李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生の
1977年のみ言「イエス様の内的生活」より
「信仰が誤る三つの場合」です。
☆
信仰が誤る三つの場合
皆さんは、どのような時寂しいですか?
私たちの信仰の道の難題、
すなわち信仰が誤るのはどういう時ですか?
大きく三つに区分してみるとき、
原理を知った人たちの心情が問題になるのは、
一番目にみ言を失ったとき、
二番目はアベルを失ったとき、
三番目はカインを探し求められなかったときでしょう。
☆
ところで、このようなことはいつでも
自分の生活圏内にあるということをしっかり記憶してください。
自分の家庭で、自分が属している教会で、
自分の職場であります。
ここで心を引き締めてこそ、行くべき道を行くことができます。
自分の心霊を育てることができるのです。
これができなければ、私は空中に浮かぶようになります。
私の心霊が空中に浮かぶようになります。
アベルはつかまえようとしても離れ去り、
カインは引き離そうとしても私の内に入ってきます。
ですから、自分は空中に浮かび、
この地上で寂しくなるのです。
そのような人は精神異常者と同じです。
精神異常者は特別な者ではありません。
地上に情が移った人がおらず、心を置く所がなくて
浮かんでいる人が精神異常者なのです。
☆
そのようにして見るならば、
イエス様は実に気の毒な方と感じます。
ご自身はやるせない人たちを探し求めて
慰労されながらも、ご自身の心情を
授受する生活はできませんでした。
父母が子供に対して僕と同じような
ふるまいをするのと同じようになさったのです。
☆
ご父母様は言いたいことがたくさんあっても、
分別のつかない子供の前に
ご自分の心情をお話しすることができません。
諸職者の皆さんも分別のつかない信徒の前では、
自分の話をしてはいけません。
自分の心苦しい話、自分の教会の
事情について話す必要はありません。
皆さんは教会に先に来た諸職者の立場ですから
教会の事情も知っており、教会長の貧しい事情、
やるせない事情をすべて知っています。
しかし、そのような話を軽々しく
だれにでも話すのではありません。
そうするならばむしろうまくいく教会もうまくいきません。
今日、先に入ってきた人が、分別のつかない信徒に
自分の話をして行くべき道を妨げることが多いのです。
分別のつかない人に自分の心苦しい話をする
ということは愚かしいことです。
☆
家の内でもそうです。
家の内で夫婦が互いによく授受するようになれば
神に侍ることができるのであり、それが
できないならば、神を追い出す結果になるのです。
皆さんが話を誤るならば、
神を追い出してしまう結果になります。
すなわち、自分の心の春の園が
なくなってしまうということです。
喜びがありませんから、
神が臨在なさることができません。
☆
夫が少し誤ったとしても祝福を受けた立場を考え、
この夫でなければ自分がお父様の前に
出て行くことができなかったし、夫のゆえに
お父様と因縁づけられたと考えるならば、
夫がいかばかり貴く考えられるでしょうか。
このように見るならば、
お父様の名前でもって立てられた夫になるのです。
妻もお父様の名前で立てられた人ですから
個人の価値で見ることができません。
妻も父の名前で対さなければなりません。
このように常に父の名前で対話するとき、
神が臨在なさることができるのです。
これがまさしく神をお連れしてくださる方法です。
今が侍義の時だということは、互いの間に
父の名前で仕えなければならない時だということです。
諸職者(教会組織の役職者)研修会での説教
1977年10月2日 韓国中央修練所
信仰生活シリーズ3 聖書の中の心情圏
摂理の中心家庭に学ぶ信仰姿勢 李耀翰
U 復帰摂理の恨
「イエス様の内的生活」
信仰が誤る三つの場合
1977年10月2日 韓国中央修練所
信仰生活シリーズ3 聖書の中の心情圏
摂理の中心家庭に学ぶ信仰姿勢 李耀翰
U 復帰摂理の恨
「イエス様の内的生活」
信仰が誤る三つの場合
☆
再編集 文責:ten1ko2
心情の基台、これはとても重要であると感じます。
そう考えると、イエス様はご自身の
本当の心情を吐露することができませんでした。
神様の前に、どれほど申し訳ない思いで
いっぱいだったでしょうか。。。
そんなイエス様と同じ思いを抱えておられるのが、
真のお母様であると思います。
ご自身が独り娘であるということ、
イエス様と同じ立場であるということを
証しすることができませんでした。
私たちがあまりにも幼くて、
ただお父様だけを求めてきたからでした。
私たちは本当に足りない者ですが、
お母様を正しく証しする者になるべく、
霊性を磨いていかなければ、と思うのです。
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※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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