2024年07月27日

イエスの再臨は、人として韓国に誕生する──預言を信じた人たちの愚直な日々 《金元弼先生のベストアンサー》



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金元弼先生のみ言。
今回は、「聖主教と腹中教」
長いですので、前半をご紹介します。


先生が平壌に来られたとき(1946年)、平壌には
再臨の主を迎えるための準備をしていた集団が、
既にその三、四十年前からありました。

平壌は韓国のエルサレムといわれ、
至る所で神から直接啓示を受けた人がいたのですが、
その中に聖主教というのがありました。
金聖道(キム ソンド)教主がつくった教団です。

その集団では、神が直接その集団の中心者である婦人に
いろいろと真理の啓示を与えていました。

そこでは、人間の根本の罪は何であるか、
またどうしてイエス様は十字架につかれたのか、
そのイエス様の十字架は既定事実であったのか、
そうでなければ人間が不信した結果として
生じたものであるかということです。

また、メシヤは雲に乗って再臨するのか、
普通の人の子として再臨してくるのかということに対しても
一つ一つ教えてくださいました。

その婦人は何も勉強していない田舎の婦人でした。
それゆえにその婦人は、神の啓示は受けるけれども
原理的になぜそうであるかということに対しては
全く分かっていなかったのです。

その話は、キリスト教の信者においては受け入れ難い内容でした。
しかしながら、いろいろとたくさんの奇跡を行っていましたので、
その言葉を疑うことは難しかったのです。

実際には聖書的に証されていない内容のゆえに、
大変な迫害を受けました。


先生が来られた平壌にはそういう流れをくんだ集団がありました。

この集団では、再臨の主は韓国の人として
この国に来られると啓示の内容を表明しました。

この集団の信者は全国から集まって、
常に自分のすべての真心と財産をささげ尽くし、
その再臨の主を迎えるために具体的な準備をしていました。

イエス様の時代には、人々がイエス様を信じられなくて、
イエス様は馬小屋で生まれなければならず、
ヨセフは誕生日が来ても何も祝わないし、
村の友達がお祭りの時良い着物を着ているのに、
イエス様だけは着たいものも着れず、
学校にも行けなかった恨みがあったというのです。

イエス様が再び来られた時そのようなことにならないために、
イエス様が生まれる時から亡くなられるまでの
すべての家具やら衣類などすべてを準備していました。
それも東洋式と西洋式で全部準備していました。

聖主教の婦人の流れをくんだ中年の婦人がこの準備をしていました。


その許孝彬氏にイエス様が現れて、
「私があなたにお告げをする時には、
ちょうど子供が母親のおなかの中にいる時に子供が動くように、
あなたのおなかにそういう兆候が現れる。
そうしたら、私があなたに現れて色々お告げをするでしょう」
と言われました。

それで腹中教という名前もあったのです。


ある時、イエス様が現れて、
「自分がこの世にいた時にあれくらい寂しい生活はなかった。
食べたい物があっても食べられない、
着たい物があっても着れない、
学びたいけれども学校に行って学ぶこともできなかった」
と寂しかった時のことを直接彼女を通して話してくださったそうです。

この話をしてくださった時、彼女はイエス様がお気の毒で
本当に泣かされて泣かされてならなかったのでした。

そこでその集団では、その恨みを晴らしてあげなければいけない、
再臨のメシヤを迎える時には絶対に過去にあったようなことが
あってはいけない、ということで万全の準備をしたわけです。

再臨のメシヤを迎えることによって、
そういったメシヤの恨みを晴らすことができるということです。
そのために、準備をするのに本当に心を尽くしたのです。


着物を作るにしても、準備する人は身を清め、
そして着物を作る部屋を清め、物を買うにしても
絶対に誰も手をつけていない新しい布を買ってきたのです。

物を買うにしても、値段をまけさせるということはしませんでした。
その理由が分かりますか。

メシヤはこの上もない貴重なお方ですから、
メシヤが着る着物を準備する人の心というのは、
金があれば金の着物を作りたいのが願いです。

メシヤが着る着物ですから、高いということはありえないのです。
メシヤの価値に比べたら、すべての物は
あまりにもあまりにも安いものであると考えたのです。

高いからまけてもらうということは心が許さなかったのです。
そして着物を作り始めるにしても、その当時は
機械がありませんでしたから、全部手で縫うのです。
心を込めて針で縫ったのです。

もし着物を作っているところに子供が入ってきて、
作っている着物に触ったりでもしたら、
またやり直さなければなりませんでした。

 
ある時、その集団では再臨のメシヤがかぶる
韓国古来の帽子を作ることになりました。
ところがそれは北の平壌にはありません。

そこで南のソウルに行って、それを有名な人に作ってもらい、
平壌まで運ばなければなりませんでした。

汽車に乗って持ち運ばなければなりませんが、
帽子を荷物の上に置くこともできないし、
また他のいろんな所に置くこともできません。

ですから頭の上に掲げて持って来たのです。
二人の人が支えて十時間以上もかかる汽車の道のりを
そのようにして運んだということをみても、
どれほど心を込めて作っていたか、
準備したかということがお分かりだと思います。

I 平壌開拓から興南解放
 第一章 平壌開拓の日々
「聖主教と腹中教」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集 伝統の生活化』を改題

再編集 文責:ten1ko2


聖主教と腹中教は、大母様を通じて
真のお母様が統一教会に導かれることになった
きっかけとなった教団でもあります。

もう1世紀前の頃からの貴重なお話しです。

この元弼先生の証しには、
具体的なエピソードが紹介されていますが、
メシヤを迎えるために、これほどまでに
真剣に侍っていかれたのかと、
凄まじい精誠であると思います。

生きた主に侍る私たちの姿勢も、
ここまで真摯であるか、
反省させられますね。


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posted by ten1ko2 at 13:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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