「何よりも神のものを愛す」最後のみ言となります。
今回は、「聖別してみ言を受ける」です。
☆
神の復帰摂理は、ただメシヤ一人だけを
求めるとするならば時間はたくさんかからないでしょう。
一人だけを救うとするならば、救いの摂理は早く終わるでしょう。
先生のみ言も一人だけに恵みを与えるとするならば、
たくさんの時間はかからないでしょう。
すべての人に恵みを与えたいという心があるから、
先生がみ言を語られる時間は長くなるのだろうと考えます。
先生は非常に疲れていても、
長く話されるのはどうしてでしょうか。
それは私たちのためです。
それも何人かのためだけではなく、
来たすべての人が神の恵みを
たくさん受けるようにするためなのです。
たくさんの子供がいた場合、親が何人かの子供にだけ
物をあげて、ほかの子供にあげなかったならば、
その子供たちは寂しい思いをするでしょう。
ですから全部の子供に与えて、
喜んで帰るのを見たくなるのです。
☆
私たちはその心が分からないから、
「ああ、もう話は早く終わってほしい。
もう寝たい」と言うかもしれません。
しかし先祖は、「もっともっと聞いてくれ」
と願っているということを忘れてはいけないと思います。
先生のみ言の価値が分かる霊は、
子孫がなぜ聞かないのかと焦るのです。
後孫がみ言を聞くように、目が覚めて早く聞くように願うのです。
☆
皆さん、このように考えてみてください。
学校で勉強しているところへ、
親が授業参観に来たとしましょう。
先生が何人かの子供にだけしか発表させなかった
とすれば、親はどう考えるでしょうか。
自分の子供にもチャンスを与えて、
発表させてくれたらいいのにと考えるのです。
時間がオーバーしても私の子供に
チャンスを与えてくれるように願うものです。
☆
そのように、先生は一人一人にまでも
恵みを与えてあげたいという心が常にあり、
話も長くなることがあるのです。
お医者さんが治療していて、手術の時間を
五時間と決めたけれども、五時間では治りそうもなくて、
もう一時間やれば治るという時に、
時間がきたといってやめるでしょうか。
一時間延長しても手術してあげるでしょうか。
☆
私たちは、先生のみ言が長くなったら、
十時間も話してくださる先生がかわいそうだ、
だから先生は話を短くしたらいいのにと考えますか。
そうではなく、私の体がきついから先生のみ言が入らない、
短ければもっと分かるのに長いから疲れて頭に入らない、
それが私たちが指導している教会員の考えです。
それよりも、先生がこんなに長く話されるのは、
私たちが分からないからだろうと考えるのです。
私たちが早く分かったら、
先生は短く話すこともできるのです。
そしたら先生も楽になるだろうと
考えなければいけないと思います。
☆
では、先生のみ言を短くして、先生がみ言をたくさん
語ることで苦労させないようにするためには
どうしたらいいのでしょうか。
どうしたら先生は楽になれるのでしょうか。
先生が楽になれば私たちも同時に楽になるのです。
そう考えなければいけないと思うのです。
それではどうしたら良いのでしょうか。
それには道があります。
それは、私たちがメンバーをよく教えて、
先生のみ言を聞く前に私たちのすべてを聖別して、
先生のみ言を聞くためにすべての心情を
備えるとするならば、先生のみ言は
早く終わるようになるでしょう。
☆
また、器に神の恵みを入れるのだと考えてみます。
器の汚いものをきれいにするのは私たちの仕事です。
ところが私たちが責任分担を果たさないので、
先生御自身が私たちの責任分担も
全部やってくださるのです。
自分できれいにしておいたら
一時間で器にいっぱいになるのです。
そうではないから説教は三時間もかかるのです。
U 先生の道は我々の伝統
第七章 何よりも神のものを愛す
「聖別してみ言を受ける」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
第七章 何よりも神のものを愛す
「聖別してみ言を受ける」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
☆
再編集 文責:ten1ko2
説教を語られる時間に関して、
真のお父様は、元弼先生が語られるように、
参加している食口一人一人のために
長い時間説教をされるのが、常でした。
ところが真のお母様は、
「30分以内に説教を終えて」
と指示されたこともあり、
み言も短いです。
この部分に絞ってみてのことですが、
意外にお父様の方が繊細なのかな、と思わされます。
いずれにしても、愛を動機として、
語られるみ言です。
すべてを把握することは難しいですが、
私のために必要なみ言が、必ず与えられるのだ、
そのように求めていきたいと思わされます。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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