阿部先生が「韓国と日本の文化の違い」に
ついての質問に、見事に回答されています。
第2回目は、「家庭的秩序と社会的秩序」です。
☆
「韓国と日本の文化の違いについて
教えてください」という質問に対して
何回かに分けてお答えしています。
韓国と日本の文化を比較して、
両国の特徴を紹介したいと思います。
今回は、「家庭的秩序と社会的秩序」
という観点です。
☆
日本では親が子供を叱るとき、
「そんなこと、世間では通用しない」
「人さまから笑われる」と言ったり、
幼い子供に対しては「そんな悪い事をすると、
お巡りさんから叱られるよ」
と言ったりする場合があります。
日本では、親が子供に対して
「人さまには迷惑をかけてはいけない」と、
他人に「さま」を付けるように、
社会の目を第一に考え、
公共社会に対する「忠」を
至上のものとする傾向があります。
☆
一方、韓国では、
「おまえのおじいさんに顔向けできない」
「先祖に申し訳ない」
と言いながら叱る場合があります。
多くの韓国人は、小さい頃から
目上の人を優先する「長幼の序」を教育し、
「孝」の価値を深く理解して、
また夫婦の「烈」を重んじることが
できなければ人間として失格だと教えます。
まさに人間の秩序を
「家庭的秩序」として見るからです。
このように、韓国人は家族性を重要視する
「孝」の文化が強く、
日本人は社会性を重要視する
「忠」の文化が強いといえます。
☆
韓国では相手を呼ぶときに、
目上の人には基本的に「ニム(さま)」を付けます。
お父さんを「アボニム(お父さま)」、
先生を「ソンセンニム(先生さま)」、
社長を「サヂャンニム(社長さま)」といいます。
韓国ではどんな状況下でも
親には絶対的な敬意を表わすという
「絶対敬語」であるのに対し、
日本の敬意の観念は相手によって変化します。
☆
日本では、「うちの父は寝ています」
「社長の田中は外出中です」と
外の人に対しては自分の家族や自分の会社を低めます。
日本では、近いものを低め、
外に行けば行くほど敬意を高めるのが常識なのです。
☆
日本は武家社会の伝統の影響が強く、
「忠」の精神が強く、「侍(はべ)る」という言葉も
主従関係において、主人のそばに仕えて
命令を待っているというニュアンスです。
韓国語の「モシダ(侍る)」は、
子女が親への愛情に従って、親の事情・
心情を自ら察して尽くしながら、
親を中心として生きるというニュアンスなのです。
韓国では「孝道」こそ、
国民倫理の中心であり、
人の生きる道と考えます。
☆
日本では「親の面倒を見る」「親を養う」というのですが、
面倒を見る若者が主体であり
面倒を見てもらう親が
「弱者」という立場と考えがちです。
しかし韓国の「父母に侍る」は、
あくまでも親が尊敬の対象として上位にあります。
☆
韓国人は、「私たちの家族」「私たちの子供」
「私たちの国」というように
「ウリ(私たち)」という言葉を好みます。
「ウリ」という観念は、情的に自分に属する人を
完全に一つと考える情和主義であり、
日本人が和合を好み、集団内の「和」を尊重して
個々人のバランスを保つ観念とは似て非なるものです。
何かもらった場合、日本人は
「私がもらった」と喜ぶのに対し、
韓国人は「私たち(家族)がもらった」と喜びます。
物の所有も自分と他人の区別をせずに
共同所有と考える「ウリ」の意識を教育します。
このように、韓国と日本では、
互いの意識の“ものさし”に違いがある
ということを理解する必要があります。
(動画版『ほぼ5分でわかる人生相談Q&A』より)
【テキスト版】ほぼ5分でわかる人生相談Q&A
幸せな人生の極意!
第145回 韓国と日本の文化の違いについて教えてください
A家庭的秩序と社会的秩序
ナビゲーター:阿部美樹
(Blessed Lifeより)
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第145回 韓国と日本の文化の違いについて教えてください
A家庭的秩序と社会的秩序
ナビゲーター:阿部美樹
(Blessed Lifeより)
☆
再編集 文責:ten1ko2
とても的確な解説だと思います。
やはり両国は敵対感情をもって
対立関係になってはいけないですよね。
お互いの良いところを相続し、
一つになることによって、
それぞれが相互補完することで、
さらに良い国になっていくに違いないです。
どちらがいい、悪い、ではなく、
違うからこそ、相手のいい点を認め合う、
そんな心の器を拡げていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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