2023年10月29日

生まれた時から今まで愛されていた! 母へのわだかまりが解けた瞬間 《自己牧会プログラム》



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天正宮


親に対する長年の鬱積した思いが、
自己牧会プログラムのワークを通じて、
解消されたという、祝福2世の証し
「私の人生は愛にあふれている」です。

(女性 30代)
 
私の父母は公職者(教会の職員)で、いつもみ旨で忙しくて、
一緒に過ごす時間はあまりありませんでした。

私はいつしか父母に対して、
「私が人生においていろいろと失敗してきたのは、
父母が私に投入してくれなかったせいだ」
と思うようになりました。

特に母との間には深い溝ができていました。
私は母の発した冷たい∞ひどい≠ニ感じた言葉を、
いつ、どんなシチュエーションで言われたかまで記憶していて、
み言で「怨讐」と出てくれば母を思い出す、という状態でした。

そんな私でしたが、「自己牧会プログラム」に出合って
自分を見つめ直すことができ、
み言を学んで、二世祝福を受けるに至りました。

家庭を出発し、やがて妊娠しました。
母に知らせると、
「公務を休んで、あなたのそばにいるから」
と言ってくれたので、里帰り出産をすることに決めました。

けれど蓋を開けてみれば、相変わらず母はあちこち出かけ、
み旨に奔走する毎日でした。

私ももちろんみ旨は大事だと分かっていますが、
それでも、「臨月の私がいるのに、
み旨だからといって何をしても許されるのか?」
「み旨であれば、夕食を作らなくてもいいのか?」
という思いを抑えきれませんでした。

無事に出産を終え、引き続き実家で過ごしていたある日のことです。
母がトイレに入ったまま、なかなか出てこないのです。
声を掛けると、意識はあるものの、動けなくなっているようでした。

普通の娘なら心配でパニックになると思うのですが、
その時の私には何の情の起伏もありませんでした。

ただ、「私は今、赤ちゃんがいるから何もできない。
これは救急車を呼ぶべきだ」と冷静に判断していたのです。
やがて救急車が来て、母は運ばれていきました。

自分には母親への情がない……。
そのことに衝撃を感じながらも、一方では
「それは母との心情関係が薄かったからだ」
と自分に言い聞かせていました。

10日ほどして母は無事に退院しましたが、
母に対するぎこちなさが消えることはありませんでした。

 
そんな状態のまま、一人静かにソファに座って
「自覚を取り戻す」ワークに取り組んでいた時のことです。

このワークは、
何か自分本位の考えに囚(とら)われていることに気付いたら、
「ああ、囚われている」と自覚を取り戻し、
自覚をもって目の前のあらゆる現象を見、聞き、感じ、
良心の声に耳を傾けながら、
「今この瞬間は何の不安も恐れもない、
自由・平和・統一・幸福の世界である」
とイメージしていくというものです。

私は、意識を「今ここ」に戻しながら、
実家の周りの自然の一つ一つに思いをはせていきました。

実家は海が近く、緑が豊かです。
ソファに身を預けて、波の音を聞きながら、
窓から見える5月の新緑、真っ青な空、
キラキラ光る海、
そして無事に生まれてくれた赤ちゃんと、
一つ一つその美しさ、ありがたさをかみしめていきました。

すると急に、「神様から愛されている」という思いが
実感として迫ってきたのです。


そのとき、不思議な体験をしました。

「お前は幸福だよ。
親がそばにいなかったときも、お前は不幸ではなかった」
という良心の声が聞こえてきたのです。

その瞬間、母へのわだかまりが
さーっと解けていくのが分かりました。

母を許せなかったことがどうでもよくなり、
「いついつ、こういうひどいことを言われた」
という記憶も、取るに足りないことのように思えました。

例えば、ただそこに木が立っているように、
親はただ忙しかっただけだったのです。

それを不幸だと決めたのは自分であり、
全てを親のせいにして
自分を正当化していただけだったと分かったのです。


その後も母は公務で多忙でしたが、
不思議なことに、それを見ても
イライラする気持ちが湧いてこなくなりました。

「どうぞどうぞ、行ってらっしゃい」と
母を自然に送り出すことができるようになったのです。

今はっきり言えるのは、私の人生は、
生まれたときから今に至るまで
愛に溢れていたということです。

このことを「自己牧会プログラム」が
気付かせてくれたのです。

私の心の中にいる神様 18
私の人生は愛にあふれている
再編集 文責:ten1ko2


『自己牧会プログラム』って本当に素晴らしいですね。

どんな困難な事情、環境も、
自分の心の中にいる小さな神様に尋ねれば、
必ず答えが与えられるようになっている。。。

神様が働くことのできる装置が
私たちの心だといいます。
私たち一人一人に、
誰にも良心は備えられています。

自分の心に働く神様の声を聴き、
それに従って生きることができれば、
もっともっと素晴らしい人間関係、
素晴らしい社会が築けるでしょう。

宗教2世問題として、悲しいことに反対する
2世たちがいて、家庭連合の闇の部分が
さらけ出されているようですが、
ほとんどが家庭問題だということがわかります。

愛したくても愛することができないほど
忙しくみ旨を歩んできた家庭連合の信徒たち、
公職者となれば、なおさらです。

子どもたちに寄り添うことができなかったことを
反省しつつ、
子も親も、神様の愛に包まれ
幸福を感じていくことができればと
願ってやみません。






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posted by ten1ko2 at 08:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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