心と体が一致しない私たち、
見えない神様と一つとなるためには、
どのようにしたらいいのでしょうか。
金元弼(ウォンピル)先生のみ言、
「完全な救い」の3回目
「天宙的な自分を形成したか」
☆
天宙的な自分を形成したか
メシヤを中心として、いかに為に生きる私になったか、
メシヤの願いにかなった、
天宙的な自分を形成したかということが問題です。
兄弟のために生きたら、兄弟は私を嫌がりません。
それが実証です。
今、私たちはみ旨の前に、人類のために活動しています。
メシヤを中心として、一致していく完成の道なのです。
☆
私はこれをしたいと喜んでやる人も、
義務と使命感で、神はこうであるから…
としてやる人も、本質においては同じです。
人のために、私の愛をささげるのです。
人のためになったということは生きがいとなります。
心が良くなります。
その確証としては、自分が完成していく過程において、
本当に良かったという生きがいを感じるのです。
完成の確証というのは、人々が私を好むようになるか、
嫌がるかで分かります。
私を好まないというのは、
ためにならないから好まないのです。
人はその人のためになってくれる人を好むものです。
☆
メシヤが、私たちにこれをしなさいと言われます。
そして動けば発展するのです。
動くということは作用することであり、
作用するということは、授受することであり、
授受したら繁殖します。
神から受けた愛を発展させるためには、
人のために生きるという心を
発展させていかなければなりません。
個人のために成功すれば家庭の中に、
家庭のために成功すれば氏族の中に、
このようにして天宙のために、神のためにと、
完成という基準に向かっていくのです。
これがありがたい指導者です。
偉大なる指導者は何のために
私たちを導いていくのですか。
次元の大きい道へ導いていく人が良い指導者なのです。
U 先生の道は我々の伝統
第十二章 完全な救い
「神が人間に与えた愛の型」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
第十二章 完全な救い
「神が人間に与えた愛の型」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
☆
再編集 文責:ten1ko2
自分たちは、本物だ!
それは私たちが思うより、
周りの人達に思ってもらうことが重要です。
人の為に生きる、と言いながら
本当の意味で、社会に貢献する私たちなのか、
そのことを問わなければならない時を迎えています。
神様なら、お父様なら、イエス様なら、
どのように与えていかれるのだろうか、
そのことを意識していきたいと思うのです。
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※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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行われた奇跡はむしろ本当かな何かの比喩かなと言う思いしかありません。
それと同様に、御父母様の話された言葉となされた行動を見て、このお方は本物だと確信いたしました。