2023年05月29日

一人では、天国に行けない どのように生きて死ぬべきか 《方相逸大陸会長》



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方相逸大陸会長が昨年、尾瀬霊園で開催された
聖和祝祭で語られたメッセージ、
「よく生まれ、よく生き、
よく死ぬべき地上生活」を紹介します。

霊界での永生と比べると
あっという間≠フ瞬間

真のお父様は、人間は腹中生活十か月、
地上生活約百年を経て、
永遠の霊界生活に至ると語られました。

皆さんも、耳にタコができるくらい、
このようなお話を聞いたと思います。

赤ちゃんがおなかの中にいるとき、
母親がお酒を飲んだり、タバコを吸ったり
不摂生な生活をすると、赤ちゃんの成長に
悪影響を及ぼすので、母親は
そのようなものには手を出しません。

同じように、私たちは霊界での永生に備えて、
地上に誕生してから死ぬまでの間、
天から与えられた使命を果たし、
やってはいけない≠ニ戒められていることを
行ってはなりません。

真のお父様も常にそのことを強調されました。

霊界での永生と比べたら、この地上生活は
あっという間≠ナす。
だからこそ、天の原理原則に従って、
よく生きなければなりません。

人類歴史上初めて、霊界の
詳細を明かされた真の父母様

皆さんは「四大聖人」をご存じでしょうか。
四大聖人とは一般的に、孔子、釈迦、
イエス・キリスト、ソクラテスを指します。

私は、聖和祝祭を迎えるに当たり、
四大聖人が「死」について
どのように考えていたのかを調べてみました。


孔子からとても愛された子路という弟子がいます。
彼が孔子に「先生、死とはどういうものですか?」
と尋ねると、孔子は、
「生のことも十分に分かっていないのに、
どうして死のことが分かるだろうか」
と答えたそうです。

お釈迦様は、生・老・病・死の「四苦」を、
人間として逃れられない必然的な苦しみ
と捉え、どのようにしたら人生の苦しみを
克服することができるのかを説きました。

私たちを悩ませる煩悩から解放される
「解脱」を強調し、悟りの境地で
生き生きと暮らすための知恵≠授けようとしたのです。


孔子は七十四歳、お釈迦様は八十歳で没したのに対して、
イエス様は三十三歳という若さで、
十字架に架けられてお亡くなりになりました。

現代において、高齢者が死後の世界について話せば、
聞く耳を持つ人は多いかもしれませんが、
若者が話したらどうでしょうか。

クリスチャンをはじめ、聖書に感動した人々は、
「イエス様、イエス様」と慕いますが、
あの時代に、三十代の若者が、
「神様とはこのようなお方だ」
「人生とはこういうものだ」と、
いくら熱心に説いても、
信じる人は多くなかったと思います。

しかも、姦淫を犯した者は石で打ち殺してもいい
と言われた厳格なユダヤ教社会で、
イエス様は未婚の女性からお生まれになったというのです。

イエス様は、霊界のことを含め、
神様から託された、人類に伝えるべき内容を
胸に秘めておられたはずです。

しかし、「わたしには、あなたがたに
言うべきことがまだ多くあるが、
あなたがたは今はそれに堪えられない」
(ヨハネ一六・12)とあるように、
全てを伝えることはできませんでした。

その悔しさ、もどかしさは、
いかばかりだったでしょうか。


ソクラテスは、古代ギリシャの哲学者で、
西洋哲学の基礎を築いた人物の一人とされています。

彼は自らの無知を自覚することが、
真の認識に至る道である≠ニして、
「無知の知」を説き、
人はいかに生きるべきかを深く探求し続けました。

そして、弟子のプラトンが著した
『ソクラテスの弁明』の中に、
「死とは人間にとって福の最上なるもの
かもしれないが、それを知っている人はいない」
と記されています。


このように、四大聖人といえども、
霊界について細かく説いている方はいないのです。

イエス様は、ある程度まで触れておられますが、
真の父母様が私たちに教えてくださった内容には及びません。

聖書には、先祖解怨や
先祖祝福については記されていませんね。

そのことを考えても、家庭連合の食口たちは、
本当に恵まれた立場にあると思います。

ここでは、霊界の存在を感じる≠ヌころではなく、
映画のように見える≠フです。


皆さんは、李相軒先生(36双)が
霊界から送ったメッセージを聞いたことがあるでしょう。

『霊界の実相と地上生活』という書籍に
まとめられていますが、私はかつて、
この書籍を深く読み込んで、一年間、
ずっとこの内容を説教の題材にしたことがあります。


また、天一国経典『天聖経』の第七篇に、
真のお父様が霊界について語られたみ言が
たくさん掲載されています。

今回、ひととおり読んでみましたが、
霊界についての詳細な教えに驚き、
改めてお父様の偉大さを実感しました。

天国は夫婦、家族で一緒に行く所

天の父母様は、目には見えません。
ですから、多くの人が、信じることができないのです。

しかし、目に見えないものにこそ、
大切な価値があるということを知らなければなりません。

空気は目に見えませんが、
全くない所に数分、数十分でもいたら、
私たちは全滅してしまうでしょう。

そのように貴重な空気を頂いているにもかかわらず、
私たちは何のお返しもしていません。

他にも人の心など、目には見えませんが、
私たちは常に感じながら生活をしています。

真のお父様は、目に見えないものの中でも、
いちばん重要なのが霊界の主人であられる
神様であると教えてくださいました。

神様は真の愛の方です。
真の愛とは、他のために生きることです。


「真の愛は、誰でも願うものですが、
愛というものは、ために生きることによって
可能になるというのが原則です。

相対のために奉仕し、
犠牲にならなければなりません。

『私のために生きよ』という心で
人に対するようになれば、皆が逃げてしまいます。

利己的な個人主義は、サタンの
戦略であり、目的であり、道具です。
その結果は、地獄です」
(天一国経典『天聖経』278ページ)


愛がない所が地獄であり、お互いがために生き、
愛があふれている所が天国です。

皆さんも、家庭の中で
愛を感じることができれば幸せでしょう。
家庭に愛がなければ、たとえ家族が
一緒にいたとしても、地獄にいるようなものです。

キリスト教会では、「私自身が神様、
イエス様を信じれば、天国に行くことができる」
と教えますが、真のお父様は
その教えを明確に否定されています。


「今までの宗教の目的は、
 個人を救うことでした。

 しかし、統一教会は
 個人の救いよりも家庭の救いを目的とします。
 救うとしても、家庭を救い、
 天国に行くとしても、自分一人では行きません。

 統一教会の救援観は、
 夫は天国に送り、妻は地獄に
 送ろうというものではありません。
 二人とも天国に行こうというものです。

 また、父母を地獄に送るのではなく、
 父母に侍り、また息子、娘も連れて
 天国に行こうというものです」

(同587ページ)

天国は夫婦が一緒に行く所です。
真のお父様は「一緒に」という言葉を強調されました。

たとえ、私個人の信仰が素晴らしかったとしても、
一人では天国に行くことができません。

もし、妻が信仰を持っていなかったら、
天の娘として大切に育ててあげましょう。

反対に、妻が一生懸命に教会活動をする信仰者で、
夫が信仰生活に対して前向きでないのなら、
愛して尽くして、み言を伝えてあげましょう。


それでは、夫婦が信仰を持っていても、
子供が信仰を持っていなかったらどうしますか。

親だけが天国に入って喜ぶことはできないでしょう。
ですから、親が立てた信仰の伝統を子供に相続させ、
一緒に連れていかなければなりません。

そして、祝福家庭の中には、
親が教会から足が遠のいていても、
子供は信仰をしっかり持っている家庭もあります。

その場合は、子供が親を導いて、
天の前に一緒に帰るのです。

このような話を聞いて、
心に痛みを覚える食口もいるかと思います。
しかし、これが行くべき道、原理原則の道です。

たとえ今は、教会から離れている家族がいても、
その一人一人を心から大切にし、
天の前に導くことを決して諦めず、
愛を投入していきましょう。

第40回「神日本聖和祝祭」
2022年11月3日
方相逸・大陸会長の記念説教
https://familyforum.jp/2021122945617

抜粋して紹介しました
文責:ten1ko2


ちょうど今日は、ある食口の聖和式があり、
参加させていただきました。

ささやかながら素晴らしい聖和式でしたが、
遺された奥様を思うと、
とても胸が痛んでなりません。

少し話す機会がありましたが、
「一人でこれからどうやって生きていくか・・・」
と、心細げに見えました。

先立たれたご主人は
さぞかし、ご心配だろうと思います。
霊界からお守りください、
と祈らざるを得ませんでした。

いつもこういう時に思うのは、
私自身も、正しい人生、負債なき人生を
送らないといけない、ということです。

天国に行ける者となるため、あらためて
私自身だけでなく、妻も、
子供たちも、ともに正しい道を
愛を育みながら
歩んでいきたいと思うのです。




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posted by ten1ko2 at 13:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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