金元弼先生のみ言、一度し終えたので、
もう一度紹介しようと思います。
李ヨハネ先生の『信仰と生活』第1集とともに、
元弼先生の第2集伝統の生活化を
記憶している方も多いと思いますが、
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
として、再発行されています。
今日は、「平壌開拓の日々」より、
『先生との出会い』です。
☆
文鮮明先生がソウルから北韓の平壌へ来られたのは、
1946年6月6日でした。
私が先生に出会ったのは、その年の7月17日でした。
46年といいますと皆様も御存じのとおり、
第2次大戦が終わった明くる年になるわけです。
その当時、先生は26歳の若さでありましたけれども、
私は、若いというような感じは全く受けませんでした。
私は18歳で、ちょうど高等学校(平壌師範学校)を
卒業して間もない時でした。
おば(金仁珠女史)はその年の6月11日に
先生と出会ったのでした。
先生は、天宙復帰という
歴史的に特別な摂理のためにやって来られました。
その時、先生はお生まれになったばかりのお子様を後にして、
み旨を慕って来られたということを知っていた者は
一人もおりませんでした。
先生は食物を得るために田舎に行かれたのですが、
その途中で「北韓に行ってみ言を伝えなさい」
という神様の指示を受けて、それに従ってその場からすぐ、
困難に耐えながら38度線を越えて来られたのです。
☆
私が先生に平壌で出会うようになったきっかけは、
学校を出て自分の将来のことを相談するためにおばに会った時に、
文先生のことを話してくれたことからでした。
おばは私の将来のことよりも、
先生のことについて話してくれたのです。
というのは、先生に出会うことによって、
私の将来が運命づけられることを、
分かっていたからだと思います。
先生は、私がお会いする約40日前に、韓国の首都である
ソウルから平壌に上がってこられたばかりでした。
私のおばは、私よりも先に先生にお会いしていて
大きな恵みの中にあり、
その時は先生に関するお話がすべてでした。
おばは、平素から大変熱心な
キリスト教信者の家庭で育てられた人でした。
教会へ行ってはいましたが、
なかなか解決できないいろいろな問題を抱えていました。
そんな時に、先生を通してその問題についての
非常に根底的、根本的な解決を得ました。
それと同時に霊界からの様々な啓示によって、
先生に対する信仰を傷つけることなく信じてきたのです。
おばは、「南から上がってきた青年の先生がいますが、
この先生は神霊と真理によって礼拝し牧会している」
と、しきりに私に話してくれました。
☆
その日は平日でした。
当時、「真理と神霊で礼拝する南韓から来られた若い先生がいる」
といううわさはたちまちのうちに広まりました。
真理を求めて霊能者あるいは求道者が
しきりに先生を訪ねてくるという時でした。
私は何も分からない幼い時でしたので、
先生に何も聞けませんでした。
質問することは全然ありませんし、
言われることを聞くだけでした。
それは何も分かっていなかったので、
質問することができなかったということです。
☆
私を見て先生が最初にお話をしてくださったひと言が
今でも忘れられません。
先生は、「お前は非常によく瞑想するだろう。
しかし瞑想するに当たって、
その中心を求めて瞑想するようにしなさい」
とひと言、話してくださいました。
私は事実、たくさんのことを瞑想あるいは考えたりしました。
瞑想する時にその中心性を求めていくということに気が付かなかったし、
先生が教えてくださったことは、本当にそのとおりでした。
全然気が付かないでいる私を、
最初に行ったその時に先生は御存じでいたのです。
どうして先生はそのように私のことを分かって
話してくださったのだろうかと思います。
先生との出会い
信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々
信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々
☆
元弼先生が『おば』と言われている、
金仁珠先生は、導かれた時、
お父さん、そしてご主人から、大反対されました。
その迫害は本当に凄まじいものでした。
機会があれば紹介したいと思いますが。。。
元弼先生を導いた時のことを
1978年に語られています。
☆
私は金元弼氏を伝道しました。(1946.7)
彼は私のいとこです。
彼は師範大学を卒業した後、教師をしていましたがみ言を聞いて入教し、
やはり多くの受難の道を歩みました。
初創期の時に教会に来た人は、誰もがこのような受難の道を歩んだのです。
その時、数多くの人々が教会に来ていたのですが、
周囲の迫害に勝つことができずに、皆倒れてしまいました。
☆
霊的にあまりにも鋭いお父様は、
元弼先生が瞑想されていることに
「中心性を求めていく」ことを指摘され、
元弼先生の心を惹きつけられました。
18歳の金元弼先生。
その時のお父様は、26歳でした。
まだ、教会の名前も何もない時に、
歴史的な出会いをされ、
ここから、家庭連合(旧:統一教会)の道が開かれていったのです。
お若いころのお二人のやり取りを
改めて伺い知る中で、
今の私たちにも多く学ぶことがあると思います。
これから少しずつ、
過去の歴史をたどっていきたいと思います。
金元弼先生
文鮮明師の第一弟子であり、3家庭の長として、
36家庭の祝福を受けられる。
韓国・統一教会初代理事長(1963年)、
日本・全国祝福家庭総連合会総会長(1991年〜94年)、
ノルウェー国家的メシヤ(1996年〜)などを歴任。
統一教会創立以前の平壌時代から
文師のそばで教会の発展に尽力され、
2010年4月7日(陽暦)に聖和されました(享年81)。
「祝福家庭長兄 天情奉身者」
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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