金元弼(ウォンピル)先生のみ言より、
お父様(文鮮明先生)が
興南(フンナム)刑務所に入っておられるとき、
金元弼先生が体恤された心情の証しです。
死に等しい興南の監獄(強制労働所)に
送られたお父様を、金元弼先生は、
どうして待つことができたのでしょうか。
☆
(文鮮明)先生が牢屋に入っている間、
霊能者たちは教会からどんどん遠ざかっていきましたが、
私の信仰には少しの変化もありませんでした。
どうしてそうなったのだろうと
考えたことがあります。
私だって、天使のごとく、神のみ言を聞くごとく
尊敬していた霊能者たちや先輩たちが、
教会に来なくなるのを見て、
心の動揺がないわけではなかったのです。
しかし、私が先生と一緒にいた時、
先生から受けた平和感、
そして真のみ言、そういったものが
私の心から離れませんでした。
私は「いつになったら先生に会えるのだろうか」
という心が先立って、それ以外のことを
考える余裕がありませんでした。
そこで、自分のノートに、
一、二、三、四……十二、これが一九四八年、
また一列に書いて四九年と書きました。
刑を受けたのが五年間ですから、
五年分を書いたのです。
すると、ここまで消した時に、
先生に会えるということです。
ですから、私が一番楽しい時は、一か月が過ぎて、
一つ消すことができる時です。
先生がお話ししてくださったことが、
いつも頭から離れなくて、
何をする時も、万人で考えながら歩きました。
☆
そうしていたある日、私の心に
強く教えられることがありました。
「お前は今、先生を信じて侍っているのではないか」
と自分に言いました。
今先生は牢屋に入っていらっしゃる。
けれども先生は、今も心を変えずに
信仰をもっていらっしゃる。
それなのに、なぜ私が先に変われようか。
私がもし、信仰を変えることがあるとすれば、
先生が先に信仰を変えてからのことなのだ。
それ以前にはできない。
そういう心が強くわいてきました。
それで私は心を変えることができなかったのです。
☆
このことは何をするにも同じです。
メンバーと私が約束して、何かをやろうとする時には、
ほかの人より先に心を変えてしまうことがあってはいけません。
先生と約束し、先生の前で誓った人たちが、
食口の中にいました。
その人たちが離れていったのが分かっても、
先生はその人たち全員を訪ねて、
それでも受け入れなかったという時になっても、
その人たちに対する心を変えなかったのです。
☆
ここに一本の線を引きます。
これは先生にお会いする線です。
そしてある人の先祖の実績、
先祖の功績が、例えば十だとしましょう。
この人が先生にお会いして、神のために善いことをして、
善の実績を積んだとしましょう。
ところが、この人が先生から離れて、
つまりこの線からどんどん離れていきます。
さらには、統一教会に対し、神に対し反対して、
かえって反対の量が増えていきます。
善の先祖と自分の実績が、この人の善の実績になるわけです。
反対すると、反対の実績の量がどんどん増えていくのです。
それでここまで来たとしましょう。
そしたら善の実績はこれくらい残るわけです。
まだ善の実績は残っています。
そうである以上、この人を切るわけにはいかないのです。
ところが善の実績に対して、
マイナスの実績が同量になれば、
切ることができるというのです。
切っても讒訴されません。
そうでない限り、反対するからといって、
切ったりはできないということです。
今までよくやっていた人がいるとします。
その人が駄目になったとしましょう。
その人が善の実績を積み、忠義を尽くした部分が
残っている以上は切ることができません。
☆
このように考えてください。
ある会社に、一人の社員が入ってきました。
彼のお父さんは、その会社で昔、
非常に善いことをした人でした。
その子供も会社に入って、とても善いことをしました。
ところがそのうちに、この人が
会社にどんどんマイナスをもたらしました。
それだからといってすぐ切ってはいけないのです。
この人が入社してから十万ポンドを
プラスしたとしましょう。
ところが社長の話を聞かないで、
自分勝手にやって同じくらいのお金を損した時には、
切っても何も問題になりません。
ところが一万ポンドの損害を出したとして切ってしまったら、
その人は非常に恨みをもつでしょう。
「私はたくさんお金をもうけてあげたのに、
こんなことで切るとはけしからん」と考えるでしょう。
会社の秘密を外に出てから訴えて、
この会社をつぶそうとするでしょう。
☆
こういう心情の世界を考えると、神のために今まで尽くした
善の実績の量に匹敵する悪の、反対の量をもたらさない限り、
その人を切ったりはできないということです。
先生は、最初よく教会に来て熱心にやった人が
たとえ反対するようになったとしても、
すぐに心を変えるようなことはなさらないのです。
今まで尽くした量より悪の量が増えた場合には、
切っても讒訴されることはないということです。
「受難と源流」
☆
再編集 文責:ten1ko2
真のお父様の7度の十字架の路程、
その中でも、興南の路程は、あまりに
越えがたい路程であったと思います。
イエス様の十字架には、右の強盗しか
従うものはいませんでしたし、
ペテロ以下、弟子たちも一旦は離れてしまいました。
興南から解放された時、待っている
わずかな食口がいたことが
どれほどお父様にとって、
心強かったでしょうか。
真の父母様は私たちを愛し、
信じてくださっておられます。
だからこそ、私たちが先に
心を変えてはいけない、ということです。
今は、真のご家庭においても様々な問題があります。
でも、父母様は子女様に対して、
心を変えてはおられないと思います。
愛し、信じ続けておられるに
違いないと思うのです。
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