2023年09月27日

原理は人のためならず すべては私のためにあった 《篠崎先生》



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篠崎先生の「喜びと幸せの生活伝道」
今回は、『「原理」を学ぶ姿勢』です。


「原理」を学ぶ姿勢

また、真のお父様は「原理」を学ぶ姿勢について、
次のように語られました。

「この『原理』を研究するにおきまして重大なことは、
 これがただ勉強するという観念で
 ここに参席してはいけない。

 ……その『原理』を探すための立場を君たちが
 先に立っておるという観念ですね。

 この人間の重大な問題を解決せんがために
 非常に悩みに悩んで、どうにもこうにもできない、
 その泣くような立場に立って、
 こういう重大な問題を天から、
 あるいは君たちの祈りから、
 その解決される、その瞬間に臨席する
 というような気持ちが何よりも必要である。

 そういう基準が、自分の悩みの涙の中で
 これを解決した時のその喜び、
 天に対しての感謝、自分ながらの
 嬉しさを感じるような、その気持ちを
 原理講義の中で、いかに体験するか
 ということが何よりも重大な問題である」

(『日本統一運動史』246─247ページ)


このように「原理」は私自身が探し求め、
解決すべきみ言なのです。

私たちがみ言を聞くとき、せっかく
神様が自分に語っていらっしゃるにもかかわらず、
「これはあの人が聞くべきだ」と、
み言を人に当てはめる人がいます。

まず、自らがどのようにみ言を迎えるのか、
その姿勢が一番重要です。

最初にみ言で伝道しなければならないのは、
正に自分自身なのです。

篠崎 幸郎・著
(光言社・刊『氏族伝道講座 喜びと幸せの生活伝道 み言の原点に立ち返る』より)
第一章 原理のみ言があなたに届くまで
三、『原理講論』に基づいた原理大修練会
「原理」を学ぶ姿勢

氏族伝道講座
喜びと幸せの生活伝道〜み言の原点に立ち返る(10)
(blessed lifeより)


原理は人のためならず、私のためにある。。。
伝道はまず「自己伝道」と言われるように、
み言の実体にならなければならない、と痛切に感じます。

今の私にとって必要なみ言を
天は必ず与えてくださる、
そのような確信をもってみ言を学ぶとき、
天は役事してくださると思います。

劉孝元先生が原理講論を執筆された時のような精誠、
そんな思いをもっていきたいと思うのです。


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