2024年05月07日

83年前、山口から始まった奇跡の時間 文鮮明はなぜ日本に?! 《田中富広会長》



240507-2024.0406 (2).png


一か月前のものですが、日臨節の
田中会長のメッセージがよかったので
ご紹介します。

会長メッセージ
世界平和統一家庭連合 会長
田中富広

「日臨節83周年記念大会」でのメッセージ(要旨)
怨讐を乗り越えるたった一つの方案

4月6日、山口県下関市の会場で「日臨節83周年記念大会」が開催され、山口エリアの牧会者をはじめ、教会員たちが集いました。メッセージに立った田中富広会長は、怨讐を愛し、ために生きる生涯を貫かれた真の父母様を証しし、「文鮮明総裁ご夫妻の平和思想を、実体をもって発信していってください」と参加者に呼びかけました。その要旨を紹介します。(詳細は『世界家庭』5月号に掲載)

また田中会長は大会に先だち、崑崙丸(1943年10月、米潜水艦によって撃沈された関釜連絡船)の慰霊碑を訪れ、祈祷の時間を持ちました。

田中会長はメッセージ後の祝祷でそのことに触れ、神様が永遠に記憶される歴史の1ページとして、犠牲者への追慕の思いを持ち続けていくことを誓いました。(下に祝祷抜粋)


本日は、一人の人物の日本上陸を記念して、
皆さんと共にこの場に集いました。
その方は、文鮮明総裁です。

文総裁は1941年4月1日に日本に上陸し、
早稲田大学附属早稲田高等工学校電気工学科で
学ばれましたが、この入国は、
単なる留学ではなかったことを、
私たちはよく知っています。


文総裁は、若き頃から、祖国が
日本に統治される中で目にする理不尽な様相に
苦悩し、天に祈ることが多かったと伺っています。

自分はなぜ生まれたのか。
人生の目的は何か。
神は実在するのか。
死後の世界はあるのか。

今受けている朝鮮半島、
韓民族の苦悩はずっと続くのか。
この苦しみは神が与えたのか。
神が与えたのであれば、何のために与えたのか。

そして、誰もが願う平和とは
本当に訪れるのか……。


文総裁が15歳のとき、イエス様との
劇的な出会いがありました。
そのとき、人類の苦悩、人類の悲しみを見詰める
親なる神様がいらっしゃることを知られたのです。

イエス様は、神様の願いを果たすために
使命を担ってほしいと告げ、
ご自身が成しえなかったことを
成し遂げてほしいと訴えられたのです。

そのような出会いを背景に、
文総裁の日本上陸への道は開かれていきました。


当時の朝鮮半島の人々にとって、
最大の怨讐は日本でした。

この怨讐国家、日本をよく知らない限り、
愛することも困難であると、
このような思いを携えて文総裁は
日本に上陸されました。

その一歩を踏み出したのが、ここ下関です。

文総裁は日本滞在中、あらゆる課題と向き合い、
真理を追い求めていかれました。

こうして解き明かされた宇宙の根本原理、
統一原理は、
誰もが絶対に幸福に至れる方案を示しています。

しかもたった一言です。
それが「ために生きる」です。

この教えに触れた私たちには、
そこにこそ本当の幸福がある
ということを証明する責務があります。


文総裁は、「私の生涯を見れば、
父母であることが分かる」
と語られたことがありました。

北朝鮮に、なぜ死を覚悟して入っていかれたのか。
もう帰ってこられないかもしれないのに、
あえて平壌に向かわれた理由はただ一つ、
父母だからです。
そこに愛すべき子女がいるからです。

北朝鮮を支配する思想を憎んでも、
人々を憎んではなりません。
彼らも神様から見れば取り戻すべき子女だからです。

共産主義の牙城であるソ連に、
なぜ命の危険を顧みずに入っていかれたのか。

愛する子女がいる地に、父母として
行かざるをえなかったからです。
そのことをよく理解しなければなりません。


文総裁は本当に日本を愛してこられました。

しかし、日本のマスメディアは、
文総裁に「反日」のレッテルを貼り、
ご夫人の韓鶴子総裁のことも同様に報道しています。

文総裁は世界宣教の先駆けとして、
日本に一人の宣教師を送られました。
貧しい環境の中で韓国の教会員たちが
借金をして宣教費用をつくり、
日本に送り出してくださいました。


そして、日本に国際勝共連合を創設されました。

世界中に共産革命が燎原の火のごとく広がっていく中、
日本でも革命前夜と思われた1968年に
国際勝共連合を創設し、
真っ向から共産主義と向き合うように指導されました。
「命を懸けて国を守れ」と。

マスメディアが、文総裁ご夫妻に向かって叫ぶ
「反日」という言葉は、
実体とはあまりにもかけ離れています。

おふたりの日本に対する愛の投入は、
一瞬たりともやむことなく続いています。

文総裁が日本で最初に足を踏み出した下関。
天から記憶され、家庭連合の歴史が
100年、200年、300年たっても、
その記憶から決して消されることのない下関です。

山口の皆さんが、文総裁ご夫妻の平和思想に立ち、
その基本的な教えを、実体をもって
発信できるように願います。

240507-2024.0406.png
メッセージを語る田中富広会長(4月6日、山口県下関市)

真の父母様の生涯路程に
刻まれた崑崙丸事件
─田中会長の祝祷から─

今朝、崑崙丸の慰霊碑の前で
追慕の時間を持たせていただきました。
文鮮明総裁が日本で真理を解き明かし、
韓国への帰途で乗られる予定だった崑崙丸。

文総裁は何かしら天の警告を感じ、
乗船されませんでしたが、
出港した崑崙丸は米軍によって撃沈され、
583人の命が海の中に沈んでいきました。

私たちは、神様が永遠に記憶され、そして、
文総裁ご夫妻の生涯路程の中で、必ず
崑崙丸の事件は語り継がれると知っています。

この下関の兄弟姉妹たちが、追慕の思いを失わず、
毎年、慰霊の時間を持ち続けていることを見ても、
貴く価値ある命だったのであり、
永遠に記憶されると改めて思うのでございます。

中和新聞より
再編集 文責:ten1ko2


真のお父様(文鮮明先生)が
どれだけ、日本を愛されたのか、
そのことを感じていただけたかと思います。

また、真の父母様(文鮮明先生ご夫妻)は、
日本を守るために、
国際勝共連合を創設されました。。。

もしこの団体がなかったら、
日本はどうなっていたでしょう。

その功績を考えたら、日本にとっても
世界にとっても、大きな恩のある立場です。

それなのに、なんで排除しようとするかといえば
左翼を中心とする反対派の
デマに翻弄されているからでしょう。

真の父母様は、私たちを反対する人たちに対しても
憎むことなく、親として愛して
よい方向に導こうとされています。

私たちも、真の父母様のように、
日本を愛する心情をもって、
日々の歩みを成していきたいと思うのです。





にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ 当ブログ記事の転載、拡散について
その際は、リンクを貼っていただくか
当ブログ名とURLを記載して頂くようにお願いいたします。

なお、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。

※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。 

 
posted by ten1ko2 at 10:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック