2024年06月16日

(証し)ただ者ではない! アボジを「おう」と言わせた男 「日本に梶栗あり」



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故・梶栗会長の説教より
真のお父様(文鮮明先生)に初めて会われた時の
伝説的なエピソードなど、若き日の証しです。


私は北九州の筑豊炭田に生まれました。
筑豊炭田は「炭坑節」とか「青春の門」の映画などで有名です。
とてもエネルギッシュな所です。

相撲取りの魁皇関、俳優の高倉健は隣の村です。
小さいときには、よく集団でけんかをしていました。
強かったです。
亡くなった野球のオリックスの仰木彬監督は同じ高校の出身です。

筑豊炭田の真ん中を南から北へ遠賀川が貫いています。
その流域で生まれた人を「川筋の男」と言いますが、
私はその川筋の男です。
有名人ややくざなど、いろいろな頭領たちが出た所です。


高校時代に空手をやっていたのですが、
柔道の三船久蔵十段にお会いしました。
空気投げの演武を見せてくれました。

「質問がないか」と言うので、私は手を挙げて
「武道とは、何ぞや」と聞きました。
偉い人に聞くのが一番早いのです。
「武道とは、真理を体得することである」ときっぱり答えました。


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大学時代


次に会ったのがビリー・グラハムで、
彼のクルセードに毎回参加しました。
何か引かれていったのです。

「間もなく偉い人が地上に来る」と言うのです。
そのあとに原理を聞いたので、原理がスムーズに入りました。


私は最初、「終末論」から聞きました。
三本線を引いて、アブラハム、イエス、再臨主と黒板に書きますが、
私は「再臨主が来たんだ」とピンと来ました。

この方のことを説明するために、
これからの理論があるのだなと思いました。

「復帰原理」は泣きながら聞きました。
神様に会えたのです。

講義が終わって下北沢の教会で
西川勝先生(崔奉春宣教師)とお会いしました。
やせこけた人でした。

「再臨のキリストって、こんなにやせているのかな」。
しかし、やせてはいるが、威厳があるのです。
「やっぱり違うな」。


もうその夜から教会に泊まったのですが、
祈祷したときに、火の玉がバーンと体に入ってきて、
ぐるぐると回って、腸がきれいに整理されて、
下からさっと出て行きました。

何だろうと思いました。
これが火の聖霊ではないか。

「わたしのあとから来る人は、……聖霊と火とによって
バプテスマをお授けになる」と聖書にあります。
火の玉がバッと来て、きれいな体になり、
清められた感じがしました。

明くる朝になったら、目が開けて、
見るものすべてがきれいに見えました。
特に自然がきれいなのです。
不思議だなと思いました。

ところが、電車に乗って人間を見たら、
霊眼が開けたのでしょう、悪霊がうようよいるのです。
全部見えました。
人の霊人体が汚いのです。

この霊を救うことほど、大きな仕事はないと思いました。
私は建設の仕事をしていましたが、
それよりも霊を救う仕事のほうが意義が深い。
建物はだれでもできるが、これは気がついた者にしかできないから、
私はこっちの道を行こう。
そうして、建設会社を捨ててしまったのです。


初めて「メシヤ論」を聞いたときのことです。
弟子がみな裏切ります。
ペテロも裏切って、外に出て行って激しく泣いた、
と聞いて、私はわんわん泣きました。

男は泣くものではないという思いはありましたが、
人間の弱さに「この野郎!」と、悔しくて泣いたのです。

「自分がイエスのそばにいたら、絶対に裏切らない」
と心で叫んだのです。

そうしたら「今がその時だ」という声が聞こえたのです。
「時が来た」。
これは避けることができません。
私は従わざるを得なくなりました。


お父様が最初に来られた時、私は霊眼が開けた状態で、
お父様にお会いしました。
私は霊界と共にあったから、再臨主に会った
ということに確信を持っていました。

東京・渋谷の南平台の本部で、
たまたまお父様と二人きりで出会いました。
にこっと笑って私に近づいてこられ、握手してくださいました。

「君、先生をどう思うか」
「先生は再臨主です」
「おお、再臨主か」。

遠くを見つめながら、何か思いにふけっておられました。
そのころはみんなが「大先生」とお呼びしていたのです。
一人も再臨主とかメシヤとか言っていないころです。
私は霊的に見たので、率直にそうお答えしました。

世界平和統一家庭連合 公式説教ブログ
統一教会 第12代会長
 梶栗玄太郎
 <2010 夏季 牧会者説教集 P.31~37>
「真の父母様の軸に合った人間になろう」
(タイトルは編集者がつけました。文責・編集者)


導かれる前からの路程を聞いても、
梶栗先生には、大物の風格を感じます。

どのような形で伝道されたのか、
具体的ないきさつも興味深いところですね。
(以前紹介していますので こちら をどうぞ)

み言にもスパークされ、
再臨主が来ていることを確信された梶栗先生。

まだ真の父母といっても、しっかり証しされず、
真の父を先生、大先生と呼んでいた頃でしょう。
再臨主であるとも、証しされませんでした。

その頃、実際に南平台でお父様とお会いし、
お父様のことを「再臨主です」と、直接証しされました。

1963年頃のこと。
お父様は40代、梶栗先生は、まだ20代でした。

お父様の方から、梶栗先生のことを霊的に感じて
近づいて行かれたような気もします。

お父様の前でも物おじせず、
お父様が物思いにふけるような
そんな発言を初対面でしてのけた梶栗先生。

『この日本の国に梶栗が生まれた』と
きっと、お父様の記憶に強烈に残ったことでしょう。

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梶栗玄太郎(かじくり・げんたろう、1937〜2012)会長:
 世界基督教統一神霊協会(現・世界平和統一家庭連合)の第12代会長。
 日本統一教会の草創期から教会の基礎を築き、統一教会の要職を歴任。
 会長就任後は、日本統一教会の社会的評価や信頼を高めていくために
 教会の組織強化を図り、牧会者および信徒の信仰指導、
 後輩たちの育成のために尽力されました。
 2012年12月26日聖和。
 真の父母様より、「忠臣奉天」の称号を贈られています。


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この記事へのコメント
自分の愛する故郷を後回しにしても自分の愛する国を救いたい。
自分の愛する国を後回しにしても世界を救いたい。
自分の愛する家族を後回しにしても自分の愛する民族を救いたい。
自分の愛する民族を後回しにしても世界を救いたい。
例えそれが自分の恩讐だったとしても。
お父様はまさしくそういうお方でした。
Posted by サイタマ at 2024年06月16日 16:18
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