2024年08月23日

(証し)自分がメシヤかも?! 若き日の大塚会長が、統一教会にハマるまで



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ヨーロッパ天議苑苑長をされていた
大塚克己先生が、お母様の命を受け、
UPFの会長に就任されました。

「祝福家庭」に紹介されていた
自叙伝を紹介します。

【永遠の愛に疑問を抱き人生の目的を求めた学生時代 】

私が初めて、人生の問題について考えたのは
小学校高学年の頃でした。

雪の降る寒い冬の日、一人で家にいたときのことです。
静寂の中に、柱時計のチックタックチックタック
という音だけが聞こえる中、
ふとこんなことを思った のです。

1秒1秒が刻まれて時間が流れていく。
あと、何十万回か何百万回か刻まれたら、
私はこの地上からいなくなる。

私はどこから来たのだろう、
そしてどこに行くのだろう・・・・

その頃からでしょうか、漠然と、
人生の根源みたいなものを求めるようになった気がします。
思えば、多感で早熟な子供でした。


また高校生になると、「いかに良い子孫を残すか」
ということを考えるようになりました。

良い子孫を残すには、良い人と結婚する以外にない
という結論に達し、クラスの女性みんなを対象に、
「この人と結婚したらどうなるだろう」などと
シュミレーションしてみるのですが、
ことごとく希望がありませんでした。

そして、良い結婚相手に恵まれたいが、
自分自身で見つけるのは難しい、
どうしたらいいのだろうと、真剣に悩んでいたのです。

さらにその頃、女性の友人の裏切りを経験したことで、
「永遠の愛」というものに対して
疑問を抱くようになっていま した。

それを機に人生の目的を求めるようになり、
哲学科を専攻したのです。


当時の日本の大学には共産主義の嵐が吹き荒れていました。

東京の大学を受験したときには、
学内は全ての窓ガラスが割られるなど、
騒然とした雰囲気でした。
受験生は機動隊に守られながら受験会場に向かったのです。

誰もが、共産主義を学ばなければ時代に
取り残されるかのような錯覚を覚えたものです。

そういう中、私も共産主義に触れながら、
無神論とは何かを考えるようになりました。

その結果、いきついたのが、
「無神論、つまり神がいないという論理は
成立するのか」という疑問です。

「何々がある」ことを証明するのは、
一例でもあればできますが、
逆に「ない」ことを証明するのは極めて困難です。

ですから「分からない」「不可知」というのが
最も謙遜な考え方で、頭ごなしに
「神はいない」と結論づけることには抵抗を覚えました。

【信仰の親から「サタン」と呼ばれる】

そんな私が統一教会(家庭連合)に導かれた経緯は、
次のようなものでした。

1971年春、大学の寮に入った私は、
同じ寮の男性と一緒に酒を飲みながら、
「どちらが先に女友達をつくるか」と賭けをしました。

そのとき私は内心、「勝った」と思いました。
なぜなら、私のほうが格好が良いと思ったからです。

そんなある日、目を疑う出来事が起こりました。
その彼が、キャンパスできれいな女性と話をしていたのです。

私は驚くとともに、こんなことがあるはずはない、
何とか2人の仲を壊さなければという気持ちになって、
2人の間に入って茶々を入れ始めました。

するとその女性がふっと私を振り返って、
一言、「サタン」と言ったのです。

それが、後に私の信仰の親となった
松尾千恵子さん(現・松永、1800双)です。
強烈な出会いでした。


その後、松尾さんとは学食などで、
キリスト教や聖書について話をするようになり、
熱心に勧められて、12月25日から
金沢教会で行われた3日修練会に参加しました。

しかし、原理講義を聞いても全く分からず、
いつもうつらうつら、いや熟睡していました。

ただ、そういう中でも心に残った言葉があります。
総序で最初に講師が、
「人生の目的は幸せになることです」と言って、
黒板に、「人生→幸福」と書いたとき、大変驚きました。

なぜなら、私が探し求 めてきた人生の目的に対して、
「幸福」というたった2文字で答えが示されたからです。

最後の同時性の講義では、なぜか講師が、
いわゆる三本線を引いているときに目が覚めました。

講師が線の右下に「再臨主」と書いたとき、
「あ、俺のことかな」と思いました。

ただ、どう考えても誕生の年数が合わない、
自分ではないのか、「原理」は間違っているのではないか、
そうでなければメシヤは誰なのか、今講義している人なのかな・・・
こんな疑問が深く心に残りました。


3日修から帰ると、今度は特別修練会 (以下、特修)に
出るように勧められました。

しかし気が進まず、もやもやした気持ちを抱えたまま、
暮れに故郷(新潟県)に帰りました。
そして年が明けた 1972年1月5日午前5時に、
不思議な夢を見たのです。

私は夢の中で蛇に追いかけられて、 必死で逃げていました。
やがて逃げ疲れて腰を抜かしていると、
場面がバッと変わって、山伏が現れました。

私の家の裏に八海山という霊山があって、
そこに修験道の道場があるのですが、そこの山伏でした。

彼は、木を井の字に組んで燃やしていたのですが、
ものすごい炎が上がる中、私をパッと見て、
「火のそばに来て光に当たれ!」と叫んだのです。

そこで目が覚めました。


やがて何かを感じたのか、松尾さんから電話がありました。

夢の話を伝えると 松尾さんは驚いて、
すぐに金沢に戻ってくるようにと言うのです。

私も啓示的な夢が気になったので金沢に戻り、
松尾さんの強い説得もあって、すぐに特修に参加しました。

大塚克己ヨーロッパ天議苑苑長(当時)
『自叙伝 天地人真の父母様との対話』
第1回天からの召命@
祝福家庭より
再編集 文責:ten1ko2


今回、私が載せようと思ったのは、
たまたまページをめくっていて、
『信仰の親から「サタン」と呼ばれる』
という文字が見えたからです。

「サタン」と呼ばれた人から、
教会に導かれたなんて、
なんともユニークです。

大塚会長は内外共に立派な方だと思いますし、
哲学的な世界もお持ちの方ですが、
何よりも、先祖の功労、というのでしょうか、
霊的な導きがあったのですね。

修練会に参加することができたのも、
霊界の協助があってのことでした。

続きはお楽しみに。。。


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