2023年12月07日

文鮮明師から直接のお願い──私が夫と共に、この道に来た理由 《久保木夫人*愛あればこそ》



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日本家庭連合(旧統一教会)の初代会長、
久保木修己会長の夫人、久保木哲子さんが、
9月18日に聖和されました。(430双)

Blessed Lifeで、久保木夫人の著作
『回顧録 愛あればこそ』の一部を
連載で紹介しています。

第五章 珠玉の宝石箱−宮崎開拓
文鮮明先生との出会い

やがて久保木は庭野会長と袂(たもと)を分かち、
文鮮明(ムン・ソンミョン)先生の下で
日本統一教会の会長になっていきます。

1967年7月、文先生は二度目に日本に来られた時、
久保木をなんとか祝福しないといけない
と思われたそうです。

日本で最初の祝福家庭です。
文先生がどれほど心配されたか、
後になって私は分かるようになりました。

子供が生めないとなると、祝福家庭の基台ができません。
いろいろな教会員たちに聞いてみても、
既成家庭も立派な祝福家庭の基台が
できないといけないというのです。

それで、私たちは夫婦のままでいるのは
難しいかもしれないと、
覚悟を決めざるを得ない立場でした。

久保木も、それが分かって
相当悩んだと思います。

それで、文先生は、私にこの道が
どういう道なのか言わないといけないから、
久保木に「妻をすぐに呼べ」
と言って呼び出したのです。


その頃、私は洋裁ができましたので、
義弟が作ってくれた洋装店を経営していました。

その洋装店は駅前の立地の良い店でしたので、
3人の裁断士と縫子(ぬいこ)さんを雇うくらい繁盛していました。

ですから私は好きな仕事をして、
夫のいない間でも経済的に困ることはありませんでした。


仕事をしている時、久保木から電話が掛かってきました。
そんなことは初めてでした。

「今から、すぐに教会に来なさい」
と言うのです。

洋裁の仕事というのは、
時間に追われながらお客様に納める仕事です。

それで私はびっくりして、
「突然、電話を掛けてきて、今すぐ来なさい
と言っても無理です。行けませんよ」
と言ったら、電話の向こうで、
「来なかったら知らないよ!」と言うなり、
ガチャンと切ってしまったのです。

本来、そういう夫ではないのに、
「何があるんだろう。どうしたんだろう」
と不思議に思う気持ちが湧き上がってきました。


当時、南平台(東京都渋谷区)に教会があったのですが、
それまで一度も教会に行ったことはないのです。
それで人に道を聞きながら、教会を訪ねました。

しかし、文先生の講話は既に終わっていて、
先生は2階に上がっておられたのです。

それで「私は忙しくて、すぐに帰らないと
いけないので帰ります」と言って帰ろうとしたのですが、
小山田儀(のり)子さんが「ちょっと待って。
せっかく来たのですから、文先生に
ご挨拶だけでもしていってください」と言って、
私の手をむんずとつかんで2階に連れていくのです。

そして「文先生、久保木会長の奥様が来られました」
と言って、紹介してくださったのです。


文先生はドアを開けて出てこられて、
にこにこ笑いながら、私の頭のてっぺんから
足の先まで眺(なが)め、
「あなたが久保木さんの奥さんですか」
とおっしゃり、続けて

「久保木さん、この道は、奥さん、
あなたも行かなければならない道なんです。
どうか来てください。
来てくれますね」と語られるのです。


私がその時、どういう状況であるか、
普通に考えれば、私まで教会に来る
ということは、到底できない立場です。

長男が医者に見放されています。
長男の面倒を見ないといけません。
さらに3人の子供の面倒も、
義理の両親のお世話もしないといけません。

どうして夫のように教会に行くことができるでしょうか。

ですから私が常識的な精神状態であれば、
「ああ、そうですか、文先生。
でも、今は難しいです。
もう少し子供も大きくなれば、
そういうこともできるかも分かりませんけれども、
今は無理です」と申し上げたと思います。


ところが、どうしたわけか、私にも
よく分からないのですが、
文先生のその言葉に逆らえないのです。

いざ文先生の前に立つと、なぜか家の事情は
すべて飛んでしまっていました。

言って言えないことはなかったのに、
その時はその事情を話すことができなかったのです。

文先生の言われた「奥さん、この道は
あなたも行かなければならない道なんです。
来てくれますね」との言葉に対して、

ただ「はい! 分かりました」の
一言の返事だけだったのです。

久保木哲子・著
(光言社・刊『回顧録 愛あればこそ』
〈2015年5月25日初版発行〉より)

https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=21406
スマホで立ち読み Vol.27
回顧録『愛あればこそ』3
何ヵ所か割愛しています
再編集 文責:ten1ko2


「長男の面倒」とありますが、
ご長男は小児喘息またアトピーだったそうです。

そんな大変な状況でありながら、さらには
他のお子さん、義理のご両親を置いて、
み旨の道に行かれました。

久保木先生が先駆けてみ旨に献身されたのもすごいことですが、
久保木夫人も同じようにみ旨に進んでいかれました。

久保木夫人はお父様の一言で
この道に飛び込んでいかれたのです。

教会の教理も知らず、お父様がどんな方なのかも知らず、
ただ夫を信じて、お父様の一言を信じて、
従っていかれました。

草創期の大先輩は、このような
困難な道を見事に開拓されていかれたのだ、
本当に敬服せざるを得ません。。。


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