李ヨハネ先生のみ言。
今回は、『「真」には「自分」がない』です。
☆
敬礼式をする目的は、夫婦に互いに
敬礼したい心をもたせるためです。
お父様に敬礼するのは、お父様の願いではないのです。
お互いに敬礼したがる夫婦にならせたくて、
敬礼をさせたのです。
親が自分の子供にあいさつを教える時に、
お父さんにあいさつせよというのは、
お父さんが受けたくてさせるのではありません。
将来、尊敬される人間にならせたいからです。
親が子供に対して、小さいころから
よくあいさつさせる目的は、
その実体の本人にあるのです。
敬礼をよくする人が、敬礼をされる人になるからです。
ですから、御父母様への敬礼式は、
お父様が敬礼を受けることを願って
行っているのではありません。
私たちがお父様に敬礼して、お互いに敬礼する家庭、
敬礼できる自分になりたいからです。
だれと敬礼し合う心をもてば幸福ですか。
一番自分に近い人と、自分の生活圏の人とです。
自分を否定して、「ために」暮らしたがる
心をもてば、敬礼の生活なのではないでしょうか。
ですから、「自分」はありません。
主体者のために、あるいは相対者のために
「自分」はあるのです。
この心情が敬礼する心ではないでしょうか。
無責任に、敬礼だけして終わったと思わないで、
敬礼の心をもって、敬礼の心情で侍りながら暮らすのです。
☆
ですから、夫婦が幸せになるのは簡単なのです。
自分勝手に暮らさないということです。
男性は自分の妻を喜ばせる目的で暮らし、
女性は自分の夫を喜ばせたくて暮らすのです。
お互いに全く同じです。
自分を否定して、愛だけを実現したくて
夫婦になったのです。
自分を肯定したくて夫婦になったのではないのです。
愛を絶対的に樹立するために
夫婦になったのです。
愛が中心です。
☆
祝福家庭がこのような夫婦観、価値観をもって、
自分の存在は真の愛を樹立するためにあるという生活観を、
はっきり心に打ち立てなければなりません。
どのようにすれば、私たちの家庭に
愛を実現することができますか。
悲しみはどこで求めますか。
苦痛を通じて求めるのです。
迫害を通じて求めるのです。
葬式をしている家に行って求め、
悲しい家に行って求めるのです。
聖書には、悲しい人を愛して悲しみを求める、
憐れんで求める、とあります。
ですから、悲しみを発露するために努力しなさい。
そうすれば真になります。
迫害する家を訪ねていき、統一教会を
一番憎む人の所へ行って蔑視されましょう。
お父様の悲しみを体験しに行きましょう。
これは苦痛です。
嫌なことは苦痛でしょう?
嫌なことを求め、悲しみを求めましょう。
嫌なのは嫌だ、好きなのはいいというのは
肉心(本能や欲望的なもの)です。
肉心は苦痛を担当したがりません。
肉心は苦痛を一番嫌がります。
さあ、方法ははっきり分かりました。
☆
統一教会の夫婦は、真は何であるか、
はっきり分かりました。
自分勝手ではない人。
自分の相対者を喜ばせるために心を込める人。
気持ちが悪いとか、嫌であるとか、不平などがない、
「自分」がない人。
愛の前には「自分」がないのです。
苦痛や悲しみの前にも、「自分」がありません。
「自分」をなくさなければ、
自分の中心に真の愛は始まりません。
☆
家庭では、いつも子供たちを立てて、
「歌を聞きたい」と言って、歌わせます。
子供は「自分」がありません。
子供の中に、自分をなくすために
そういうことをさせます。
食事の前に、「だれか一つ歌を歌って
食事を一緒にしよう」、そのようなことを
家庭でできるだけするようにし、
自分が食べたくて食べるのではなく、
喜ばせて食べるようにします。
何かに服従して食べます。
服従する訓練です。
服従はなかなか嫌なことです。
それを、お父さんが願うのならば喜んでしたい、
というふうに、子供のころから
やらせれば、徐々に慣れていくのです。
そういうふうにしていると、気持ちが悪くないのです。
服従しても気持ちが悪くありません。
子供の時から、そうさせるのです。
☆
お互いに自分勝手なところを見たなら、
いかに早く清算してあげるかというのが、
親の教育です。
身勝手さだけなくせば、孝行心だけ残ります。
夫婦も身勝手さだけなくせば、
愛だけが残るのです。
皆さん、自分の身勝手さだけ否定すれば、
何が残るのですか。
相手の事情だけが残ります。
自分の存在というものは、相手の心情を
喜ばせるためのものであるということを、
はっきり確認しなければなりません。
☆
学生たちはみな、だれのために暮らしていますか。
自分の勝手に暮らしています。
ですから、このことは毎日、私が話さなくてはならないのです。
皆さんが聞きたくなくても、もう教会に来れば、
身勝手さをなくしてきましたかと尋ねなくてはなりません。
いろんな人間関係の中で、
どれほど自分を否定しながら
相手を喜ばせて暮らすかが問題です。
相手を喜ばせて暮らしましょう。
24・真理を求めよ
「真」には「自分」がない
信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
「真」には「自分」がない
信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
☆
わかりやすく読んでいただくため、
行区切りや段落等の区切りを再編集しました
さらに括弧書きで注釈を加えたり、
プライバシーに関わる部分は省略等することがあります
文責:ten1ko2
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真の父母様に敬礼を捧げることができる。。。
どれだけ幸せなことでしょうか。
更に言うならば、夫婦で互いに敬礼を捧げることも
本当にありがたいことだな、と感じます。
敬礼の文化は相手を貴く思い、
また、人に貴く思われるための文化なのですね。
『敬礼の心情で侍りながら暮らす』
敬礼をするたびにこの思いを忘れずに、
歩んでいきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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