語られたのか全く分かりませんでしたが、
そのお姿に「お父様というおかたは、
父の愛を知りたい≠ニいう
私の心を全てご存じなのだなあ」と思ったのです。


一九九四年三月、
十六万人の女性修練会に参加するため
渡韓したときのことです。

お父様はみ言を語られながらアボジロードを歩かれ、
その通り沿いから二列目にいた私の前に立たれると
身を屈がめて
「こういうこともいいんだね」とおっしゃりながら、
私の左胸の辺りにさっと触れられたのです。

お父様のみ言が終わると、
私の周りに姉妹たちが駆け寄ってきて、
そのときのようすを尋ねてきました。

あるお姉さんは私に、
「以前も、お父様が役事して
くださったことがあったから役事ですよ」
と言われました。

そういえば、昔、名古屋にいたとき、
占い師から
「あなたは年を取ったら
必ず心臓の病気にかかります」
とびしっと言われたことがありました。

実際、小さいときから湯上がりは心臓がドキドキしていたり、
トラックを一周すると息切れが激しくて苦しかったのです。

しかし名古屋にいた時は、
健康で歩めたので気にもしていませんでした。

今、七十歳になりますが、
何の病気も患うことなく過ごすことができています。


真のお父様は、再臨主であり、
救世主であり、メシヤであられます。

全てに相当するのですが、私の場合は「再臨のキリスト」
とイメージすると心情がストレートに流れます。
クリスチャンが「イエス・キリスト」として崇めるように
畏れ多いおかたがお父様です。

クリスチャンのときは、
毎日罪の悔い改めの祈りをしていましたが、
再臨主に出会うことによって霊肉共の救いの道を見つけ、
再び救われた思いでした。

今まで聖書を読むと、一言、一言が
神様のメッセージとして力を与えてくれましたが、
統一原理の中の復帰原理を語るたびに、
歴史の中で「わが子よ、帰れ!」と懇願されてきた
神様の声が聞こえるのです。

一部編集、抜粋 文責:ten1ko2


人を導かれる時、神様は
誰もがその人にふさわしく
導かれていくのですね。

ですから、伝道された時の証しは
神様がその人を導いた証です。
だから、感動するし、
恩恵を受けるのでしょう。

この方はクリスチャンでありましたので、
統一教会に対する悪いイメージがありました。

しかしその思いを率直に祈っていかれ、
「死体のあるところには、はげたかが集まる」ように、
統一教会には真理の光があるのではと、
原理を聞くようになりました。

そして、歩み始めてからも
様々なお父様との出会いを
経験されています。

「父の記憶のない私が、お父様を父と思えるだろうか」
という思いをもっておられましたが、
お父様との出会いによって
癒されていきます。

まさに「求めよ。そうすれば与えられるであろう」
そんな聖句のごとくの歩みだと思います。




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この記事へのコメント
いいかい。迫害されることはよいことだね。おめでとうございます。食口を見てると、食虫植物、寄生虫みたいに思えるのだが反論を期待してるよ。信仰者であるほど追い出され。左遷されるこれは日本の企業。組織の悪習慣だけどね。私はブロック本部に逃がしていただいたので前回の時中四国を守り切りましたが。故郷に帰るとき騙されて左遷追い出されたよ。今はくっ付いてて入るが煙たがられています。本気で変わる気気ないなら分派を作ってもやる必要があるかもしれませんね。本気で改革しないことは家庭部長が宣言してくれましたよ。有田でさえ下関は統一教会の聖地だと祝福してるのに、最悪の家庭部長です。天宙が変わっても私たちにはんたいするでしょうね。優しく書いたので誤解内容にお願いします。
Posted by 吉村重朗 at 2023年05月18日 14:20
なぜ信仰を続けるのか真のお父様が食口を信頼してるからです。どんなに離れた兄弟でも3秒合えば兄弟として家族になるのです。それが天国の窓口なのです。真のお父様が信頼するといってるのに見放されませんね。神様はそのように創造されたからです。皆様神風に乗って天国送検しましょう。ただ家庭部長を除く連帯罪です
Posted by 吉村重朗 at 2023年05月18日 14:29
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