2023年08月12日

文先生の説教が長い理由 受ける器をきれいに準備しよう 《金元弼先生》



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「何よりも神のものを愛す」最後のみ言となります。
今回は、「聖別してみ言を受ける」です。


神の復帰摂理は、ただメシヤ一人だけを
求めるとするならば時間はたくさんかからないでしょう。
一人だけを救うとするならば、救いの摂理は早く終わるでしょう。

先生のみ言も一人だけに恵みを与えるとするならば、
たくさんの時間はかからないでしょう。

すべての人に恵みを与えたいという心があるから、
先生がみ言を語られる時間は長くなるのだろうと考えます。

先生は非常に疲れていても、
長く話されるのはどうしてでしょうか。
それは私たちのためです。

それも何人かのためだけではなく、
来たすべての人が神の恵みを
たくさん受けるようにするためなのです。

たくさんの子供がいた場合、親が何人かの子供にだけ
物をあげて、ほかの子供にあげなかったならば、
その子供たちは寂しい思いをするでしょう。

ですから全部の子供に与えて、
喜んで帰るのを見たくなるのです。


私たちはその心が分からないから、
「ああ、もう話は早く終わってほしい。
もう寝たい」と言うかもしれません。

しかし先祖は、「もっともっと聞いてくれ」
と願っているということを忘れてはいけないと思います。

先生のみ言の価値が分かる霊は、
子孫がなぜ聞かないのかと焦るのです。
後孫がみ言を聞くように、目が覚めて早く聞くように願うのです。

 
皆さん、このように考えてみてください。
学校で勉強しているところへ、
親が授業参観に来たとしましょう。

先生が何人かの子供にだけしか発表させなかった
とすれば、親はどう考えるでしょうか。

自分の子供にもチャンスを与えて、
発表させてくれたらいいのにと考えるのです。

時間がオーバーしても私の子供に
チャンスを与えてくれるように願うものです。

 
そのように、先生は一人一人にまでも
恵みを与えてあげたいという心が常にあり、
話も長くなることがあるのです。

お医者さんが治療していて、手術の時間を
五時間と決めたけれども、五時間では治りそうもなくて、
もう一時間やれば治るという時に、
時間がきたといってやめるでしょうか。

一時間延長しても手術してあげるでしょうか。


私たちは、先生のみ言が長くなったら、
十時間も話してくださる先生がかわいそうだ、
だから先生は話を短くしたらいいのにと考えますか。

そうではなく、私の体がきついから先生のみ言が入らない、
短ければもっと分かるのに長いから疲れて頭に入らない、
それが私たちが指導している教会員の考えです。

それよりも、先生がこんなに長く話されるのは、
私たちが分からないからだろうと考えるのです。

私たちが早く分かったら、
先生は短く話すこともできるのです。
そしたら先生も楽になるだろうと
考えなければいけないと思います。


では、先生のみ言を短くして、先生がみ言をたくさん
語ることで苦労させないようにするためには
どうしたらいいのでしょうか。

どうしたら先生は楽になれるのでしょうか。
先生が楽になれば私たちも同時に楽になるのです。
そう考えなければいけないと思うのです。

それではどうしたら良いのでしょうか。
それには道があります。

それは、私たちがメンバーをよく教えて、
先生のみ言を聞く前に私たちのすべてを聖別して、
先生のみ言を聞くためにすべての心情を
備えるとするならば、先生のみ言は
早く終わるようになるでしょう。

 
また、器に神の恵みを入れるのだと考えてみます。
器の汚いものをきれいにするのは私たちの仕事です。

ところが私たちが責任分担を果たさないので、
先生御自身が私たちの責任分担も
全部やってくださるのです。

自分できれいにしておいたら
一時間で器にいっぱいになるのです。

そうではないから説教は三時間もかかるのです。

U 先生の道は我々の伝統
第七章 何よりも神のものを愛す
「聖別してみ言を受ける」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
再編集 文責:ten1ko2


説教を語られる時間に関して、
真のお父様は、元弼先生が語られるように、
参加している食口一人一人のために
長い時間説教をされるのが、常でした。

ところが真のお母様は、
「30分以内に説教を終えて」
と指示されたこともあり、
み言も短いです。

この部分に絞ってみてのことですが、
意外にお父様の方が繊細なのかな、と思わされます。

いずれにしても、愛を動機として、
語られるみ言です。

すべてを把握することは難しいですが、
私のために必要なみ言が、必ず与えられるのだ、
そのように求めていきたいと思わされます。




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posted by ten1ko2 at 08:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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