2024年07月09日

旧統一教会の家庭に、なぜ問題が起きるのでしょうか? 人生が美しく彩られるのは 《入山局長》



240709.png


今年の5月より、本部教育局を
束ねておられる入山局長。

就任礼拝「私の宗教」より、
後半部分を抜粋して紹介します。

祝福家庭になぜ、 問題が起きるのか


今は、真の父母様についていきさえすればいい時代ではありません。
信仰的な自立が求められています。

教会の維持も、人任せにするのではなく、
「私」が責任を持つのです。
「私の宗教」は、自分自身で守っていきましょう。


祝福に対する疑念という話をしました。
祝福家庭になぜ、さまざまな問題が起きるのでしょうか?

「原理」では、重生されることで
原罪が清算されると説かれています。

アダムとエバがサタンと血縁関係を持って堕落した
長成期完成級まで、 蕩減条件を立てながら
サタンを分立して進み、祝福を受けるのです。

では、祝福を受けたら終わりでしょうか?
違います。

メシヤに従ってさらに成長し、創造目的を完成しなければなりません。
これが、侍義の信仰の意味するところです。

祝福家庭に問題が起きるのは、罪(原罪)のせいではありません。
私たちが成長する必要があるからです。

厄介なのは、堕落による大きな副産物が残っていることです。
それは、成長を妨げようとする
心の癖のようなものであり、堕落性本性と言います。

「罪と堕落性は違う」と聞いても、
残念ながら、ごちゃ混ぜになっている人が多いようです。


皆さんにとって幸せとは、どんなイメージですか?
もし、悪いことが何もなければ幸せだと
思っているのなら、大きな勘違いです。

健康で病気一つしたことがなく、
出会ったときから夫婦はずっとラブラブ。
親子関係は良好で、苦しいと感じたことがありません。

そのようにイメージされる幸福な人生像は、極端に表現すると、
”生まれました。何の波風もありませんでした。
死にました≠ニなります。

それを、意味があり、勝利感のある人生だと言えますか?
私はこれツルツルの人生"だと考えています。
面白くも何ともないからです。

ある思想家は、「今振り返ってみると、
私の人生で最も困難なとき、
必死に生きようとしていた私が、
いちばん美しかった」と言いました。

困難に遭遇すれば、それを乗り越えるために必死になります。
そのとき、人生が美しく彩られるというのです。

人間は、何もないことで幸せを感じるのではなく、
試練を一 つ一つ乗り越えて成長した分だけ、
幸せになれるのです。

これも、私たちが教わってきた
原理観の一つではないでしょうか。

再編集 文責:ten1ko2


神様は私達人類に愛と恵みを与えてくださいました。
幸せになるための道筋が開かれたのです。

祝福を受けた私たちは、
そのことで救いを受けたことを感謝して、
確信を持たないといけないのだな、と思います。

ですから、「私の宗教」に誇りを持つこと、
その点は一つもブレてはいけないと思うのです。

しばらく続きます。


最後までお読みいただき ありがとうございました!
ポチッ!がまだの方はお願いしますm(__)m
ポチッは1日1回有効で、1週間の合計で
ランキングの順位が決まります。
ポチッとすると、現在の順位が出てきます ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ 当ブログ記事の転載、拡散について
その際は、リンクを貼っていただくか
当ブログ名とURLを記載して頂くようにお願いいたします。

なお、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。

※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。 

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック