李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生の
1979年のみ言「私は善なる牧者」の続きです。
☆
正しい信仰
それでは、悪とは何なのでしょうか?
悪は、自分を中心としたものです。
自分を中心とした気掛かりと心配で
いっぱいの人は、悪なる人です。
これは、次元が違うみ言です。
なぜ悪だというのでしょうか?
自分の気掛かりや心配でいっぱいの人は、
他人を恨む人であり、他人に手助けする力がないので、
悪の行動をするようになります。
けれども、神を心配する心や
自分の周囲の環境を心配する心は善です。
☆
私たちは天の心配をどのようにするのでしょうか?
無形の神に対して喜びをお返ししようとするならば、
私の生活圏内で、主体者である神が立てられた人を
喜ばせることが神を喜ばせることになります。
私たちはあまりにも無形の神、すなわち、
聖書にある神だけだと思いますが、
これは、神が願われる神観ではありませんし、
あまりにも私たちの生活と懸け離れた神観です。
神が願われる信仰生活は、私たちの生活圏内で
人間を神のように貴く思い、喜ばせることです。
これがまさしく神のために生きる生活なのです。
このような信仰こそ、神を
正しく知っている人の信仰なのです。
これがまさしく原理的に
アベルを経由することを知っている信仰なのです。
☆
それでは、私の主体はだれなのでしょうか?
自分の主体者のために生きる生活が信仰の生活です。
教会に通いながら祈祷し、
礼拝をささげることも重要ですけれども、
自分の実生活が礼拝になり、生活自体が
祈祷になるような生活をしなければなりません。
祈祷と言っても、伏して求めることだけではありません。
主体者を心配する心も祈祷であり、
主体者の心配を知ろうとする心も祈祷です。
そうすれば主体者の事情が分かるようになるのです。
これも啓示です。
☆
これがまた、生活に適用されなければなりません。
正しい信仰は、人との関係の中で
実を結ばなければならないのです。
人間関係を離れた熱烈な信仰は独善になり、
悪の実を結ぶことになります。
このように人間関係を離れた信仰は問題になるのです。
この関係を失ってしまった心霊は
常に寂しく、悲しく、重苦しく、悲惨になります。
悲観するという言葉は、主体者に心配をかける
という言葉とも通じるのです。
愛される道がなくなるのです。
父母の懐を離れた放蕩息子は悲惨なのです。
聖書の中の放蕩息子の比喩は、
主体者を失ってしまった人、
自分が考え、自分が決定し、
自分の思いどおりに生きる人を比喩したのです。
家を離れたから放蕩息子だ
というのではありません。
他人の心配を一つもせず、自分の固執する心で
自分の主張だけをして、
自分の思いどおりにする人が放蕩息子です。
主体者に心配をかける人が放蕩息子なのです。
☆
私たちは、父子の関係を結ぶ生活を
しなければなりません。
これは、私の生活圏内での
主体者との関係をいうのです。
先生は説教の中で、「私の願いは、
兄弟が和睦することであり、神様の願いも
兄弟が和睦することです」と語られました。
また、「原理を深く分かっていくならば、
神様の怨恨は、カインがアベルを殺害した事件です。
それが神様の心にあざをつくり、神様が
限りなく嘆息する事件となったのです」
と語られました。
兄が弟を打ち殺したので
父の心にあざができたという話です。
兄、弟がそれぞれどれだけ父母のために生き、
孝行を尽くしても、父母は、むしろ兄弟が
互いに父母に尽くすように生きることを願います。
それが父母の心です。
そのような兄弟をもった父母は、
どれほど心温まるでしょうか?
父母として子供を見て心温まるのは、
まさしく弟が兄を父のように思い、
兄は父母と同じように弟を思うことです。
そのような子供をもったならば、
父母はどれほど心強く頼もしく思うでしょうか。
☆
神の願いは兄弟間の和睦です。
私たちの生活圏内には信仰の兄弟がいます。
私たちは孤児ではありません。
孤児とは、父母と家族をもっていても
自分勝手にする人をいうのです。
自分勝手にするならば放蕩息子であり孤児です。
若い人たちの中で他人の言うことを聞くのを嫌がり、
自分勝手にしようとする人たちは
放蕩息子であり孤児たちです。
最近の世の中は、こういう人たちでいっぱいです。
1979年9月9日 韓国本部教会
信仰生活シリーズ3 聖書の中の心情圏
摂理の中心家庭に学ぶ信仰姿勢 李耀翰
U 復帰摂理の恨
「私は善なる牧者」
信仰生活シリーズ3 聖書の中の心情圏
摂理の中心家庭に学ぶ信仰姿勢 李耀翰
U 復帰摂理の恨
「私は善なる牧者」
☆
再編集 文責:ten1ko2
「人間を神のように貴く思い、喜ばせること」
これが神様が願われる信仰生活、だといいます。
実は最近、個人霊界というか、
公的責任を歩んでいながらも、
なにか狭い意識に落ち込み、
沼のようにふさぎ込んでおりました。。。
ともに歩んでいる兄弟姉妹、
教会に来る食口たちは、神様なんだ!
そう思うと、意識が違ってきますね。
さらにいえば、私に関わる人すべてを
神様のように貴く思い、接していくならば、
どれだけ刺激的でしょうか。
視野を広げていかないといけない、
そのように感じさせていただきました。
ヨハネ先生、ありがとうございます。
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※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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