ヨーロッパ天議苑苑長をされていた
大塚克己先生が、お母様の命を受け、
UPFの会長に就任されました。
「祝福家庭」に紹介されていた
自叙伝を紹介します。
☆
【永遠の愛に疑問を抱き人生の目的を求めた学生時代 】
私が初めて、人生の問題について考えたのは
小学校高学年の頃でした。
雪の降る寒い冬の日、一人で家にいたときのことです。
静寂の中に、柱時計のチックタックチックタック
という音だけが聞こえる中、
ふとこんなことを思った のです。
1秒1秒が刻まれて時間が流れていく。
あと、何十万回か何百万回か刻まれたら、
私はこの地上からいなくなる。
私はどこから来たのだろう、
そしてどこに行くのだろう・・・・
その頃からでしょうか、漠然と、
人生の根源みたいなものを求めるようになった気がします。
思えば、多感で早熟な子供でした。
☆
また高校生になると、「いかに良い子孫を残すか」
ということを考えるようになりました。
良い子孫を残すには、良い人と結婚する以外にない
という結論に達し、クラスの女性みんなを対象に、
「この人と結婚したらどうなるだろう」などと
シュミレーションしてみるのですが、
ことごとく希望がありませんでした。
そして、良い結婚相手に恵まれたいが、
自分自身で見つけるのは難しい、
どうしたらいいのだろうと、真剣に悩んでいたのです。
さらにその頃、女性の友人の裏切りを経験したことで、
「永遠の愛」というものに対して
疑問を抱くようになっていま した。
それを機に人生の目的を求めるようになり、
哲学科を専攻したのです。
☆
当時の日本の大学には共産主義の嵐が吹き荒れていました。
東京の大学を受験したときには、
学内は全ての窓ガラスが割られるなど、
騒然とした雰囲気でした。
受験生は機動隊に守られながら受験会場に向かったのです。
誰もが、共産主義を学ばなければ時代に
取り残されるかのような錯覚を覚えたものです。
そういう中、私も共産主義に触れながら、
無神論とは何かを考えるようになりました。
その結果、いきついたのが、
「無神論、つまり神がいないという論理は
成立するのか」という疑問です。
「何々がある」ことを証明するのは、
一例でもあればできますが、
逆に「ない」ことを証明するのは極めて困難です。
ですから「分からない」「不可知」というのが
最も謙遜な考え方で、頭ごなしに
「神はいない」と結論づけることには抵抗を覚えました。
☆
【信仰の親から「サタン」と呼ばれる】
そんな私が統一教会(家庭連合)に導かれた経緯は、
次のようなものでした。
1971年春、大学の寮に入った私は、
同じ寮の男性と一緒に酒を飲みながら、
「どちらが先に女友達をつくるか」と賭けをしました。
そのとき私は内心、「勝った」と思いました。
なぜなら、私のほうが格好が良いと思ったからです。
そんなある日、目を疑う出来事が起こりました。
その彼が、キャンパスできれいな女性と話をしていたのです。
私は驚くとともに、こんなことがあるはずはない、
何とか2人の仲を壊さなければという気持ちになって、
2人の間に入って茶々を入れ始めました。
するとその女性がふっと私を振り返って、
一言、「サタン」と言ったのです。
それが、後に私の信仰の親となった
松尾千恵子さん(現・松永、1800双)です。
強烈な出会いでした。
☆
その後、松尾さんとは学食などで、
キリスト教や聖書について話をするようになり、
熱心に勧められて、12月25日から
金沢教会で行われた3日修練会に参加しました。
しかし、原理講義を聞いても全く分からず、
いつもうつらうつら、いや熟睡していました。
ただ、そういう中でも心に残った言葉があります。
総序で最初に講師が、
「人生の目的は幸せになることです」と言って、
黒板に、「人生→幸福」と書いたとき、大変驚きました。
なぜなら、私が探し求 めてきた人生の目的に対して、
「幸福」というたった2文字で答えが示されたからです。
最後の同時性の講義では、なぜか講師が、
いわゆる三本線を引いているときに目が覚めました。
講師が線の右下に「再臨主」と書いたとき、
「あ、俺のことかな」と思いました。
ただ、どう考えても誕生の年数が合わない、
自分ではないのか、「原理」は間違っているのではないか、
そうでなければメシヤは誰なのか、今講義している人なのかな・・・
こんな疑問が深く心に残りました。
☆
3日修から帰ると、今度は特別修練会 (以下、特修)に
出るように勧められました。
しかし気が進まず、もやもやした気持ちを抱えたまま、
暮れに故郷(新潟県)に帰りました。
そして年が明けた 1972年1月5日午前5時に、
不思議な夢を見たのです。
私は夢の中で蛇に追いかけられて、 必死で逃げていました。
やがて逃げ疲れて腰を抜かしていると、
場面がバッと変わって、山伏が現れました。
私の家の裏に八海山という霊山があって、
そこに修験道の道場があるのですが、そこの山伏でした。
彼は、木を井の字に組んで燃やしていたのですが、
ものすごい炎が上がる中、私をパッと見て、
「火のそばに来て光に当たれ!」と叫んだのです。
そこで目が覚めました。
☆
やがて何かを感じたのか、松尾さんから電話がありました。
夢の話を伝えると 松尾さんは驚いて、
すぐに金沢に戻ってくるようにと言うのです。
私も啓示的な夢が気になったので金沢に戻り、
松尾さんの強い説得もあって、すぐに特修に参加しました。
大塚克己ヨーロッパ天議苑苑長(当時)
『自叙伝 天地人真の父母様との対話』
第1回天からの召命@
祝福家庭より
『自叙伝 天地人真の父母様との対話』
第1回天からの召命@
祝福家庭より
☆
再編集 文責:ten1ko2
今回、私が載せようと思ったのは、
たまたまページをめくっていて、
『信仰の親から「サタン」と呼ばれる』
という文字が見えたからです。
「サタン」と呼ばれた人から、
教会に導かれたなんて、
なんともユニークです。
大塚会長は内外共に立派な方だと思いますし、
哲学的な世界もお持ちの方ですが、
何よりも、先祖の功労、というのでしょうか、
霊的な導きがあったのですね。
修練会に参加することができたのも、
霊界の協助があってのことでした。
続きはお楽しみに。。。
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