2024年02月12日

寂しくて、み旨の道を離れていく時、3つのパターンがある ──これは家庭にも通じる 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生の
1977年のみ言「イエス様の内的生活」より
「信仰が誤る三つの場合」です。

信仰が誤る三つの場合

皆さんは、どのような時寂しいですか? 
私たちの信仰の道の難題、
すなわち信仰が誤るのはどういう時ですか?

大きく三つに区分してみるとき、
原理を知った人たちの心情が問題になるのは、
一番目にみ言を失ったとき、
二番目はアベルを失ったとき、
三番目はカインを探し求められなかったときでしょう。


ところで、このようなことはいつでも
自分の生活圏内にあるということをしっかり記憶してください。

自分の家庭で、自分が属している教会で、
自分の職場であります。
ここで心を引き締めてこそ、行くべき道を行くことができます。
自分の心霊を育てることができるのです。

これができなければ、私は空中に浮かぶようになります。
私の心霊が空中に浮かぶようになります。

アベルはつかまえようとしても離れ去り、
カインは引き離そうとしても私の内に入ってきます。

ですから、自分は空中に浮かび、
この地上で寂しくなるのです。
そのような人は精神異常者と同じです。

精神異常者は特別な者ではありません。
地上に情が移った人がおらず、心を置く所がなくて
浮かんでいる人が精神異常者なのです。


そのようにして見るならば、
イエス様は実に気の毒な方と感じます。
ご自身はやるせない人たちを探し求めて
慰労されながらも、ご自身の心情を
授受する生活はできませんでした。

父母が子供に対して僕と同じような
ふるまいをするのと同じようになさったのです。


ご父母様は言いたいことがたくさんあっても、
分別のつかない子供の前に
ご自分の心情をお話しすることができません。

諸職者の皆さんも分別のつかない信徒の前では、
自分の話をしてはいけません。
自分の心苦しい話、自分の教会の
事情について話す必要はありません。

皆さんは教会に先に来た諸職者の立場ですから
教会の事情も知っており、教会長の貧しい事情、
やるせない事情をすべて知っています。

しかし、そのような話を軽々しく
だれにでも話すのではありません。
そうするならばむしろうまくいく教会もうまくいきません。

今日、先に入ってきた人が、分別のつかない信徒に
自分の話をして行くべき道を妨げることが多いのです。
分別のつかない人に自分の心苦しい話をする
ということは愚かしいことです。


家の内でもそうです。

家の内で夫婦が互いによく授受するようになれば
神に侍ることができるのであり、それが
できないならば、神を追い出す結果になるのです。

皆さんが話を誤るならば、
神を追い出してしまう結果になります。
すなわち、自分の心の春の園が
なくなってしまうということです。

喜びがありませんから、
神が臨在なさることができません。


夫が少し誤ったとしても祝福を受けた立場を考え、
この夫でなければ自分がお父様の前に
出て行くことができなかったし、夫のゆえに
お父様と因縁づけられたと考えるならば、
夫がいかばかり貴く考えられるでしょうか。

このように見るならば、
お父様の名前でもって立てられた夫になるのです。

妻もお父様の名前で立てられた人ですから
個人の価値で見ることができません。
妻も父の名前で対さなければなりません。

このように常に父の名前で対話するとき、
神が臨在なさることができるのです。

これがまさしく神をお連れしてくださる方法です。
今が侍義の時だということは、互いの間に
父の名前で仕えなければならない時だということです。

諸職者(教会組織の役職者)研修会での説教 
1977年10月2日 韓国中央修練所

信仰生活シリーズ3 聖書の中の心情圏  
摂理の中心家庭に学ぶ信仰姿勢 李耀翰

U 復帰摂理の恨
「イエス様の内的生活」
信仰が誤る三つの場合
再編集 文責:ten1ko2


心情の基台、これはとても重要であると感じます。
そう考えると、イエス様はご自身の
本当の心情を吐露することができませんでした。

神様の前に、どれほど申し訳ない思いで
いっぱいだったでしょうか。。。

そんなイエス様と同じ思いを抱えておられるのが、
真のお母様であると思います。

ご自身が独り娘であるということ、
イエス様と同じ立場であるということを
証しすることができませんでした。

私たちがあまりにも幼くて、
ただお父様だけを求めてきたからでした。

私たちは本当に足りない者ですが、
お母様を正しく証しする者になるべく、
霊性を磨いていかなければ、と思うのです。

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posted by ten1ko2 at 07:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 李ヨハネ先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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