李ヨハネ先生のみ言。
今回は、「イエス様の内的生活」より、
『天を中心として信仰する時』を紹介します。
☆
今は結実期として、私たちが天を信じる時ではなく、
天が私たちを信じようとなさる時です。
またこの時を転換期として過去の時代は過ぎ去りましたから、
サタンを前にして戦う時ではありません。
このような時であればあるほど、私たちはまず、
勝利した先祖たちのいろいろな心情を
よく知らなければならないようです。
そこでイエス様がどのように勝利され、
文先生がどのように勝利されたのかを考えてみましょう。
☆
天を中心として信仰する時
今まで私たちは、イエス様や(文)先生は、
特殊だと考えてきました。
イエス様は神の息子であり、私は罪人である
と、このように考えてきました。
しかし、それは、誤った考えです。
イエス様や先生は、事実上私たちと同じ人間です。
異なることがあるとするならば、
その方たちは、生命をささげながら
天の人のふるまいをされたということです。
そこが私たちと異なるということができます。
☆
事実、私たちは、環境に主管される
生活をしてきました。
対象が私をべっ視するならば私も気持ちを悪くし、
対象が私をよく思うならば
私もよくなるというように、
環境の支配を受けてきました。
しかし、先生は、絶対的なみ言を基準として、
どのような死の環境にあっても、
それに関係なく天の身代わりだけをされた方です。
実に一つの心だけをもたれたので
苦労の道だったのです。
もちろん、世の中の人も苦労します。
しかし、先生は苦労の種類が違います。
心変わりしながら苦労する人と、
一度決めた心を変えずに苦労する人は、
同じであるはずがありません。
一つの心をもって苦労する人は、
ほかの人が信じようが信じまいが発展します。
失敗を繰り返しながらも、一度心に決めたならば
根気よく続けていく人が大きい事業を成功させます。
☆
イエス様当時の人々の信仰は、
イエス様に対する信仰ではなく、
自分の病気を治そうという信仰でした。
イエス様のために生き、その事情を
分かち合おうとするのではなく、
イエス様が能力ある方だと聞いて、
イエス様を訪ねていって、その能力で
自分の面倒を見てくれという信仰でした。
ですから、イエス様とは通じない信仰でした。
事情が違うのに、どうして天に向かった
信仰だと見ることができますか?
「あなたの信仰が病気を治した」というみ言は、
そのように冷遇しても、治すという心が
変わらなかったので、神が願いを
成就してくださったというのです。
☆
ルカによる福音書第一八章にある、
やもめと裁判官の話も同じ意味を帯びた比喩です。
やもめが毎日、裁判官を追いかけて行って
かたきを討ってくれとせがみますから、
裁判官が「私がわずらわされないためにも、
あなたの願いを聞いてやらなければならない」
と言いながら、やもめを送り返したのです。
聖書に、その裁判官は神もおそれず、
人を人とも思わない人だと書いています。
そのような人にも変わることなく
切に願い求めるならば、み旨を成すことができるのです。
☆
ましてや今は「私の信仰とあなたの信仰が同じですから、
あなたは私の子女です」と、このように
認めようとしてくださる時ではありませんか?
あなたの信仰があなたを救う
という時代ではないというのです。
イエス様の時には、すべての人が
イエス様に相対すまいとする時代でしたから、
各自が自分の願いだけを中心としてやって来ても
受けてくれました。
たとえ病人であっても、すべての人が
そっぽを向く中にご自身を訪ねてきて、
自分の願いがかなうと信じてくれたので、
うれしくて「あなたの信仰があなたを救った」
と語られたのです。
けれども、今はそのようにしては
天と関係を結ぶことができません。
むしろ、自分を中心として自分の信仰で
自分のことだけを探し求めようとする人は、
天の怨讐になる時です。
あなたの事情とあなたの願いのゆえに
「主よ、主よ」と言う者は怨讐であるというのです。
自分を中心とした信仰は、分別のつかない時の信仰です。
今、私たちには、どのようにすれば
皆が共に信仰の勝利者になり、
心霊が結実されるのかということが問題になります。
イエス様の内的生活
諸職者(教会組織の役職者)研修会での説教
一九七七年十月二日 韓国中央修練所
諸職者(教会組織の役職者)研修会での説教
一九七七年十月二日 韓国中央修練所
☆
再編集 文責:ten1ko2
イエス様、真の父母様は
特殊である、と思ってきました。
しかし、真の父母様は
私達を『真の息子・娘」として
対してくださっています。
このことはどれほど感謝でしょうか。
そして、素直に受け入れなければならないと思うのです。
今日は、第27回七・八節です。
「天地父母天宙安息圏宣布」の貴い一日。。。
天地父母が立たれ、勝利されましたが、
本当の意味では安息されていないのかもしれません。
私は、神様、父母様に愛されている子女である、
そのことを堂々と宣布していける者になっていきたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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