2023年10月01日

「死刑囚が死刑場に出ていく」ような深刻さ み言をわからないと、奪われてしまう?! 《金元弼先生》



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「死刑囚が死刑場に出ていく」
心情が、
説教者の心情である




私たちを生かし、救い、助けてくれるみ言──
み言を語る人、聞く人、
そして第3番目のその人は
私たちが取りこぼしたものを
さっと奪ってしまうとか。

金元弼(キム ウォンピル)先生のみ言。
『理想的な出会い』より、今回は、
「説教の語り方、受け方」です。


私は、きょうの皆様との出会いの時間をもつために、
一晩中、出会いの難しさを実感してまいりました。

先生は説教で、説教する人の心情を
語ってくださったことがあります。

それは、「死刑囚が死刑場に出ていく」
そういう心情であるということでした。

先生が私たちにみ言を語ってくださる時、
「先生は何もかもよく御存じであるから、
私たちにみ言を語ってくださるのは、
難しくもなんともないだろう」

というふうに皆さんは考えるかもしれませんけれども、
先生の内的な世界というものは、
死刑囚が死刑場で今から処刑される、
そういう深刻な心情であるということを
私たちは忘れてはいけないと思います。

先生がみ言を語られる時、その立場は、
この人を生かすことができるか、あるいは
よくできないことによって殺してしまうかという、
ちょうど重症患者を手術するお医者さんの立場です。

よく手術ができれば生かすこともできるし、
手術がよくできなければ人を殺してしまう、
そういう立場ですので、
先生の心は深刻な心情であるというのです。

そのように先生は、私たちに対して
真剣で深刻な心で出会ってくださるのですから、
私たちも深刻な心で
先生のみ言を受けなければならないと思います。


皆さんが人の前で語る時に、メンバーが
あなたより以上の心をもってみ言を受けようとするならば、
皆さんはどうしますか。
それを考えてみれば分かります。

説教してくれるあなたの言うことをよく聞くために、
真心込めてお祈りする、あるいは徹夜祈祷をしながら
準備する人がいるとしたならば、
皆さんはどれほど真剣になるでしょうか。
いい加減なことを話すことはできません。

話す人以上に、本当に心を込めて徹夜祈祷をして、
み言を聞く人がいるとするならば、
神の恵みは話をする人のものになってから
聞く人のものになるのではなく、
直接、聞く人のものになるのです。

話をする人は恵みを取られるというのです。
ですからそういうことがないように、
語る人は本当に真剣に心を込めなければいけないし、
そしてまた受ける人も心を込めなければなりません。

そうすると神の恵みは、語る人にもとどまるし、
聞く人にもとどまるというのです。


ところが語る人も聞く人もどちらも真剣でないと、
せっかくの神の恵みは、語る人のものにもならないし、
聞く人のものにもならないのです。

では、この恵みはどこに行くのでしょうか。
それはサタンのものになってしまうのです。
恵みがサタンに取られてしまうというのです。

神が人間にダイヤモンドを与えたのに、
誰もその価値が分からないとするならば、
それはサタンが持っていくというのです。
サタンは価値が分かるからです。

つまり、私たちがたくさんの恵みを受けたとしても、
その恵みを自分のものにできないならば、
その恵みは全部奪われてしまうというのです。

ですから私たちは、これから
良い出会いをしていくようにしましょう。

 (「理想的な出会い」1981年9月27日 ベルベディア)

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
U 先生の道は我々の伝統
第九章 理想的な出会い
「説教の語り方、受け方」
再編集 文責:ten1ko2


「死刑囚が死刑場に出ていく」
これはワシントン大会の時に、
お父様が壇上に向かわれる心情である、
ご存じの方も多いと思います。

しかし、お父様は毎回説教をされる時、
同じような心情だったのです。

お母様も大きな大会において、
あるいは、VIPたちに直接、
み言を語られる時においても、
お父様と同じ心情なのだと思います。

私たちも同じ心情を持てるように、
今回のお父様の証しを常に意識して、
説教や講義に備えていきたいと思います。
「第3の存在」に恵みを奪われるのは嫌ですからね。。。




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posted by ten1ko2 at 07:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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