李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生のお話しの続き、
「地上で情を授受できなかったイエス様」です。
☆
地上で情を授受できなかったイエス様
イエス様は、母親とも
和睦できなかったと知ることができます。
ルカによる福音書第二章を見るならば、
全家族がエルサレムへ行って帰ってくるとき、
イエス様だけあとに残って祭司長たちといて、
父母が終日捜した末にやっと出会ったではありませんか?
その時のイエス様の言葉を見てみましょう。
「どうしてお捜しになったのですか。
わたしが自分の父の家にいるはずのことを、
ご存じなかったのですか」と返答されました。
「終日、私を捜して苦労されました」という
内容は一言も言わず、冷たくあしらったのを見れば、
この日までイエス様が家族に対して
気をくさらしていたということがよく分かります。
☆
イエス様には、授受する人がいませんでした。
教会にもいませんでした。
聖書の討論をしても、年が幼いと見ると、
祭司長たちが律法をもってイエス様を
引きずり降ろそうとしました。
イエス様は天の事情を知っておられ、
み言の実体として自由な方であられるのに、
しきりに自分たちと同じ人間として
限定させようとしますから、
イエス様と教会指導者たちとは通じませんでした。
ですから、イエス様は寂しく、重苦しかったのです。
そのためかどうかは分かりませんが、
イエス様は、ナザレの向かい側にある
タボル山にしょっちゅう行って
お休みになられたといいます。
この地上でだれとも授受できないやるせなさ、
そのやるせなさをどのようにしても
解決することができませんから、
天に向かって嘆息なさるしかありませんでした。
☆
今日、私たちもやるせなくなれば、伏して祈るのです。
地上でやるせない心をだれとも
相談することができなければ、
神と相談することができる道を
開拓しようとするように、
イエス様も地上で人と授受できませんから、
神と授受するために霊界を開拓なさったのです。
実際は、これが危険なのです。
皆さんが教会長や家の中でだれとも
通じることができなくなると、
寂しいですから静かに座って
祈祷だけするようになるでしょう?
そのようにして霊界への門が
開かれるようになれば、これに神経が奪われます。
これが危険なのです。
地上で情的な基盤がないままに
天と通じるようになるならば、
その人は地上で肉身をもっていますが、
自分に協助する霊と授受して
なじむようになりますから、
この地上の人々とはますます情が通じなくなります。
結局、見えない世界となじんでいくと、
肉身を脱いだ人と同じ立場に入っていくのです。
しかし、肉身をもっている目的は、
背後の世界と関係を結ぶところにあるのではなく、
地上で他の人たちと情を通わせて
神を引っ張り降ろして侍るところにあるのです。
諸職者(教会組織の役職者)研修会での説教
1977年10月2日 韓国中央修練所
信仰生活シリーズ3 聖書の中の心情圏
摂理の中心家庭に学ぶ信仰姿勢 李耀翰
U 復帰摂理の恨
イエス様の内的生活
「地上で情を授受できなかったイエス様」
1977年10月2日 韓国中央修練所
信仰生活シリーズ3 聖書の中の心情圏
摂理の中心家庭に学ぶ信仰姿勢 李耀翰
U 復帰摂理の恨
イエス様の内的生活
「地上で情を授受できなかったイエス様」
☆
再編集 文責:ten1ko2
イエス様が孤独で寂しい方だった・・
このことを一番実感されたのは、
真の父母様でした。
777双の増田先生の有名な証しがあります。
ある集会で、一人の食口が
「イエス様はどういうかたでしたか?」
と質問をされたそうです。
そのとき、真のお父様は一瞬、天井を見られてから、
すぐに下を向かれました。
そのとき、答えはどのように発せられるのかと、
会場はシーンとなりました。
ボタボタと、水滴の落下する音がしました。
その後、再び真のお父様が真正面を向かれたとき、
それが、お父様の涙が床に落ちた音だと知ったのです。
そして、静かに語られました。
「あの男は、かわいそうな男だったよ」
この証しを読むだけで、
イエス様がいかに孤独だったか、
また、お父様がイエス様をどれほど愛し、
その心情を理解しておられたのか
感じられると思います。。。
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※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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