蝶野知徳(ちょうの とものり)本部家庭教育部長の
「精誠篇(せいせいへん)」です。
☆
感謝です。
お父様は、感謝の生活しておられますね。
【感謝で自分の思いを否定し
自分の内面を蕩減してゆく】精算していく。
我々は、これをやらずに動いてしまいやすいのです。
今まで通り、あるいはもっと
活動するべきかもしれませんけども、
我々が活動します。
その時、内面が不満なまま動く、
感謝できないまま動くのです。
感謝できなくてもいいんだけども、
内面を蕩減する条件も立てずに動いてしまいます。
信仰基台を、「羊を供えればいいんでしょ」
「実体基台できないじゃないですか」
ってこういうふうに不満があった。
そうではないのです。
私の内面をも立てて、それを持って、
実体基台に行くんですね。
だから、今まで原理でも、霊的堕落と肉的堕落
というように勉強してきましたけど、
本当は霊的堕落と霊肉の堕落なのです。
アダムとエバも二人とも霊肉両方あるから、
アダムとエバの堕落も、霊肉ですよ。
だから信仰基台と実体基台も、心を立てて
動くんじゃないんですね。
心を立てて、信仰基台も体動かすんじゃないんです。
信仰基台で心をつくって、その心で動くんですね。
簡単に言えば、信仰基台は、心であってますが、
実体基台は心と体なんです。
心を立てて、後動くだけよっていうのは、
これは、肉が動いてるだけです。
屍(しかばね)が動いてるというわけですね。
単なる動くタンパク質になってしまうんですね。
心を持った人が動くというのが実体基台。
なんでかというと、実体を問われているのが、
実体基台ですから。
☆
【信仰生活の本質は何でしょうか。
神様に感謝する心です。
そのような心があるとき、それが、
堕落の因縁を超えて神様と私が
一つの因縁で結ばれる基になるのです。】
1970.3.14
皆さん、今日はこの2行だけでも
十分かもしれません。
これは皆さんが知ってるみ言だと思うんですが、
この2行に、とんでもないことを書いているでしょう。
神様に感謝する心、そのような心があるとき、
それがこれ、「堕落の因縁を超える」っていうんですよ。
先祖の因縁とまったく関係のない立場で、
神様と私が一つの因縁で結ばれる出発、
基(もとい)、基点になるという事ですよ。
だから、瞬間、瞬間、神様に感謝して
生活しているということは、
堕落の因縁を超えるだけではなくて、
先祖がずーっと超えられなかった
不満とか悲しみを蕩減していっているんです。
先祖解怨とかまた別にやらないといけないですが。
肉体をもってそれを成長した人が
家系の中にいるんです、皆さん。
☆
【偶然起こったように見えることでも、
何かの因縁のゆえに起こったのだと考えるようにすれば、
自己を向上させることができる。】
【(略)何かの不運や事故にあった時も、
愚痴ばかり言っているのでなく、
何かの因縁のせいであろうと考えれば
それを通して向上する道が開けて来るかも知れない。
このように(考えて)見る時、
自己の身に何が起ころうとも不平を言う必要はない。】
【人生は蕩減の路程である。】
1990.11.4ベルベディア
☆
昔はね、これ聞いたときにすごい重たくなりましたねー。
『やっぱりそうかぁ』とね。
ところが今聞くとですね、すごい軽いんですよ、これ。
意味が分かると、桜の花が散るぐらい軽く見えます。
ピンク色に見えるんです私。
それぐらい完全自己否定と蕩減の道が
ものすごく嬉しくできる時代になりましたよ。
蕩減に嬉しいものなんて絶対ないんです、皆さん。
ないんですが、方向的にはそうできるようになってきた。
蝶野知徳・精誠篇2
父母による子女の家庭教育 精誠篇より
「内的蕩減と生活信仰」
摂理される私、実体基台のために
父母による子女の家庭教育 精誠篇より
「内的蕩減と生活信仰」
摂理される私、実体基台のために
☆
2018年に蝶野部長が広島の家庭教育部長だった頃
全国の教区から要請があり出張して語られた講義より
(文責:ten1ko2)
全国の教区から要請があり出張して語られた講義より
(文責:ten1ko2)
感謝する心を持つ。。。
私が思うに、感謝することができないような
そんな境遇に遭った時こそ、
感謝の思いを持てるようになれば、
何かの蕩減が立つのだ、ということです。
今与えられた境遇、環境は、
人間的に決められたことなのかもしれません。
しかし、それをどのように受け止めるかによって、
神様は摂理されるのだ、と思うのです。
「人生は蕩減の路程である」
蝶野部長は「ピンク色に見え」
「ものすごく嬉しくできる」と言われます。
「振り返れば、すべて愛だった」
こんな、実感のみ言があるように、
蕩減の渦中にいると
なかなかそのように思えないこともありますが、
精誠を尽くしつつ、そのような時代にあることを
感謝していきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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