2023年08月08日

何ゆえに切ないのか? 天の口惜しさを思うと眠れない・・ 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



200806-gessemane.jpg


李ヨハネ先生のみ言。
今回は、「心霊の成長と正しい信仰の基準」です。

時間になったので、イエスは食卓につかれ、使徒たちも共に席についた。

イエスは彼らに言われた、「わたしは苦しみを受ける前に、
あなたがたとこの過越の食事をしようと、
切に望んでいた。あなたがたに言って置くが、
神の国で過越が成就する時までは、
わたしは二度と、この過越の食事をすることはない」。

そして杯を取り、感謝して言われた、
「これを取って、互に分けて飲め。
あなたがたに言っておくが、今からのち神の国が来るまでは、
わたしはぶどうの実から造ったものを、いっさい飲まない」。
またパンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、
「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。
わたしを記念するため、このように行いなさい」。

食事ののち、杯も同じ様にして言われた、
「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である。
しかし、そこに、わたしを裏切る者が、私と一緒に食卓に手を置いている。
人の子は定められたとおりに、去って行く。
しかし人の子を裏切るその人は、わざわいである」。
弟子たちは、自分たちのうちのだれが、そんな事をしようとしているのだろうと、互に論じはじめた。  
ルカによる福音書第二二章一四〜二三節

心霊の成長と正しい信仰の基準

今日、私たちは
どのような内容の心配をしていますか? 
何ゆえに忙しいですか? 
何ゆえに切なく思われますか?

主の恨(ハン)に徹して生きます。
これが永生の要素になり、
このような生活が、
天がいつも共にいてくださる生活なのです。

今日、私たちの師は、恨に徹して
生活されていることを、私ははっきりと見てきました。

疲れた時やお休みになられる時に、
その恨を考えるだけでも瞬間的に眠けと
疲れが消え去るほどに徹しておられる方です。

それゆえに神の事情が分かる者であるならば、
恨に徹して生きるようになるのです。

恨に徹している者は、他人が行き来するのを
見るときも、他人のやるせないことを見ても
天の口惜しさを体恤するようになるし、
他人を軽々しく評価できないようになるのです。

信じない者を見て、恨に徹してみなければなりません。


過越の祭を守ってきた弟子たちは、
パンとぶどう酒を一日の会食だけと思い、
主の悲壮なるみ言を聞いても理解できませんでした。

恨に徹した人であってこそ、
恨に徹したみ言を聞いて悟ることができたはずです。

その人の気掛かり、心配が何なのかに従って、
聞く耳が違ってくるし、目が違ってきます。

私たちは果たしてみ言の恨に徹しているでしょうか? 
恨の内容を知って生活しようということです。

一九七九年五月二十日 韓国本部教会
李耀翰

信仰生活シリーズ3 聖書の中の心情圏  
摂理の中心家庭に学ぶ信仰姿勢
U 復帰摂理の恨
恨の多い主
再編集 文責:ten1ko2


イエス様は、神のもどかしい心情を
よくご存じであり、一つとなっておられました。

弟子たちにその心情を理解してもらえず、
苦難の中を歩まれ十字架に磔かれました。
その思いはいかばかりだったでしょうか。。。

話は変わりますが、先日、
中学時代の同級生と久しぶりに会いました。
以前、路傍伝道をしているときに、ばったり出会い、
それから交流しています。

彼はスピリチュアルには関心があり、
そういう話をたくさんしましたが、
家庭連合には懐疑的、批判的であり、
「関心がない」とはっきり言われました。

「私と会うのも今回限りかな・・・」
そう思っていたら、別れるとき「また会いましょう」
と彼から言ってきたのでした。

スピリチュアルのことを話せるのは、
私くらいしかいないのでしょう。
話したがっている様子でした。

イエス様の恨(ハン)の心情の基準には程遠いですが、
私からすれば、彼が真理をなぜ無視して、
回りくどいことを求めているのか、
という無念な思いにさせられました。

神様の心情を思えば眠気もさめて
疲れも消えるほどだという
真の父母様の姿勢の中に
理屈ではない、深い孝情を感じます。

人との関わりを通して、
伝道を通して
神様の心情に近づいていくことができるのだと
あらためて思うのです。



にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


posted by ten1ko2 at 07:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 李ヨハネ先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック