真のお父様(文鮮明先生)にお会いしてから
2日後に、7日間の修練会(セミナー)に
参加した久保木哲子夫人でしたが──
☆
第五章 珠玉の宝石箱−宮崎開拓
夏季40日開拓伝道
夏季40日開拓伝道
当時は、1週間の修練会が終われば、
すぐに21日間の特別修練会に
参加するようになっていました。
それで、特別修練会に参加しようとしたのですが、
7月20日からの夏季40日開拓伝道に
(先に)行くように言われたのです。
開拓に行くようにと言われても、
開拓というのが何をするものかが分かりません。
1週間の修練会に出ただけで、
お祈りもまともにできません。
そういう中で、40日開拓伝道に行くように言われたのです。
死にそうな子供を置いて、
開拓伝道に行くことになったのです。
私の旧姓が宮崎でしたので、
宮崎に行くことになりました。
今のように、どこにでも教会のある時代ではありません。
まだ地方にはほとんど教会がない時代でした。
全国に拠点をつくるために
開拓伝道が毎年行われていたのです。
☆
その開拓伝道に行くに際し、家に帰って両親に報告しました。
すると両親は、「開拓伝道に行くのはいいけれど、
どこか近い所でやらせてもらえないのか。
宮崎はあまりにも遠い」と言うのです。
今のように、東京から飛行機で1時間ちょっとで
行けるような時代ではありません。
東京から福岡まで夜行列車で行き、
福岡で1泊して、そこから宮崎に行くのです。
2日がかりで行く遠い所です。
長男は、病院から見放されて家にいます。
小児結核で、肺にも水が溜(た)まって苦しい状況です。
うつ伏せになって肩で呼吸をしている状態の子供を置いて、
開拓に行かなければならないというのは深刻でした。
息子は、大きな目に涙をいっぱい浮かべて、
「母さん、行かないでー」と
泣きながらすがりついてきました。
☆
その時、私は神様に談判祈祷しました。
「天のお父様、この子は生まれた時から病気を背負って、
きょうまで苦しむためにこの世に来たようなものでした。
私は、親としてやれるだけのことはしたつもりです。
でも、この子の生命は、どうすることもできません。
この子が、これだけの運命であるならば、
あなたが召してください。
もし、この子に使命が残っているならば、
あなたが助けてくださるでしょう。
私は、すべてをみ手にゆだねて開拓に行きます」
神がアブラハムに命令した「汝(なんじ)のイサクを捧げよ」
ではありませんが、開拓伝道の天命に従っていくとき、
旧約の歴史に出てくるアブラハムやモーセの
心情の一端を感じた気がします。
☆
そして、子供に次のように
よく言い聞かせて出発したのです。
「ママが開拓伝道に行く宮崎には、
誰も知っている人がいないのよ。
そして、一銭のお金も持たずに
神様のお仕事をしに行くのよ。
あなたは、本当にわがままで、
いつも給食のパンの耳を捨てていたけれども、
この教会の人たちは、そのパンの耳で
今日までやってきたのよ。
あなたが捨てていた給食のパンの耳すら、
ママが宮崎に行ったら食べられないかもしれないのよ。
だから、ママのために、
あなたもお祈りをしてちょうだい」
そうして、泣きすがる子供を置いて、
先輩の梶栗惠李子(えりこ)さんと開拓に出ていったのです。
宮崎駅のホームに降り立った時の
深緑の鮮やかさが、今も鮮明に思い出されます。
☆
夫が統一教会に行ってから、いくら苦労したと言っても、
一円のお金で困ることはありませんでした。
夫の収入がなくなったといっても、両親の経済的な
基盤があり、私自身も洋裁の仕事をしていました。
ところが、この宮崎では一円のお金の貴さを
身にしみて感じさせられたのです。
☆
宮崎に着いた私たちは、3日間は飲まず食わずで、
駅のベンチで寝、一晩じゅう
蚊に悩まされながら過ごしました。
また、学校の宿直室に泊めてもらうなど、
3日間は野宿や野宿同然で休みました。
3日間、何も食べていないので、
おなかはもうぺこぺこです。
水を飲むだけで、自然断食でした。
神様は、つらい悲しい神様の心情を
体恤(たいじゅつ)させるために、
最初から(は)館(やかた)を与えてくださらなかったのでした。
☆
4日目を迎えた時です。
梶栗さんが「聖地を決めないで、
自分たちの寝る所を探していたことが、
間違っていた」と言うのです。
そこで、「八紘一宇(はっこういちう)」の碑がある
平和台公園に聖地を定め、そこで大地を叩(たた)きながら
「この地の義人、聖人を立てさせてください」
と祈りました。
その後に、館が見つかったのです。
☆
館が見つかったといっても、それまで3日間、
いつも通っていた道沿いにあった家でした。
それまでは、玄関に下げられていた移転の案内板が、
なぜか目に留(と)まらなかったのです。
そこは、元は医者の家で、今は
大きなビルに引っ越ししたため空いていたのです。
その家を訪ねると、おばあさんが出てきました。
その時は、おなかが空いて
玄関にへたり込むような状況でした。
小さな部屋を一つ、40日間貸してほしい
とお願いしましたが、断られました。
それでも、物置の隅でもどんな所でも
かまわないので貸してほしいと必死に頼み込むと、
そのおばあさんは気の毒に思ったのか、
「本当に40日だけですよ」と言って
貸してくれることになったのです。
部屋に入ると、そのおばあさんは
冷えたスイカを出してくれました。
その時のスイカのおいしかったこと、
生涯忘れることができません。
スイカが、本当におなかにしみ渡っていきました。
☆
そして、立派な二組の布団、二つの茶碗と箸(はし)、
電気コンロ、まな板、包丁、皿、鍋、やかん、
食器一式を揃(そろ)えてくれたのです。
梶栗さんは福島など2回開拓伝道の経験があったのですが、
びっくり仰天して、「これは開拓ではありません。
このような恵まれた開拓伝道は、
初めてです」と言うのです。
住所が決まったことを家族に伝えると、
よくここまで気が付いてと思うほど、
いろいろな生活必需品がダンボールで送られてきました。
本当に親兄弟というのは
ありがたいものだと心から感謝しました。
これにも梶栗さんは再びびっくりして、
「こんなのは開拓ではありません」と叱(しか)られましたが、
「巡回師さんが来られたら、九州で苦労している
兄弟のために持っていっていただきましょう」ということになりました。
開拓というのはみんな1人でするもので、
私たちのように2人でするのは例外中の例外でした。
久保木が「1週間だけの修練で行くので、
開拓というものを知らないから一緒に行ってくれ」
と梶栗さんに頼み込んだのだそうです。
久保木哲子・著(光言社・刊
『回顧録 愛あればこそ』
〈2015年5月25日初版発行〉より)
第五章 珠玉の宝石箱−宮崎開拓
夏季40日開拓伝道
スマホで立ち読み Vol.27
回顧録『愛あればこそ』4
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=21504
(Blessed Lifeより)
『回顧録 愛あればこそ』
〈2015年5月25日初版発行〉より)
第五章 珠玉の宝石箱−宮崎開拓
夏季40日開拓伝道
スマホで立ち読み Vol.27
回顧録『愛あればこそ』4
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=21504
(Blessed Lifeより)
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再編集 文責:ten1ko2
「こんなのは開拓ではありません」
と語られた梶栗夫人、まさに烈女ですね。。。
大きな宗教団体の幹部夫人だった久保木夫人に
このようなことを話されるなんてと思いますが、
開拓伝道はまさに内外共に過酷だったんだな、と感じました。
そして、そういうところに愛するお子さんを置いて、
開拓伝道をされた久保木夫人、本当に頭が上がらないです。
でも、写真も載ましたが、
笑顔で元気よく出発された姿に
天がどれだけ喜んでおられ、
慰めておられるか、と感じるのです。
※ 当ブログ記事の転載、拡散について
その際は、リンクを貼っていただくか
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なお、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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