李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生の信仰生活講座。
今回は、「何でもないことを天地と思え」です。
☆
アブラハムが献祭において、はとを分別しなかったので、
400年の苦役という問題が起こり、
イサクをささげなくてはならない
大きな問題になってしまったように、
何でもないことでブツブツ言ったその条件が、
私たちの一生涯の問題になって、方向が違っていくのです。
そういう不快だとかいう問題で、
教会に行きたくなくなるのです。
だから、教会へ来ない人で、
この「原理」は駄目だからやめたという人は少なく、
だれそれが嫌だからという、
人との関係においてそうなる人が多いのです。
「原理」と、その一生涯の問題と比べてみれば、
何万分の一にもならないのだけれど、
そんなことで全生涯を捨ててしまう
という例がたくさん見られるのです。
☆
大切なことは、何でもないことを重要に思うことです。
先生は学生時代に、風に吹かれて舞う一枚の木の葉を、
天地の動きと思って見たそうです。
先生は、枯葉一枚にも、
そこに重要な問題があるのではないかと考えて、
そういうところでこの「原理」を発見したそうです。
私たちは、重要だと思うものには真剣になるけれども、
そういうところには絶対重要なものはないというのです。
一生涯や永遠の問題に対して、何でもない、
人間が笑って見過ごしてしまうような所、
価値がありそうでない所に、
神は重要な秘密を隠しておられるそうです。
ですから、きょう一日の不快な問題を解決しないで、
あすに持ち越すというのは、重要な問題です。
時間が過ぎてやり直そうと思っても、
大きな問題になっていてけんかになってしまうのです。
☆
教会を離れてしまった兄弟が戻ってくるには、
時期があるのです。
離れてから七カ月目とか、七年目か、
七数で戻ってくる人が多いのです。
そういう人は、七年前、自分と親しかった人を訪ねてくるのです。
だから教会長は、その人を親しかった人に任せて、
どういうふうに歓迎するかというと、
親しかった時の基準を認めてあげるのです。
やめてしまった七年前を思うと、恥ずかしくてたまらない。
だから、その時喜んだ基準を復活させてあげたなら、
恥ずかしさがなくなっていくのです。
☆
こういう人たちは、喜んでいるその基準でもって、
失った三倍以上真を注がなくてはならないし、
三倍以上苦労するのです。
蕩減というものは、三倍、
歴史的、縦的なものはごく小さな条件で蕩減できますが、
自分自身が犯したものは、増えて、
三倍以上の条件を立てなくてはならないのです。
何でもないことを天地と思え
信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則
「心情開拓」
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則
「心情開拓」
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
☆
アブラハムの象徴献祭の失敗。
三種の供え物は、牛と山羊・羊そして、鳩でした。
大きな牛、山羊と羊は裂いたというのに、
ほんの小さな鳩を、裂きませんでした。
供え物の準備は、僕(しもべ)に任せたと、
お父様が話されたことがあったと聞いています。
その僕が鳩を裂かなかったのですが、
僕に責任があったのではなく、
命令をしたアブラハムに責任があったわけです。
大きな岩は避けられますが
見落としてしまう小さな石には、躓(つまづ)きやすい。
また、天に大きな貢献をする、
大きな実績をあげる。。。
もちろんそのことは貴いことですが、
だからこそ、そのあとの信仰生活は適当にはできません。
今まで以上に大切に貴重に歩まなければならないですね。
大きな功労も大切ですが、
日々の小さな精誠も宝です。
「何でもないことを重要に思う」
真の父母が体得されたみ言
そして立てられた犠牲の上に
私たちがあることを肝に銘じていきたいです。
最後までお読みいただき ありがとうございました!
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※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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