2023年02月20日

これが家族なんだ・・・! 弟のピンチに家族が結束 《自己牧会プログラム》



210805-2021.07.jpg


自己牧会プログラム。
今回は、「弟のピンチ、そのとき家族は」です。


(祝福二世・男性 20代)

私が幼い頃から苦しんできたのは、
両親がけんかする姿でした。

自己牧会プログラムを学んでからは、
平和と平安をずっと求めてきたことを
強く自覚するようになり、そんな本当の願いを
両親になかなか言えずにきた私であることも
認識できるようになりました。

以来、そのような親との関係で
傷ついてきた過去に対して光を送ってきました。

また、家族の本当の姿をイメージしながら、
家族に光を送り続けました。


ある日曜日の午後、家族が集合する機会がありました。
大学2年の弟が信仰的なピンチを迎えていたので、
その話し合いをするためでした。

午前中の日曜礼拝で、「一番苦しいときに
支え合えるのが祝福家庭の良さだ」
というメッセージを受け、まさにそのとおりだ
と思って、家族会議に臨みました。

家族会議では、両親が
「今までは支え合うべきときに支え合えなかった。
おまえたちに苦しい思いをさせてきてすまなかった。
再出発しよう」と初めて言ってくれました。

とてもうれしくて、神様を中心に
家族として新しいスタートラインに立てたように思いました。

 
この期間は、特に伝道を頑張ろうと
意識していた時期だったのですが、
弟のことで気持ちがずんと落ちたり、
親の言葉を聞いてうれしくなったりと、
心情の上下が激しく、
伝道に集中できたとは言えませんでした。

そのことについて、「こんな私だったよ。
安定した心で歩み切れなかったよ」
と良心に報告すると、
「それが家族なんだよ」という答えでした。

家族の上下に合わせて自分も動く──。
互いの喜びも悩みもわが事のように
感じ合う心情関係、
それが家族なんだと納得できました。

伝道においても、対象者には
家族に話しかけるように
対していったらいいのだと、
答えを与えられた気がしています。

私の心の中にいる神様 161
弟のピンチ、そのとき家族は
(Blessed Lifeより)


「光を送る」というのは、その人に感謝しながら
その人の良心に向かって、神様の愛の光を
送っていくイメージで、
祝福の祈りをしていくのだといいます。

つまりは、「祈り」ですが、
「光を送る」というのは、より祈りが具体的であり、
効果が絶大のような気がします。

ある対象のために
思いを馳せ、祈り続けるならば、
神の愛の光を送っていくならば、
必ず実りはあるのだな、と感じます。




にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)

posted by ten1ko2 at 08:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック