文先生に「この道に来てくれますね」
と言われ、「はい」と
答えてしまった久保木夫人でしたが・・・
(先回の続きです)
☆
それで帰り道、どうしたらいいのか、
本当に苦悩のどん底に押しやられたような、
暗澹(あんたん)たる気持ちで家路につきました。
「そんなことできるはずがないのに……。
なぜ、今の私の事情はこうですと言えなかったのか」
と自分を責めるばかりです。
それでも、勇気を振り絞って、夫から電話があり
文先生にお会いしたことを両親に話しました。
「はい!」と返事をしたと、正直に義父に話したら、
しばらく畳に視線を落としたまま考え込んでおられました。
☆
ところが、とんでもない返事が返ってきたのです。
「そうか。文先生の言われるとおりだ。
あなたが息子の妻として、行くべきだと思ったら、
行きなさい」と言うではありませんか。
私は思いもしなかった言葉にびっくりして、
その場でただもう泣き崩れました。
義父とすれば、「今にも死ぬかもしれない
孫を置いて、どうして教会に行けるというのか。
とにかく今は無理だよ。
もう少し様子を見て、それから教会に
行ったらいいじゃないか」と諭(さと)しても
おかしくない立場なのです。
私は当然、義父はそう言うだろうと
推測していました。
しかし、私たち夫婦は7年間も
別居生活を送っているわけですから、
義父は親として、息子夫婦を
どうしてやったらいいのか思い悩むけれど、
実際にはどうすることもできなかったのです。
ですから義父にしてみれば、
私たちは実に「悩みの種」そのものだったのです。
☆
義父は「子供は心配しなくていい。
死ぬようなことになるかもしれないが、
天のみ意(こころ)があれば、
生かされるかもしれない」
と悟り切ったような語り口でした。
というのも、宗教が違うとはいえ、
両親は信仰者です。
人知では計り知れない天の事情こそが
優先されるべきだとの基本姿勢を持っていました。
今思えば、すごい信仰者だと頭が下がります。
両親にとっても文先生のご来日で、
文先生が私たち夫婦に対しても
考えてくださっていることを
知る契機になったように思います。
☆
なお義父に話した翌日、私の店を作ってくれた
義弟のところに行って、
義父に話したのと同じように話しました。
義弟は「親父が姉さんにそう言ったなら、
僕は何も言えない。姉さん、行ったらいいよ」
と言うではありませんか。
「店のほうは、誰か信用のできる人を
雇えば何とでもなる。
子供の面倒は僕たちが見てあげるから」
と言ってくれたのです。
義弟はとても家庭的な人で、
家庭を大事にする人ですから、
「父親がいない子供たちはかわいそうだ。
その上、姉さんまで行ったらどうするの?」
と当然、そう言われると思っていたのに、
信じられない奇跡のような出来事でした。
義弟の妻は、実は私の妹なのです。
兄弟同士が結婚したという、
本当に珍しい両家の縁は深いものがあるのでしょう。
私が教会に来られたのも、
このような背景があったからなのです。
☆
この時、長男は小学4年生の2学期の終わりから
3学期まで、長期入院が続いていたのです。
長男はあまりにひどいぜんそくのため、
肺機能がすっかり痛めつけられ、
そこに結核菌がついて小児結核を併発していました。
長男は一晩中、苦しがっていました。
ろうそくのようにやせ細り、医者からは
「もうだめかもしれない。
好きなようにさせてあげなさい」と言われ、
入院先から帰されたばかりでした。
言わば死の宣告を受けたような立場です。
息子は肩を大きく上下させて、肺に異物が
詰まったようにヒューヒューと音を出して
苦しい呼吸をしていました。
呼吸が苦しくて横になると、余計息ができないのです。
だから、掛け布団を前に積み上げて、
うつ伏せにしていました。
そうした、あすにも死ぬかもしれない
長男を置いて、1週間の修練会に参加したのです。
結局、7月6日に文先生にお会いして、
時を置かずに8日から千葉で行われた
修練会に参加することになりました。
☆
その1週間、私は聖霊に満たされて泣き通しでした。
講義を聞いては涙を流し、聖歌を歌っては涙を流す、
お祈りしては涙がこぼれるといった、
涙の川で産湯に浸かった新生の時でした。
夫が「いつか必ず分かる時が来る。
今は黙ってついてきてくれ」
「親孝行のゆえにこの道を選んだのだ」
と言って7年間、ほとんど家には帰らなかった言葉が
鮮明に蘇(よみがえ)り、夫が統一教会に
行くことになった本当の意味を理解できたのです。
夫が何カ月かぶりに帰ってきた時、
「あなたは親不孝ですよ。
どれほどおじいちゃんやおばちゃんが
心配しているか、分かりますか?」
と聞いたことがあります。
その時、夫は「何を言うの。
僕ほど親孝行な者はいないよ。
親父とお袋が霊界に行ったら分かる。
温泉に連れていったり、
小遣いをあげるのが親孝行ではない。
修己がやったことは本当に良かったと
喜んでくれる」と言うのです。
私はその時には分かりませんでした。
☆
修練会で、とりわけ私が感動したのは、
創造原理の「人間はみな一人一人が
神の前に個性真理体である」という言葉でした。
人間は神のそれぞれの個性を受け継いた存在だというのです。
この地上に生を受けた一人一人が貴重な「神の子」であり、
誰も取って代わることのできない唯一無二の存在だというのです。
私というのはただ一人で、スペアになる存在は
ないのだから、私が精一杯のことをして、
神のために人生を生きなければならないと思いました。
久保木哲子・著
(光言社・刊『回顧録 愛あればこそ』
〈2015年5月25日初版発行〉より)
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=21406
スマホで立ち読み Vol.27
回顧録『愛あればこそ』3(後半)
(光言社・刊『回顧録 愛あればこそ』
〈2015年5月25日初版発行〉より)
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回顧録『愛あればこそ』3(後半)
☆
再編集 文責:ten1ko2
いやぁ、強烈な証しですね。。。
家庭を持たれている状況なのに、献身されたなんて。。。
その決意たるや、凄まじいと思います。
そして、何よりもご両親がそれを認められたこと。
反対されることなく、子供たちは自分たちが面倒を見る、
そのように言われたのでした。
しかも、ご両親は、み言を聞いていません。
真の父母様がどのような方なのか、
そのことも知らなかったと思います。
ただ息子(久保木会長)を信じ、
そして嫁(久保木夫人)を信じていかれたのです。
草創期の先輩たちは、みんな
事情を超えてこの道に献身していきました。
ある意味、献身するしかなかった時代でした。
この道に来る私たち以上に
ご両親、ご家族が条件を積まれてきた
ということになるのだと思います。
久保木夫人に献身する道をあたえてくださった、
義理のご両親に心から感謝いたします。。。
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に関しては、固くお断りいたします。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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献身者は偉大ですね。自分の人生の全てを神に捧げるのですから。私達はそれが出来ないので、収入の十分の一を献金します。
それで神様への感謝と神の為に働いたと言う条件にしてもらいます。
宗教を信じる人の多くは、自身の救済の為に信仰する人が多い様な気がします。念仏を唱えて現世で病気を直したり、願いを叶えたり、戒律を守って、来世での幸福を望んだり、自信が救われる為に祈り、教会に行ったり、
しかし家庭連合は自身が救われるのはもちろんですが、自分はもちろん自分の家庭まで犠牲にして、世界の為、他人の為に働く人が多い気がします。
それはやはり教祖がその様な人生を歩んだからでしょうか。