2023年09月08日

言い訳の多い人とは?! 努力を尽くす人は、弁明しない 神は沈黙を守る 《夜の神様、昼の神様1》



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入山 聖基・本部伝道教育局副局長の
「夜の神様、昼の神様」の講座の連載が始まりました。

神様について、真のお父様(文鮮明先生)のみ言を
もとに、とても深くわかりやすく解説されています。

(ブレストライフに掲載されているものを
ブログ用にいくつかに分けて紹介します。)
今日は、「“私の神様”」と「夜の神様の世界」の1回目です。

“私の神様”

私たちの信仰生活は、神様との出会いから始まります。

真の父母様は「統一原理」を解明し、
堕落した人間の立場では決して見ることのできなかった
神様の姿を、誰もが知ることができるように
明らかにしてくださいました。

その姿は、さまざまに表現されます。

「創造(原理)の神」
「心情の神」
「真の愛の神」
「父母なる神」
「悲しみの神」
「復帰の神」
「沈黙の神」……。

それゆえ、神様との出会い方も一様ではありません。

「神様を知る」ということは、
一面的、一時的になされるものではありません。

私たちの生涯でさまざまな経験を経ながら、
広くて深い神様の心情に触れることを通して、
その世界は豊かに彩られていくと言えるでしょう。


私は牧会者として多くの食口(シック)と接してきました。
そこで知ったことは、信仰を持つ人々は皆、
心の中に“私の神様”を抱いているということです。

これから新しく伝道される人や、
二世・三世の皆さんにとっても、
“私の神様”との出会いが、
信仰の原点になることは間違いありません。

統一原理をはじめとする貴いみ言と
聖なる実体によって、神様と出会わせてくださった
真の父母様に深く感謝いたします。

それでは、真のお父様が晩年に語られた
「夜の神様、昼の神様」に関するみ言を基に、
「神観」を確認していきましょう。

夜の神様の世界

 神様の中には、夜の神様もいて、昼の神様もいます。
 おふたりの神様ではありません。
 『夜昼』の神様だということを
 (人々は)知らないのです。

 堕落とは何かと言えば、創造以降の創造物たちが、
 み旨を成し遂げることができなかったので、
 昼のことばかり知っていて
 夜のことは分からなくなったということです。

 皆さんは話すとき、『昼夜』と言いますか、
 『夜昼』と言いますか?(『夜昼です』)。
 分かっていることは分かっているのですね。
 『夜』が先です。


(清平(チョンピョン)特別修錬会第1000回大役事(やくじ)記念礼拝、
『トゥデイズ・ワールド ジャパン』2010年7月号2〜3ページ)

私は、「夜の神様」とは、天地創造以前の神様であり、
「昼の神様」は、創造以降の神様であると考えています。

聖書では、神様が「光あれ!」とおっしゃった瞬間から
創造が始まり、6日を経て
人間始祖アダムとエバが誕生したと説いています。

一方、科学では、宇宙の始まりを
「ビッグバン(大爆発)」とし、それから
138億年という年月をかけて宇宙が形成され、
人類が誕生したと説明しています。

これらは、昼の神様の時代に当たると考えます。

 
しかし実際は、それより、はるか以前から
神様の創造のみ業が始まっていました。

「光あれ!」とおっしゃるまでに、
創造の全体を構想する膨大な時間があったのです。
それが夜の神様の時代であるというのです。

まだ時間や空間すらない時代に、神様は、
人間(アダムとエバ)を「愛したい!」という心情を抱き、
その思いを実体化するための
構想理想を生み出すために
投入し続けていらっしゃったのです。

 

 精誠を尽くすことができない人は、
 弁明が多いのです。

 精誠を尽くす人は、精誠の度数をより大きくして
 尽くすべきことがいくらでも残っているので、
 弁明できないというのです。

 ですから、神様は沈黙を守ります。
 創世以来、今まで一言も語らず、
 精誠を尽くしているのです。

 神様は、全体のために、
 どんな存在とも関係を持てないものはない
 と言える位置に立つために、
 低い世界がより高い世界に進めるよう、
 今もさらに多くの精誠を尽くし、
 さらに多くの忠誠を尽くしているというのです。

 今、先生(父母様)が行く道も、それと同じです。
 いつも新たに出発するというのです。
 それは、新しい精誠が加重されなければ
 ならないということです。

 そこには敗者の悲しみが伴うことはありません。
 勝者の喜びだけが伴うのです。


(1996年2月18日、マルスム選集276─143)


話しているときが横的な時間だとすれば、
沈黙しているときは縦的な時間と言えます。

また、前者は昼の時間を、後者は夜の時間を象徴すると言えます。
あらゆる被造物は夜に成長するので、
人間は沈黙しているときにこそ、
内的に深く成長するのだと言えるのではないでしょうか。

神様は長い沈黙の末に、天宙をつくられました。
沈黙のとき、動きのないように見えるその時間に、
夜の神様は深い心情を込め、
精誠を尽くしていらっしゃったというのです。

そうして、永遠の新しい朝を迎えました。
それが天地創造です。
そこからが、昼の神様の時間だというのです。

さらに、沈黙は祈りにもなります。
人に思いを伝えるには、言葉を発する必要がありますが、
神様とは、沈黙しているときも通じることができます。

真のお父様は、誰よりもお話をされた、
スピーチの長時間記録の持ち主です。
一方で、誰よりも長く、深く、沈黙されたお方ではないでしょうか?

言えないことや、あえて言わないことも、
たくさんあったのではないかと思うのです。

「夜の神様、昼の神様」
伝道教育局副局長 入山 聖基
「“私の神様”」「夜の神様の世界」

シリーズ中級講座 35、36
夜の神様、昼の神様<1、2>
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=20966
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=20978
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


夜の神様、昼の神様・・・
お父様の表現って、言い得て妙ですよね。

さて、昼夜か夜昼かどちらか、というお父様の質問に
食口たちは、『夜昼です』と答えていますね。

日本では、「昼夜(ちゅうや)」といいますが、
韓国では、「夜昼」というのかもしれないと思い
調べると、「밤낮(バㇺナッ)」で、
漢字は出てきませんが、晩昼、夜昼という言い方です。

日本と韓国では、同じ意味の単語でも
順序が違うものがあるようです。
例えば、「情熱」を韓国では「熱情」
「知情意」を「情知意」と言うと聞きました。

ともあれ、夜の神様は
創造前の神様であり、
昼の神様は、創造以後の神様であるとのこと。

ということは、私たちは、
昼の神様に出会っているわけですが、
昼と夜の神様は別々というわけではなく、
夜の神様も重要であると言います。

沈黙の神様、祈りの神様、
ひたすら投入する神様がいたからこそ、
この世界が表れたということです。

ですから、私たちも、夜の時間、
すなわち沈黙、精誠と祈りの時間を
重要視してこそ、目に見える
結果の世界に具体化していくことが
できるのではないか、と思うのです。




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