久保木夫人の自叙伝、
開拓伝道の後半になります。
☆
第五章 珠玉の宝石箱−宮崎開拓
夏季40日開拓伝道
夏季40日開拓伝道
館が決まると、すぐに電話帳を開いて、
近くの廃品回収屋さんを探しました。
そこに電話を掛けてリヤカーを借り、廃品回収をするのです。
どのようにするのか、私は分からず、
ただ梶栗さんについて歩くだけでした。
連日の猛暑の中、お風呂に入るのは、
1週間に1度、聖日の前夜だけでした。
お風呂に満足に入れない生活も初めてで、
毎朝4時に起きてお祈りをするというのも初めてでした。
お祈りを終えた後は、家の前の道路と家の中を掃除します。
2人で朝拝をした後、パンの耳を食べて
廃品回収に出掛けるのです。
夕方は、繁華街に出ていって路傍伝道をしました。
その頃の廃品回収は、古雑誌、古新聞、空き缶、
空き瓶(びん)などをもらって、
それを廃品回収屋さんに持っていき、
それをはかりで量ってもらってお金を頂くのです。
☆
1日目の廃品回収は、2人で約500円少し。
2日目は700円くらいでした。
今から40年前のことです。
当時、ピーマン一山が10円という時代でしたから、
500円、700円といえば、私たちにとっては大金でした。
その廃品回収で得たお金で最初に買ったものは、
講義をするための黒板とチョークと黒板消しでした。
おなかが空いていましたが、食料を買う前に、
み言(ことば)を伝えるために必要なものを揃えたのです。
それらを購入すると、廃品回収で得たお金は
全部なくなってしまいました。
☆
夕方は「ご通行中の皆様!」と大きな声を張り上げて、
路傍伝道をしたのです。
その結果、夏休み中の高校生が
何人か講義を聴くことになりました。
私は講義ができないので、梶栗さんが講義を担当します。
私が1人でできることといったら、廃品回収しかありません。
しかし、廃品回収を1人でするのは心細い限りでした。
しかも私は方向音痴で、あちこち回っているうちに
帰る所が分からなくなってしまうのです。
☆
このようなときは、神様に必死に
お祈りをする以外ありませんでした。
親である神様は、霊的によちよち歩きの
赤ん坊に対して、目を離すことはできません。
歩き出した赤ん坊から、
母親は一瞬も目が離せないのと同じです。
本当に神様は、私をそのような
幼子の立場で見守ってくださいました。
ですから、その頃は、祈ればすぐに
その祈りは聞いてもらえたのです。
神様との身近な体験というのは、
あの開拓伝道でなければできなかったのではないでしょうか。
草創期は、今とは少し違った意味で、
祈れば神様が応えてくださった時代でした。
☆
(3日目は)十分なお祈りはできないのですが、
「神様、きょう私は1人でこのリヤカーを引いて
廃品回収をしますが、よろしくお願いします」
と祈って出発しました。
廃品回収屋さんからリヤカーを借りたのですが、
遠くへ行ったら館に帰られる自信がないので、
すぐ近くから始めました。
リヤカーを引くのは大体、男性と決まっています。
それで若い女性がリヤカーを引く姿を、
人々は不思議そうに見るのです。
「今、私は神様の聖業のために
リヤカーを引いているのです」
と自分に言い聞かせて、
恥ずかしさを吹き飛ばしました。
☆
その借りたリヤカーは、タイヤがパンクしていて
使えないリヤカーでした。
でも、その日はそれしかなかったため、
無理を言って貸してもらったのでした。
ガチャンコ、ガチャンコという音を立てながら
リヤカーを引きながら家を回り始めると、
4軒目くらいの家で「リヤカーか何か、
持っているの?」と聞かれたのです。
持っていることを伝えると、
「では、反対側にリヤカーを着けなさい」
と言うのです。
勝手口のほうにリヤカーを着けると、
大きな物置きがあり、その中に、
もう茶色に変色した新聞が山のように積んでありました。
「これ、みんな持っていきなさい」と言われて
リヤカーに積むと、その1軒だけで
リヤカーの3分の2くらいになりました。
その後、銅の風呂釜を回収すると、
リヤカーはいっぱいになりました。
銅の風呂釜は高価なものでしたが、
その時はそんなことは知りません。
こんな重たいものをと思ったのですが、
持っていけと言われるのでリヤカーに積み、
頂いてきました。
しかし、パンクしたリヤカーに載せて戻ってくる道は、
どれほど大変であったか知れません。
タイヤが溝に入って動かなくなったり、
下り坂になると荷物の重さで加速度がついて止まらないのです。
電信柱にぶつけてようやく止まりましたが、
あんなに恐ろしい体験をしたのは初めてでした。
☆
3日目は1人でしたのに、千三百余円になりました。
廃品回収屋さんも梶栗さんも、びっくり仰天です。
「お母さん、やればできるじゃないの」
と梶栗さんに言われると、私もその気になってきます。
それで廃品回収なら私にもできると思って、
毎日しました。
毎日が、無我夢中であったため、
家や子供のことはすっかり忘れていたのです。
☆
40日の半ば頃に、家から葉書が届きました。
それは、義父と子供からでした。
長男の文面には、
「母さんが開拓伝道に行ってから、
僕の発作は一度も起こらなくなりました」
と書かれていました。
義父からも、「あなたが開拓伝道に行ってから、
孫の発作は一度も起こらないで、
日に日に元気になっている。
心配しないで、神様の仕事を
一生懸命に頑張るように」と記されていたのです。
それを見た瞬間、
「神様が私の祈りを聞いてくださった」
と初めて確信しました。
それまでは「この子の病気を治してくれたら、
統一教会の神を信じましょう。
治してごらんなさい」といった
傲岸不遜(ごうがんふそん)な祈りをしていました。
神様にしてみたら「そんな祈りを聞けるものか」
という失礼極まりない祈りでした。
私は、梶栗さんと抱き合って泣きました。
そこで「切れば血の出るような『統一原理』はすごい」
と実感したのです。
「原理」は生きている、
原理原則というものが厳然としてある
ということを体験したのです。
☆
40日間の開拓伝道を終えて帰宅すると、
青白くて骨と皮だけしかないほどやせていた長男は、
見違えるように、日に焼けて真っ黒になっていました。
義弟に連れられて富士山の近くにある
山中湖へ泳ぎに行ってきたというのです。
その息子の姿を見て、本当に神様に感謝を捧げました。
夫と私は、7年の歳月の後、
やっと神様の願いを中心に心を一つにして
歩むことができるようになったのです。
そうなって初めて子供に
手を差し伸べることのできた神様でした。
夫婦が一つになるまでは、
働きたくてもできなかった神様であったのです。
☆
孟子の言葉に
「天のまさに大任をこの人に降(くだ)さんとするや、
必ずまずその心志を苦しめ、その筋骨を労せしむ」
とあります。
天が使命をその人物に与えようとすると、
必ず最初にその人の精神を崖っぷちに
追いやり苦しめ、鍛え上げる。
さらに精神だけでなく筋骨を痛めつけ、
疲弊の極みにまで押しやる。
天がその人物を鍛えて発奮させるため、
あえて苦難を送ったのだという意味です。
後から振り返って見ると、この道に来るという
「大任」を全うさせるため、すべては
天から与えられた試練だったような気がします。
☆
文(ムン)先生とお会いした2日後に1週間の研修、
すぐに開拓伝道40日、特別修練会21日、
千葉での献身的生活4カ月、そして祝福。
結局、数えてみると、7年をちょうど
7カ月に圧縮して条件を立てて祝福を頂いたのでした。(1968.2.22 430双)
文先生にお会いしてからの私の運命は、
まるで特急列車に乗せられたようなものでした。
久保木哲子・著(光言社・刊
『回顧録 愛あればこそ』
〈2015年5月25日初版発行〉より)
第五章 珠玉の宝石箱−宮崎開拓
夏季40日開拓伝道
スマホで立ち読み Vol.27
回顧録『愛あればこそ』4
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=21504
(Blessed Lifeより)
『回顧録 愛あればこそ』
〈2015年5月25日初版発行〉より)
第五章 珠玉の宝石箱−宮崎開拓
夏季40日開拓伝道
スマホで立ち読み Vol.27
回顧録『愛あればこそ』4
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=21504
(Blessed Lifeより)
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再編集 文責:ten1ko2
いやぁー、本当に凄まじい歩みですね。。。
リヤカーを引くことは女性でも稀なのに、
しかも一介の女性ならまだしも、
元大宗教団体の幹部夫人です。
そういう方が、簡単なことではなかったと思います。
真のお父様に出会ってしまったから、
そして神様を知ってしまったので・・・
まさに超特急に乗せられたという表現が
ぴったりなのかもしれません。
しかもみ言をほとんど知らない中で、
最前線で歩まれた久保木夫人でした。
息子さんの病が治ったというのは、
本当に奇跡といってもいいと思いますが、
ご本人やご家族が実感されているように
きっと久保木夫人(夫妻)の歩みゆえに、
そのように神様が働かれたに違いありません。
大先輩たちのご苦労の歩み、
そのことによって、
今の時代が築かれていると思うと、
感謝に堪えません。。。
※ 当ブログ記事の転載、拡散について
その際は、リンクを貼っていただくか
当ブログ名とURLを記載して頂くようにお願いいたします。
なお、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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原理にはこうあります。
「神は自ら立てられた法則を、自ら無視するという立場に立たれる事は出来ないのである。」
自然世界は法則によって動いているように、無形世界もまた原理の法則によって動いているのですね。
「復帰摂理は、神の力によってのみ成就されるのではなく、人間の責任分担と一つになって初めて完成される」
「また「イスラエルから出た者が全部イスラエルなのではない」と証言したのであったロマ九:6。
このみ言はつまり、神のみ旨の為に生きもしないで、ただアブラハムの血統的な子孫であるという事実のみをもって、選民であるとうぬぼれているユダヤ人達を叱責したみ言であったのである。」
これは私達にも言える事で、神のみ旨の為に生きもしないで、ただ祝福を受けて、原罪を脱いで天国に行けると思っているのは祝福家庭ではないと言えると思います。
ならば私達は先輩方の伝統を受け継いで、お父様が天より、お母様が地にて役事されているこの一瞬の時を逃さず、それ以上に神のみ旨の為に働いて行きたいと思うのです。
「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」
もし心に一点の私心なく、平和のために、神の為に働いているのなら、何も恥じる事はありません。
応援しています。