2023年08月05日

「孝」か「忠」か! こう・おつ(甲乙)つけがたい、韓日の違い 《阿部先生*5分で人生相談》



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阿部先生が「韓国と日本の文化の違い」に
ついての質問に、見事に回答されています。

第2回目は、「家庭的秩序と社会的秩序」です。


「韓国と日本の文化の違いについて
教えてください」という質問に対して
何回かに分けてお答えしています。

韓国と日本の文化を比較して、
両国の特徴を紹介したいと思います。

今回は、「家庭的秩序と社会的秩序」
という観点です。

 
日本では親が子供を叱るとき、
「そんなこと、世間では通用しない」
「人さまから笑われる」と言ったり、
幼い子供に対しては「そんな悪い事をすると、
お巡りさんから叱られるよ」
と言ったりする場合があります。

日本では、親が子供に対して
「人さまには迷惑をかけてはいけない」と、
他人に「さま」を付けるように、
社会の目を第一に考え、
公共社会に対する「忠」を
至上のものとする傾向があります。

 
一方、韓国では、
「おまえのおじいさんに顔向けできない」
「先祖に申し訳ない」
と言いながら叱る場合があります。

多くの韓国人は、小さい頃から
目上の人を優先する「長幼の序」を教育し、
「孝」の価値を深く理解して、
また夫婦の「烈」を重んじることが
できなければ人間として失格だと教えます。

まさに人間の秩序を
「家庭的秩序」として見るからです。

このように、韓国人は家族性を重要視する
「孝」の文化が強く、
日本人は社会性を重要視する
「忠」の文化が強いといえます。

 
韓国では相手を呼ぶときに、
目上の人には基本的に「ニム(さま)」を付けます。

お父さんを「アボニム(お父さま)」、
先生を「ソンセンニム(先生さま)」、
社長を「サヂャンニム(社長さま)」といいます。

韓国ではどんな状況下でも
親には絶対的な敬意を表わすという
「絶対敬語」であるのに対し、
日本の敬意の観念は相手によって変化します。


日本では、「うちの父は寝ています」
「社長の田中は外出中です」と
外の人に対しては自分の家族や自分の会社を低めます。

日本では、近いものを低め、
外に行けば行くほど敬意を高めるのが常識なのです。


日本は武家社会の伝統の影響が強く、
「忠」の精神が強く、「侍(はべ)る」という言葉も
主従関係において、主人のそばに仕えて
命令を待っているというニュアンスです。

韓国語の「モシダ(侍る)」は、
子女が親への愛情に従って、親の事情・
心情を自ら察して尽くしながら、
親を中心として生きるというニュアンスなのです。

韓国では「孝道」こそ、
国民倫理の中心であり、
人の生きる道と考えます。


日本では「親の面倒を見る」「親を養う」というのですが、
面倒を見る若者が主体であり
面倒を見てもらう親が
「弱者」という立場と考えがちです。

しかし韓国の「父母に侍る」は、
あくまでも親が尊敬の対象として上位にあります。


韓国人は、「私たちの家族」「私たちの子供」
「私たちの国」というように
「ウリ(私たち)」という言葉を好みます。

「ウリ」という観念は、情的に自分に属する人を
完全に一つと考える情和主義であり、
日本人が和合を好み、集団内の「和」を尊重して
個々人のバランスを保つ観念とは似て非なるものです。

何かもらった場合、日本人は
「私がもらった」と喜ぶのに対し、
韓国人は「私たち(家族)がもらった」と喜びます。

物の所有も自分と他人の区別をせずに
共同所有と考える「ウリ」の意識を教育します。

このように、韓国と日本では、
互いの意識の“ものさし”に違いがある
ということを理解する必要があります。

(動画版『ほぼ5分でわかる人生相談Q&A』より)
【テキスト版】ほぼ5分でわかる人生相談Q&A
幸せな人生の極意!

第145回 韓国と日本の文化の違いについて教えてください
A家庭的秩序と社会的秩序
ナビゲーター:阿部美樹
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


とても的確な解説だと思います。

やはり両国は敵対感情をもって
対立関係になってはいけないですよね。

お互いの良いところを相続し、
一つになることによって、
それぞれが相互補完することで、
さらに良い国になっていくに違いないです。

どちらがいい、悪い、ではなく、
違うからこそ、相手のいい点を認め合う、
そんな心の器を拡げていきたいと思うのです。

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