2023年06月20日

「あなたをどんなに愛しているか、知っているのか」イエス現る! 《UTS時代の神体験》



181220 Le_Christ_quittant_le_prétoire-Gustave_Doré.jpg


神明(しんみょう)先生の信仰エッセー、
『UTS時代の神体験』より、
「イエス様も絶対にメシアだ!」を紹介します。


私は統一運動のメンバーとして、
メシアであられる真のお父様と真のお母様の路程を思うと、
大きな愛と勇気の力が与えられ、
試練のときにも
人を心から愛し忍耐することができたと思います。

と同時に、2000年前に来られたイエス様も、
たとえ十字架上の死の路程を行かれたとしても、
いや、十字架の路程を行かれたがゆえに、
メシヤとしてのすごい愛の力を持たれる、
ということを言いたいと思います。

実際、そのようなイエス様を私は肌で感じました。


UTS で教え始めてから3年経った1988年頃のことです。

UTSスタッフの中に問題児の女性(白人の米国人)がいました。
彼女は協調性がゼロで、しょっちゅう人とぶつかっていました。
また、他人から忠告されたり指図されたりすると、
直ぐに怒り出すのでした。

後で分かったことですが、彼女は幼いときに実父から虐待を受け、
それがトラウマとなっていた、かわいそうな食口だったのです。 

彼女の問題を聞いた総長は、彼女を解雇することにしました。
しかし、総長の独断ではなく、その前に一応皆の意見を聞いて、
皆のサポートのもとに公式発表をしようということになり、
UTSのトップ7、8人を集めた会合が開かれました。

彼らは皆、すでに総長の願いを知っているものですから、
「はい、解雇すべきです」と答えました。


ところが私の心の中には、それとは全く異なる思いが
フツフツと湧いてきたのです。

その思いがあまりに強くなるので偽ることもできず、
「解雇すべきではないと思います。
今まで私たちは彼女のために、
一体どのくらいの時間を割いて、
面倒見ようとしたでしょうか」
と失礼にも言ってしまいました。

総長も皆もびっくりしましたが、総長は 、
「それでは、彼女をドクター・シンミョウが責任を持って、
面倒を見てくれたまえ」 と宣告して、会合が終りました。


それからというもの、授業の合い間を縫っては、
食堂の片隅のテーブルで必死に彼女を和動し、
カウンセリングをしました。

だいぶ良くなったので、これなら大丈夫だろうと、
彼女を仕事場に送りました。しかし、しばらくすると
また人とぶつかってキックアウトされ、
私のところに連れ戻されてくるのです。

そんなことを4、5回繰り返すうちに、
“やはり無理なのかな” という悲しい思いがあふれてきました。

しかし、絶対に彼女を助けたいという決意で、
今度は彼女を私個人のオフィスに迎えて
カウンセリングをすることにしました。

“これが最後になるかも知れない” と思うと、必死でした。


あまりにも必死だったせいか、
見よ、私の頭上1メートルぐらいの少し右側に、
突然イエス様の顔がはっきりと現れたのです。

その瞬間、驚くべきことに、
そのイエス様の顔が私の体に入り込み、
私の口を通して彼女に語り始められました、
大粒の涙を流しながら。

「この私があなたをどんなに愛しているか、知っているのか。
その愛ゆえに十字架に行ったのを知っているのか」

次にイエス様は、私の体を通して両手を広げて
彼女に歩み寄り、ハグし、泣かれました。

その時の私自身の意識は、そのような超自然的現象を
止めようと思えば止めることもできるというものでした。


さすがの彼女も非常にびっくりして、
涙ぐみながら「すみません」と言い、心から悔い改めました。

彼女はそれからは二度と問題を起こさず、
UTSのスタッフとして働き続けることが許されました。
実に驚くべき奇跡が起きたのです。

この証しで、私は自分の体験を誇るつもりは毛頭ありません。
ただ「皆に仕えるために歩みたい」と言いたいだけです。

そして、「イエス様も絶対にメシアだ!」と
声を大にして言いたいのです。

UTS時代の神体験:ドクター神明の信仰エッセー



素晴らしい証しですね。。。

私のように、キリスト教を知らない者からすると、
イエス様は、メシヤであることは知っていますが、
使命を果たせなかった方、
その思いがあって、申し訳ない限りです。

誰のゆえに果たせなかったかといえば、
私のような無理解な人類ゆえだったわけです。

2000年間の歴史を、イエス様は
クリスチャンたちを霊的に導いてこられました。
どれだけ愛したかったか、どれほど
天国を作ることを熱望してこられたのか。。。

クリスチャンたちは、神明先生に現れたように、
霊的な体験、恩恵を受けてきたのですね。

神明先生の、あまりに切実に愛したい、という
心情ゆえに、通過体となり
イエス様も現れることができたのだと思います。

問題児だった女性の
親に正しく愛されなかったトラウマも、
イエス様の、あまりに溢れる愛に触れて、
きっと解かされてしまったのでしょう。

勝利された、真の父母様に侍る者として、
イエス様を通して受ける恩恵以上の
霊的体験、恩恵を受けているのだから
感謝しなければならない、
そんな思いにもさせられます。

そのためにも、私が勝利したい、というよりは、
この人を愛したい、仕えたい
そのような心情が必要だと、気づかせて頂きました。







にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック