2023年03月26日

人は何のために生きるのか── その究極の答えはズバリ… 《朴普熙先生》



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▲レーガン米国元大統領と大統領執務室で握手する朴普煕先生(左)


朴普熙(パク・ポーヒ)先生がかつて日本の
青年たちに語られたメッセージ。

Blessed Lifeに掲載されていますが、
『青年よ行け、そして世界を救え
(21世紀の青年運動への提言)』より
抜粋して紹介します。

人は何のために生きるのか?

尊敬する日本の皆様。
 
特に、青年、学生の皆様。
本日、この希望の日青年大会にこのような
満場の盛況を博してくださいまして、
誠にありがとうございます。

私は今日、尊敬する皆様の前に立つことを、
特に未来を担う青年、学生の皆様に語ることを
無上の喜びと思うものでございます。

若い皆様の前に立ちますと、私も
何となく、若くなるような気がいたします。


青年、学生の皆様。
私たちは、どこから来て、どこへ行くのですか?
人は何のために生きるのですか?

人は必ず人生に何回か、
このことを考えるのでございます。

歴史上において哲学者や宗教家たちが、
様々なアプローチで、
この問題に取り組んできたのであります。

ところが、統一教会の創始者、レバレンド・
サン・ミョン・ムーンの「統一原理」が現れるまでは、
これに対する、はっきりした解答がありませんでした。

私は今日、その解答の一部を
皆様に語りたいのでございます。


皆さん。
考えてみましょう。

皆さんは今、どこへ行くのですか?
皆様の人生の目的地はどこですか?
一口に答えられないものがあるのでございます。

私は今日、皆様が人生の航路と目的地を
定める前に、必ず何を知るべきかを一つ、
一番初めに語りたいのでございます。

一、神の実在の問題
 
皆様。
それは、神の実在の問題でございます。
 
この宇宙に神がいるか、いないかを
判断することであります。

天地を創造し、森羅万象をおつくりになられ、
私たち人類をつくられた創造の神はいるのか?
それとも、この宇宙と人生は偶然なのか?

その神がいるとするならば、その神の
創造の目的はいったい何だったのであろうか。

その神と私とは、どんな関係にあるのか。

これを判断せずには、私たちの
人生の真なる目的地は定められません。

神を認める人生と神を認めない人生は、
天地の差があり、その角度が
180度違うからでございます。

若い皆様はこの問題を解決して、
人生航路を決めるべきであります。

朴普熙(パク・ポーヒ)先生
(光言社・刊『青年よ行け、そして世界を救え』より)
青年よ行け、そして世界を救え
21世紀の青年運動への提言(1)(2)より抜粋
(Blessed Lifeより)
わかりやすく読んでいただくため、
行区切りや段落等の区切りを再編集し
()書きで注釈を加えることがあります
文責:ten1ko2


今回は、導入というか、
「人生の目的は何か?」
という疑問に対し、神様という
結論だけを紹介しました。。

言葉の節々に朴先生ならではの
文章が連発なので、
朴先生の姿を思わせます。

続きをお楽しみに。





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