心と体が一致しない私たち、
見えない神様と一つとなるためには、
どのようにしたらいいのでしょうか。
人を中心としてではなく、
神を中心として一つとなるためには、
まず、メシヤと一つとならなければなりませんが──
金元弼(ウォンピル)先生のみ言、
「完全な救い」の2回目
「神が人間に与えた愛の型」です。
☆
神が人間に与えた愛の型
これから私たちがしなければならないのは、
メシヤのみ言をいかに実体化するかということです。
み言の中心は神の愛であり、神の愛は、
私のためにではなく、皆様のためにということなのです。
真の愛は、神のためにささげる愛です。
神は人間のために、主体は対象のために、
対象は主体のために働くのです。
神があれば、神の実体対象の世界があります。
それは人類を中心とした世界になります。
☆
神の愛は小さくは私個人のため、私の家庭のため、
私の氏族のため、私の民族のため、国家、
世界、天宙のためにということになるのです。
そして、神のためにあるのです。
愛というのは、ためになるということです。
自分のためではなく、神が愛する
個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、
天宙のためになるということです。
受けることではなく、与えることです。
神が人間に与えた愛の型は、自分のためにではなく、
対象のために与えるということです。
☆
だから、神を愛するということは、
神のために自分の愛を与えることです。
天宙の中心である神に、天宙的な愛を与えなければなりません。
個人的には個人の愛を、家庭的には家庭の愛を、
民族的には民族の愛を与えなければならないにもかかわらず、
堕落した人間は神に愛を与えないで、
自分のために神の愛を受けようとしたのです。
愛の中でも最高の愛は、人間の世界から見れば
天宙の愛、天宙の根本である神に対する愛が、最高の愛です。
私が兄弟を愛するということは、兄弟のためになるということです。
神が愛する人を愛するということです。
国家を愛するということは、神が愛する国を愛するということです。
☆
メシヤと一致した私になるためには、
メシヤに愛される私にならなければなりません。
愛される私になるためには、愛さなければなりません。
ところがメシヤと私たちは一緒の生活圏内にはいないのです。
メシヤは基準を立てていて、メシヤのみ言の基準は
私たちと一緒にあるけれども、実体は一緒にありません。
ゆえに、メシヤが愛する人を愛するということが、
すなわちメシヤを愛するということになるのです。
☆
私が完成したかということを
どのようにしたら確認できますか。
自分は神が愛する人のために、国のために、
世界のためにいかに心を尽くしたかということによって、
自分自身の基準が分かります。
完成には段階があり、個人の完成は完成とは見ないのです。
個人は完成していても家庭は完成していないのです。
それ自体として完全であっても、一つの目的を
中心として見れば、部分的な完成であって、
全部完全なものとして組み立てられた時、
初めて完成したといえるのです。
私たち個人というものは、天宙の一つの基本単位です。
これが合わさって、完成という
創造の理想の完成が現れてくるのです。
U 先生の道は我々の伝統
第十二章 完全な救い
「神が人間に与えた愛の型」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
第十二章 完全な救い
「神が人間に与えた愛の型」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
☆
再編集 文責:ten1ko2
「メシヤが愛する人を愛するということが、
すなわちメシヤを愛する」
メシヤが愛する人とは、
誰でしょうか。
アベルに立つ者だけを愛する
真の父母様ではありません。
万民を愛される真の父母様です。
そして私たちにも
同じ目線で見つめ、愛してほしい
と願われているのです。
天心苑での徹夜精誠も
そんな天の切実な叫びを感じる場だと思うし、
愛の心情を高める場であるとも思うのです。
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※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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