心と体が一致しない私たち、
見えない神様と一つとなるためには、
どのようにしたらいいのでしょうか。
まず、メシヤと一つとならなければなりませんが──
金元弼(ウォンピル)先生のみ言、
「完全な救い」の続き
「我々を導くメシヤ」です。
☆
メシヤは私たちをどのように導いていくのでしょうか。
それは、神のために私たちを
最高の基準にまで進めていかれるのです。
私たちもそういうように導いていくならばメシヤです。
メシヤは、これを通じて何を成そうとされるのですか。
神の目的のためです。
メシヤが国家のために活動する時、
私たちがメシヤと一つになって動けば、
私自身も国家のために活動したことになります。
メシヤは私たちを個人的、
家庭的な次元にとどめたくないのです。
結局は、天宙的なもの、神と
一致した者として完成させたいのです。
完成させるためには、その方向に
私たちを動かしていかなければならないのです。
☆
そこで問題になることは、私たちがメシヤと
一つになって国家のためにやっているから、
国家的完成をなした者かということです。
私個人としては、兄弟のために心の奥底から
本当に喜ぶことができないというような、
個人的な完成もしていない者です。
それにもかかわらず、国家的完成を
なした者だといえるのだろうか、という問題です。
それはいつも私という個人に帰るわけです。
私たちの生活は、良い心が入れば良い行いをするし、
悪い心が入れば悪い行いをします。
肉体は、心のままに働くのです。
☆
人間が見る完成というものと神が見る完成というものとは、
その基準が違っているということを
はっきり知っておかなければなりません。
私たちの位置はどういう世界に立っているかといえば、
完成した善なる世界と、悪の世界の
二つの中間の立場に立っているのです。
昔は、善なる世界も、悪なる世界も
分からない混沌とした世界でした。
しかし、知ってみるとそれは、明らかに
善と悪の二つの世界に分かれているのです。
私たちは善と悪の二つの影響を受けながら
生活しているのですから、これを
分別していかなくてはならない立場に立っています。
神の世界を中心として、堕落した世界を
神の世界に一致させていかなければならない
メシヤのような立場に立っているのが私たちです。
☆
個人的には、心と体が一致せず、
体に傾いた生活をするので、個人的に
人格者ではない、気持ちが悪いという人がいます。
ところが、国家ということになった時、
その心は国家のために傾いていって、
神の願う国家のためにと、体を捨てて、
自分から率先して前に立って戦うのですから、
個人的によくない感情などがあったとしても、
国家のために先頭で戦っているその人の姿を見る時、
個人的な感情はなくなってしまうのです。
消え絶えてしまうというのではなく、
そのことによって薄められるということです。
☆
反対に、個人的には非常に良かったけれども、
国家という問題に対しては、自分の
個人的な安定を保つために、動かなかったとします。
これを神はどのように見られるのだろうかという問題です。
個人的には誤りがあり良くなかったけれども、
国家のためになるという場合、全部許されるのです。
今、私たち個人個人としては、神から見れば
とても救うことができないというのです。
堕落性でいっぱいだというのです。
だから、国家のために、神のためにと尽くすことによって、
個人個人は足りないけれども、そういうことを通じて、
神は、私たちの堕落性を脱がせようとされるのです。
許そうとされる愛もあるのです。
神のゆえに、完成の基準が上のとき、
それより下のことは全部許されるのです。
☆
蕩減の期間が過ぎればどうにかなるというような
甘えた考えは間違いだと思います。
イスラエル民族は、約束の四〇〇年期間の
奴隷生活では、出エジプトができませんでした。
蕩減はごまかしがないのです。
神がイスラエル民族に四〇〇年の期間を与えたというのは、
その期間を過ぎればよいというのではなく、
その期間は猶予として与えたのです。
だから、与えられたその期間中
神の愛を求めなさいという、神の内情があったのです。
ところが四〇〇年過ぎても、神の愛を求めなかったから、
出エジプトが成らずに延長の路程があったのです。
神は苦労されて、メシヤをして私たちを
国家の勝利者にさせようとするのです。
そういう目的があって、この仕事をしなさいといわれるのです。
ただこの期間が過ぎ去ればなんとかなる
というような考え方をしてはいけません。
☆
メシヤは、この人を通じてある仕事をしたら、
この条件も、あの条件をもと…大きな願いがあるのです。
一つのことをすることによって、
六〇〇〇年の成しえなかった蕩減の条件を、
この時代に全部完成させようとするのです。
六〇〇〇年、成そうとして成せなかった蕩減の条件を、
メシヤは深刻な一瞬一瞬によって
全部成し遂げなければならないのです。
☆
神の願いがあります。
人には人の願いがあります。
神の願いを受け入れないのではなく、
神の願いを中心に、いかに
人の願いを一致化させるかということです。
神の願いに耳を傾けたら、人はついて来ません。
人を喜ばせるべきか、神を喜ばせるべきか。
メシヤは神の喜びと願いの道をたどらなければなりません。
神の願いを、人を通じて成さなければなりません。
人の願いを無視しては成就できないがゆえに、
メシヤは汗と涙と血を流してこられたのです。
メシヤの願いと目的を成さなければならない皆さんです。
メシヤの願いを中心にして、兄弟の願いを
一致させていかなくてはならない皆さんの立場です。
だから、皆さんの汗と涙と血がなくてはならないのです。
☆
ある期間を設けて一生懸命にやるのです。
これを成したら何か得られるだろうと考えてやるのです。
しかし何も変わったものがないとします。
そしてもし、無限にやらなくてはならないとしたら、
皆さんはあきらめてしまうでしょう。
しかし、何年何月までという期間があったらそれを期限として、
それが終わったならば何か変わるだろうと思って力が出ます。
しかし、何も変わったものがなく、
自分自身が願った基準にかなわない時、
非常にむなしくなるのです。
そういう時は心霊復興が必要となって、また次に備えるのです。
今度こそ熱心に頑張ったら与えられるだろうと
やるのですけれども、そんな時、
何かだまされるのではないかと思うこともあるのです。
だまされると思うのは、自分を中心とする時起こる心です。
最初は自分のためにではなく、国のために、
人のためにということで出発したのです。
自分のためにではなく、人のため、
国のためにやったのですが、実績がでなかった場合、
再度行かなければならないのに、
そういう場合にすぐ自分に帰ってくるのです。
私のためにという心に帰ってくるのです。
だから、むなしくなるのです。
「私はためになったのですか」と神に聞きもせず、
メシヤに聞きもせず、自分で考えて
自分に帰ってきてむなしくなるのです。
人のためにと思って出発したのですから、
結果も人のために…としなくてはならないのです。
しかし、出発は人のために、結果は自分のためにとなるのです。
出発が自分のためでしたら、
結果も自分のためになるのです。
U 先生の道は我々の伝統
第十二章 完全な救い
「我々を導くメシヤ」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
第十二章 完全な救い
「我々を導くメシヤ」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
☆
再編集 文責:ten1ko2
私は、み旨を歩んでいるから、
個人のことは棚に上げてもらえる・・・
その発想は違うのだと思います。
個人としても、しっかりと
証しを立てていくべきだ、
そういう時を迎えております。
そして、お母様が今の時をどのように見つめているか、
同じ方向を見つめていく時であります。
お母様と一つになるべく、
天心苑での徹夜精誠を基準に
しっかりと歩んでいきたいと思うのです。
※ 当ブログ記事の転載、拡散について
その際は、リンクを貼っていただくか
当ブログ名とURLを記載して頂くようにお願いいたします。
なお、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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