2023年09月29日

理解者もいない中、主・イエスは、どうやって真実の生き方ができたのか 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生のみ言。
今回は、「イエス様の内的生活」より、
『天が共にある私になろうとするならば』を紹介します。


その次に、私たちがどのようにするならば
天が共におられる私になるでしょうか? 

イエス様がこの地上に来られて
天国人のふるまいをされましたが、
母親とよく合いませんでしたし、
洗礼ヨハネとも一つになれませんでした。
もちろん祭司長たちとも合いませんでした。

そうでありながらもご自身は、貴いみ言、
高貴なる内容をおもちになり、
天国生活をなさいました。

今、この秘訣をよく知らなければなりません。


イエス様は、独りであられました。
家庭的に、社会的に、教団から追われました。

むしろメシヤを信じてきた
イスラエルの人たちに最も排斥されました。

今日でも原理と最も対決するのは何ですか? 
仏教、儒教ですか、カトリックですか? 
すべて違います。

今、私たちは、聖書を神のみ言と思い、
昼夜抱いて生きる既成教会と
いちばん対立しているのです。


それでは、イエス様はどのように
天国生活をなさったのでしょうか? 

私たちの時代は、イエス様の時と
同じではありません。

しかし、原理を分かってみるならば、
私たちの周辺に私たちと相入れない人々が
たくさんいることを感じるようになります。

ところでイエス様は、どのようにして
そのような状況で天国生活を
なさったのかを調べてみましょう。

 
「統一原理」では、主体と対象がよく授受してこそ
神が臨在なさるといっています。

結局、主体と対象が授受することが
できなければ神が臨在なさりたくとも、
臨在できないというみ言です。

よく授け、よく受けてこそ力が生じるのです。

今私たちは息を自由にしていますから、
私たちには苦痛がありません。
しかし、授受できなくなる時には、
直ちに苦痛が臨むようになります。

私の肉身がそうであるように、私の心も同じです。
心がよく授受してこそ
天から来る愛、天から来る力を得て
生きることができるのです。

それでは、イエス様は
よく授受することのできる対象もいなかったのに、
どのようにしてそのような真の人のふるまいをし、
天の人の生活をしたのでしょうか? 

これが最も疑問になります。

諸職者(教会組織の役職者)研修会での説教 
1977年10月2日 韓国中央修練所

信仰生活シリーズ3 聖書の中の心情圏  
摂理の中心家庭に学ぶ信仰姿勢 李耀翰

U 復帰摂理の恨
「イエス様の内的生活」
天が共にある私になろうとするならば
再編集 文責:ten1ko2


イエス様は、ご自身の事情、心情を
本当の意味で分かってくれる人がいなかったので、
どれだけ辛い立場であったでしょうか。

しかし、それでも天国生活を送られたというのは、
やはり、神様と一つになっていたから、
神様の心情を中心に歩まれていたからだ、と思います。

神様抜きの人生は考えることができなかった。。。
それは真の父母様も同じだと思います。



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posted by ten1ko2 at 08:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 李ヨハネ先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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