2024年07月07日

アボジの押し、冒険できない日本人の中で「冒険のできる男」 梶栗会長 (横井夫人の証し)



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梶栗会長の証しを三回にわたって掲載しました。
今回は、43双横井夫人の梶栗会長の思い出です。


梶栗玄太郎さんが、当時「下北沢」(東京都世田谷区)にあった
教会本部に通って来るようになった1963年頃の青年時代の話です。

梶栗さんは、小豆色のような不思議な色のスーツを
いつも着ていて、とにかくスッキリした顔立ちの
男性だったのをよく覚えています。

ある朝、東京・八王子から電話がかかってきました。
電話は梶栗さんの「霊の親」である前川浩子さんからで、
梶栗さんと2人で一晩中歩いて、
下北沢から八王子まで行ってしまったというのです。

梶栗さんは教会で「復帰原理」の講義を聴く中で、
様々な霊的な体験をされていました。

例えば、「ノアの洪水」の部分では、
洪水が押し寄せて来る中に
自分が巻き込まれていくような場面に遭遇したのです。

そのようにして原理講義をひととおり聴き終わり、
梶栗さんが前川さんと2人で教会の外に出たところ、
街の中は昼間なのに暗く、全くの灰色で
ゴーストタウンのように見えたそうです。

通りを行き交う人々は、みんな蛇のような、
死んだ人のような目をしていました。
霊的に見るとそのように見えたというのです。

そんな中で、梶栗さんは「前川さんに聖歌を歌ってもらうと、
その場だけが清まった」と語っておられました。

ちなみに、梶栗さんはその後、
様々なものを霊的に見ることを
意識的にやめるようにされたとのことです。


一方、とても度胸がある方でした。
1966年頃、当時青年部長だった梶栗さんが
渋谷駅のハチ公前広場で路傍伝道(演説)をされた時のエピソードです。

梶栗さんは「『ご通行中のみなさん』と呼び掛けると、
その後は何を語るか自然に言葉が出てくる」と聞いていたけれど、
『ご通行中のみなさん』と言っても何も出てこない。

仕方がないので周囲を見回し、
もう一度『ご通行中のみなさん』と言うと、
言葉が下りてきたんだ」とおっしゃっていたのを思い出します。


ある時、文鮮明先生が私たちに
「日本には冒険のできる男がいないよ。
それでも2人いる」と言われたことがあります。
そのうちの一人が梶栗会長でした。(談)


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梶栗玄太郎会長を偲んで(2)
2012年12月27日
横井捷子さん(43双)

世界平和統一家庭連合 NEWS ARCHIVES
再編集 文責:ten1ko2


「下北沢から八王子まで行ってしまった」
梶栗会長だけでなく、霊の親の
前川夫人も大物だったのだな、と思います。

霊的に敏感だったのに、
意識的に辞めてしまわれたのは、
何か、意図されるものがあったのでしょう。

晩年、東日本大震災の時、霊的に
多くの人の苦しむ声を聞き、
救国救世の思いを止めることができず、
渋谷で街宣カーのマイクを持たれたということでした。

地上で大きな使命を担われて、
お父様も「冒険のできる男」
と言われるくらいの人物だった梶栗会長。

私たちも自分の個性を発揮すれば、
私にしか担えないことが必ずあることでしょう。

私が〇〇のようになりたい、というのでなく、
天が必要なところに用いてくださる者になりたい。。。
そんな思いをもって歩んでいきたいと思うのです。


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