李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生
☆
ゲッセマネの三次の祈祷の意味もう一度考えてみなさい。
「苦杯を免れさせてください…」。
その次はどのようにしてくれというのですか。
とにかく十字架が恐ろしいから……。
これは話になりません。
それでは、どのようにしようというのですか?
ペテロとヨハネとヤコブが
あのように居眠りしていますが、
彼らは肉身が疲れているから居眠りするのであって、
心に力を得る日には私と共に死ぬ人だから、
少しだけ延期してほしいという頼みなのです。
ところが再び来てみるとこっくりこっくり
と居眠りしていますから、実に切ないことなのです。
それで再び来られては
「目覚めていなさい。
目覚めていなさい。
お前たちだけでも私と共に
試験され得ない人になるならば、
十字架が私から過ぎ去ることができる」
と思いながら目覚めさせておき、
再び神に「神様、できることならば
十字架を免れるようにしてください」
という祈祷をささげ、
再び来てみるならば、再び居眠りしています。
結局、イエス様は、最後にこの闘いをなさったのです。
☆
この三弟子がマグダラのマリヤほどに
心情的に連結されたならば良かったのに……。
皆さん、マグダラのマリヤをご存じですね?
過越の祭の前夜にイエス様の前に
痛哭していたマリヤ。
私は、その女性をみ言の実体だと呼びたいのです。
本当にイエス様の人、
イエス様の前に記念すべき女性だと考えます。
☆
イエス様がゲッセマネの園に行かれる前夜
ベタニヤのラザロの家に寄ったとき、
彼の妹のマルタとマリヤが
イエス様に夕食をもてなすと語ったことがありました。
そのとき、マルタは台所に行って
早く準備したのですが、
マリヤは自分が持っていた
最も貴重な香油をイエス様の足に注ぎました。
イスラエルの娘にとって香油はとても貴いものです。
婚姻する娘がつけなければならない
最も貴いものだということです。
横にいる人たちが一言言いますから、
イエス様が「私の葬儀をする日のために
そうしているのだから、
そのままにしておきなさい」と語りました。
これを見るならば、マリヤは、
イエス様が一人で心を痛めておられ、
心配なさっていたその胸の内を知り、
自分ができる最善のことをしたわけです。
☆
皆さん、「夫」や「新郎」という
名前を得ることが易しいと思いますか?
主体である男性がどれだけ出来が良くても、
対象なしには資格を得ることができません。
女性もまたそうなのです。
自分がどれだけ出来が良くても
一人では、新婦という言葉を聞き、
母になる可能性がありません。
結局、対象のゆえに祝福を受けるということなのです。
☆
イエス様もご自身がどれだけ出来が良かったとしても、
イエス様を「私の主よ! 私の新郎様よ!」
と迎える人がいなければならないというのです。
それではイエス様を迎える人はだれですか。
出来が良かろうが悪かろうが罪の中にある人たち、
すなわち、この世の中の人たちが主を迎えてこそ、
イエス様が救世主になれるのです。
相対性を帯びているということなのです。
ですから、私たちの主は、アベル側に属する主にも、
カイン側に属する主にもなるというのです。
これが原理の始まりでもあります。
アベル側だけが迎えてはいけません。
もちろん、アベルが私の仲保者になったりもしますけれども、
対象がいなければ私が立つ位置がありません。
☆
イエス様の切なる願いは、この地上で
「私であり君である」ということのできる人を
探し求めることでした。
イエス様は、ゲッセマネの園で三弟子を前にして、
原理的に切実に神の前に祈ったのです。
ところが、三弟子はこっくりこっくり
居眠りしていますから、
いかばかりはがゆかったでしょうか。
ですから、しきりに目覚めさせたのです。
「起きろ、目を覚ませ。
試練に陥るな。
目覚めていて祈祷しよう」。
そして、神の前に再び祈祷しました。
ペテロであり、ヨハネであり、ヤコブであり、私である
という関係、すなわち、「君であり私である」
といえるならば、父のみ旨が地上に
成されるのではないのかと考えられたのです。
☆
イエス様は、ご自身が死ぬことは問題ではないけれども、
父の願いが地上に成されなければならない
とお考えになられたのです。
それで「できることでしたらどうか、
この杯をわたしから過ぎ去らせてください」
と祈祷なさいました。
このようにすること三回、それでも駄目ですから
「もうだめだ、眠れ。ぐっすり眠れ」と語られました。
言うなれば、今ではお前たち人間が
行くべき道を探し求めたから、
お前たちの行くべき道へ行けというみ言なのです。
痛嘆する仕業です。
そのとき、ローマの兵士が捜しにきたのです。
諸職者(教会組織の役職者)研修会での説教
1977年10月2日 韓国中央修練所
信仰生活シリーズ3 聖書の中の心情圏
摂理の中心家庭に学ぶ信仰姿勢 李耀翰
U 復帰摂理の恨
「イエス様の内的生活」
1977年10月2日 韓国中央修練所
信仰生活シリーズ3 聖書の中の心情圏
摂理の中心家庭に学ぶ信仰姿勢 李耀翰
U 復帰摂理の恨
「イエス様の内的生活」
☆
再編集 文責:ten1ko2
イエス様の本当の価値を知っていたのは、
何の地位も名誉もない、マグダラのマリアなど、
ほんのごくわずかな人たちでした。。。
イエス様にずっと侍っていた3弟子をはじめとした
多くの信徒たちは、結局イエス様が十字架についたあと、
イエス様の本当の姿に出会い、
同じ道のりをいったのでした。
私たちは、真のお母様が最前線で歩まれている今この時、
ともに歩んでいる者たちです。
まさにお母様が「黄金期」と言われています。
本当にありがたいことです。
心から感謝いたします。
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あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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