2024年04月01日

ああ、かわいそうな神様! 地獄では、明るい光として現れることができない 《李相軒先生の霊界メッセージ》



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李相軒(イ・サンホン)先生の
霊界メッセージ。先回に引き続き、
今日は、「地獄」に現れる神様についてです。

階級別に現れる神様

下流層(下級霊界圏)

 神様の愛は、上流層、中流層、下流層のどこであろうとも等しく同一です。このように、子女を愛する神様の心情と愛が等しいにもかかわらず、私たちはともすると自分の判断で、罪悪の子女たちは関心外に置かれていると考えやすいのです。しかし多くの子女を持つ親に、ある子は愛し、ある子は見捨てるというようなことがあるでしょうか。人間の親の愛でさえそうであるならば、ましてや創造主たる神様が、人間を関心外の所に置いて見捨てておくということはありえません。

 次に、下流層に訪ねていかれる神様の姿を紹介しましょう。神様は上流層の子女たちはもちろん、中流層や下流層の子女たちとも一緒に最高の場で、そして神様の愛の懐の中で暮らすことを願っていらっしゃいますが、どこよりも神様を悲しませ胸を痛くさせるのは、下流層の子女たちです。神様の愛を全く認識することもできない無知なる子女たちに、神様は数え切れないほど愛のひもを投げ掛けましたが、彼らはその愛を少しも推し量ることができません。

 一言で表現すれば、ここは泥沼のような暗闇の世界です。地上で暴風雨が吹き荒れると雷が鳴り、稲妻が光り、どす黒い雲に覆われますが、まるでそれと同じ姿です。それにもかかわらず、そんな中を神様は訪ねていかれます。神様は愛の神様として、きらびやかな光彩で現れる方ですが、ここではそのようにできません。しかし神様は、御自身の姿がどんなにどす黒い雲に遮られても、ひたすら子女たちに会いたくてここを訪ねられるのです。

 なぜ神様は明るい光として現れることができないのでしょうか。神様は発光体そのものなのに、なぜその暗闇の中では現れることができないのでしょうか。それはあたかも愛する我が子の痛みを前にしながら、悲しんでいる親の姿とでも表現できるでしょうか。その状況を表現することはあまりにも難しいのです。

 では神様は、ここでは御自身の姿を全く現すことができないのでしょうか。もしもそうだとするならば、地獄を解放することは永遠に不可能になってしまいます。しかし、神様は闇に包まれて御自身の姿を現せない環境の中にあっても、稲妻、筋の光を発散しながら数限りなく哀哭(あいこく)することもあり、時には闇の中で一筋の虹として現れることもあります。

 また、このような状況下では極めてまれなケースですが、全く予期していなかった光がすべての民に発散されることがあります。その時、彼らは自らの悲惨な姿を発見し、明るい所に向かって押し寄せてきます。これは特別な天恵のケースです。しかし、この時、脱出口で引っ掛かると、彼らはやむを得ず、闇の中で途中下車するしかありません。

 この脱出口を通過する手順は大変難しいのです。地上のように誰かが、通過する手順に関して弁護したり、判決を下したりしてくれないからです。それはただ天地の法度に従うのみです。明るい光の出入り口で光を一番先に受けたからといって、その人が他の人よりも先に脱出できるというわけではありません。その通過手順を誰が定めているのか、私は全く知りません。しかし、根本的な道理はここでも適用されますから、彼らの生き方にこのような根本的な差が通用しているのではないでしょうか。私には、そのような説明しかできません。

 その光を通して脱出できた、子女の一人一人を見ようと待ち焦がれる神様のその姿は、あたかも暴風雨で苦しんだ蝶(ちょう)が、薄暗い光や濃い霧の中でちらちら見え隠れする姿と似ています。その姿は、焦燥と緊張の瞬間であるといえるでしょう。こんなにも哀れな方が私たちをつくられた創造主であり、私たちの神様なのです。私は、ここ下流層霊界圏に何度も訪ねていかれる神様の姿をはっきりと目撃しました。そして今もなお、その姿を真剣に見つめています。これが私たちの神様の姿なのです。そして、この姿こそまさしく私たちの真の父母様の姿にほかなりません。

 皆さんは地上で、そしてこの私は天上で、このような真の父母様の姿を見てきましたし、今でも見ています。私たちはみな、人類を救済するために常に緊張と焦燥の中で暮らしている神様と真の父母様の心情を、一瞬たりとも忘れてはなりません。薄暗い霧の中で黒いべールに遮られて現れることのできない神様のもの悲しい痛みを、皆さんは目撃しつつ、少なからず体験したはずです。これからは、皆さんが自らの心をいっぱいに広げて、神様と真の父母様の姿をきらびやかに現しうる真の子女の姿に変わることを切に願います。

 ああ、かわいそうな神様! あなたの恨(ハン)の心情、私たちの間を遮る黒いべールを、私たちが真の愛で溶かして取り除いてさしあげます!

(1999年11月28日)

李相軒(1914〜1997)(光言社刊
『霊界の実相と地上生活』【霊界の様相編】より)
第二部 天上天下の救世主・真の父母
第一章 神様の実存
二 階級別に現れる神様
霊界の実相と地上生活 38
下流層(下級霊界圏)

(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


霊界は確実に存在します。
また、誰もが天国に行くことはできないのです。

その人が地上でどんな人生を送ったのか、
その実りが、霊界の位置を決めるのです。

もちろん、人生をどのように送るのか、
それは、その人自身の自由意志です。

しかし、その人を見つめる存在、
すなわち、親なる神様がいる、
そのことを知らないといけないでしょう。

地獄の人たちを見つめながら、また
私たちを見つめながらも、どんなに
もどかしく、辛い立場の、悲しい神様でしょうか

親は切実に子のことを願ってくださっていても、
どんな歩みをするのかは、子供自身にかかっています。

さらに言えば、霊界にいる父母、祖父母、先祖の皆様も
私たちを見つめておられることでしょう。

先祖も、もちろん善き人生を送ることができるように、
協助はしますけれど、
最終的には、私自身が善い実を結ぶために
善なる生き方をしなければなりません。

極論ですが、そのためにも、
神氏族メシヤの道を歩んでいきたい
そのように思うのです。





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posted by ten1ko2 at 08:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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