2023年04月17日

「先生に会いたくて仕方がない」 教会に人があふれる・伝道の秘訣 《史吉子先生》



230417-1954.0503.jpg


史吉子(サ キルジャ)先生の 「原理によるみ言の証」より
「自己否定の意義と秘訣」の最終回です。


いつもご自身の意識を忘れるくらい、
神様の代身になられるお方が父母様です。

皆さんは父母様のみ言を思いながら、
父母様に侍りながら暮らしているように、
父母様に尋ねてください。

「私の生活の主体は父母様であり、私ではない。
私は従う対象である」と。

このような意識を持って生きれば、
全てに対する答えが霊感として浮かび上がるのです。

私たちが父母様の前に徹底的な対象の立場に立つ時、
全ての問題は解決されます。


そして、伝道がよくできる秘訣は、
伝道対象者の名前を何度も呼ぶことです。

「キムヨンジャ! キムヨンジャ! キムヨンジャ!」
のようにです。

名前を呼べば、その人の霊人体が
私に引かれて来るようになり、
逃げられなくなるそうです。

名前をずっと呼び続けると、 その人が私に会いたい、
私に電話したいと思うようになり、
私を恋しく思うようになるそうです。

このように恋しくて、その人の方から
私を訪ねて来るようになるのです。


草創期にお父様は、私たちの名前を
熱心に呼ばれたそうです。

私たちは、最初はわかりませんでした。
青波洞にいた頃、 私たちは元気な20代の学生でした。

私は梨花女子大学を退学させられた後、1年間休んでから、
淑名女子大学の薬学科に入学しましたが、
薬剤師の免許の取得に関する
国家試験に備えるための模擬試験が多かったので、
朝は教会に行くことができませんが、
学校から家に帰る時には必ず教会に行きました。

教会に寄ってから家に来ると、勉強もうまくできましたが、
そうでないと勉強に集中することができませんでした。

お父様の声と顔が目の前に現れるので、
何もすることができませんでした。


職場に通う人たちも教会に寄って行かなければならないし、
家庭の主婦たちも、教会に来てから
家に帰らなければなりませんでした。

朝7時になるとお父様は、前本部教会の2階から
降りて来られ、食事をされます。
すると、食口たちは目を見開いて、
火事になった時のように集まってきます。

お父様は集まった食口たちに、
「夕べ、先生の夢を見たの?
先生が恋しくて眠れなかっただろ?」と尋ねました。

実際、そうでした。
食口たちは、「はい、そうです」
と言いながらわあわあ泣きました。


しばらく経ってからお父様は、
「誰があなたたちをそのようにしたのか?」
と尋ねられた後、説明してくださいました。

「そうさせた動機はあなたたちにあるのではなく、
先生にあるのだ。
昨夜、あなたたちを送った後、一晩中、
あなたたちの名前を呼びながら祈祷した」と語られました。

だから、夢を見てもお父様の夢を見るし、
思うこともお父様のことだけを思うようになるのです。

お父様はそのように切実な祈祷をされて、
「さあ、私がこのように食口たちのために
精誠を尽くして食口たちの名前を呼んだから、
霊界がどれくらい協助するのかを見てみよう」
と言われたそうです。

そして眠りにつかれたそうです。


案の定、朝になると、食口たちが
目を丸くして教会に駆け付けて来ました。

ある食口は職場に向かった足が勝手に教会に来てしまい、
学校に行くバスに乗るはずが、 教会に行くバスに
間違って乗って来ると言う役事が起りました。

それで、朝になると食口たちが狂ってしまうのです。
大騒ぎしながら、皆来るのです。
教会で何事も起こっていないのにです。

これがまさに伝道の秘訣です。
私たちが人を恋しがる心が無ければならないし、
その人を生かしたいと狂うほど必死になったら、
相手も狂ってしまうのです。
そうすると、道が開かれるそうです。


私は草創期にあまりにも迫害を受けたので、
悔しくて離れることもできず、腹立たしくて
離れることもできず、み旨について来ました。

私たちの学生時代にお父様が、
「み旨の道を行くのにおいて、
あなたはどんな心持ちで行くのか?」と答えたら、
「そうだ!」とおっしゃいました。

それほどに復讐心に燃えていたのです。
それが歳月が流れて、今に至っては、
その復讐心が愛の復讐心に変わりました。

すなわち恩讐を愛して自然屈服させることが、
真の復讐であることを悟るようになりました。

史吉子/ 著「原理によるみ言の証」

わかりやすく読んでいただくため、
行区切りや段落等の区切りを再編集し
括弧書きで注釈を加えることがあります
文責:ten1ko2


「私たちが父母様の前に徹底的な対象の立場に立つ時、
全ての問題は解決され」ると言います。

本当にそうなりたい、父母様の対象に立ちたい!
と切実に思わされます。

また、草創期のお父様は、
食口たちのために切実な祈祷をされた、
そして、不思議な現象が起こった、と言います。

これが伝道の秘訣だ、というのです。
私たちは、祈りの効果を実践しているでしょうか。
それだけ切実な祈りを捧げているか、というと
本当に足りない、と思わされるのです。





にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)

posted by ten1ko2 at 09:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 史吉子先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック