2024年01月04日

For you, not for me! 愛される私になるためには 心と体が一致しない2 《金元弼先生のベストアンサー》 



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心と体が一致しない私たち、
見えない神様と一つとなるためには、
どのようにしたらいいのでしょうか。

人を中心としてではなく、
神を中心として一つとなるためには、
まず、メシヤと一つとならなければなりませんが──

金元弼(ウォンピル)先生のみ言、
「完全な救い」の2回目
「神が人間に与えた愛の型」です。

神が人間に与えた愛の型

これから私たちがしなければならないのは、
メシヤのみ言をいかに実体化するかということです。

み言の中心は神の愛であり、神の愛は、
私のためにではなく、皆様のためにということなのです。

真の愛は、神のためにささげる愛です。
神は人間のために、主体は対象のために、
対象は主体のために働くのです。

神があれば、神の実体対象の世界があります。
それは人類を中心とした世界になります。


神の愛は小さくは私個人のため、私の家庭のため、
私の氏族のため、私の民族のため、国家、
世界、天宙のためにということになるのです。
そして、神のためにあるのです。

愛というのは、ためになるということです。
自分のためではなく、神が愛する
個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、
天宙のためになるということです。
受けることではなく、与えることです。

神が人間に与えた愛の型は、自分のためにではなく、
対象のために与えるということです。


だから、神を愛するということは、
神のために自分の愛を与えることです。
天宙の中心である神に、天宙的な愛を与えなければなりません。

個人的には個人の愛を、家庭的には家庭の愛を、
民族的には民族の愛を与えなければならないにもかかわらず、
堕落した人間は神に愛を与えないで、
自分のために神の愛を受けようとしたのです。

愛の中でも最高の愛は、人間の世界から見れば
天宙の愛、天宙の根本である神に対する愛が、最高の愛です。

私が兄弟を愛するということは、兄弟のためになるということです。
神が愛する人を愛するということです。
国家を愛するということは、神が愛する国を愛するということです。


メシヤと一致した私になるためには、
メシヤに愛される私にならなければなりません。

愛される私になるためには、愛さなければなりません。
ところがメシヤと私たちは一緒の生活圏内にはいないのです。
メシヤは基準を立てていて、メシヤのみ言の基準は
私たちと一緒にあるけれども、実体は一緒にありません。

ゆえに、メシヤが愛する人を愛するということが、
すなわちメシヤを愛するということになるのです。


私が完成したかということを
どのようにしたら確認できますか。

自分は神が愛する人のために、国のために、
世界のためにいかに心を尽くしたかということによって、
自分自身の基準が分かります。

完成には段階があり、個人の完成は完成とは見ないのです。
個人は完成していても家庭は完成していないのです。

それ自体として完全であっても、一つの目的を
中心として見れば、部分的な完成であって、
全部完全なものとして組み立てられた時、
初めて完成したといえるのです。

私たち個人というものは、天宙の一つの基本単位です。
これが合わさって、完成という
創造の理想の完成が現れてくるのです。

U 先生の道は我々の伝統
第十二章 完全な救い
「神が人間に与えた愛の型」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題

再編集 文責:ten1ko2


「メシヤが愛する人を愛するということが、
すなわちメシヤを愛する」

メシヤが愛する人とは、
誰でしょうか。

アベルに立つ者だけを愛する
真の父母様ではありません。
万民を愛される真の父母様です。

そして私たちにも
同じ目線で見つめ、愛してほしい
と願われているのです。

天心苑での徹夜精誠も
そんな天の切実な叫びを感じる場だと思うし、
愛の心情を高める場であるとも思うのです。

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posted by ten1ko2 at 10:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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