2024年09月03日

問題児の修練生、若き日の大塚会長に起こった、劇的回心エピソード 《大塚克己自叙伝》



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大塚克己UPF会長の自叙伝、
第2回目です。

ふまじめな修練生に突如起こった劇的回心

私が出た第11期特修(1月8日から2週間)は、
宝塚研修センター (兵庫県)で行われました。
修練生は100人ほどいたと記憶しています。

私はその頃、長髪にジーパンという、
ヒッピーのような格好をしていました。

講義には興味がなく、いつも聖書を枕に寝ているような、
ふまじめな修練生でした。

ですから、再臨のメシヤを明かされても、
全くピンときませんでした。
班長からは完全に見放され、
「面接の価値なし」と思われていたようです。

ところが、修練会の期間、
霊的な現象がいろいろと起きたのです。

講義中に寝ていたら、後ろから頭を3発、
強い力で叩かれたことがあります。
びっくりして後ろを振り向くと、誰もいません。
しかも後ろは壁なのです。
ぞっとしました。


そして特修も終盤にさしかかった1月19日、
人生の大転換が起こりました。

当時、修練所から山道を少し登った所に、
統一教会の年配の婦人たちがこもって祈りを捧げていた
「重生祈祷院」(1968年5月11日開設)がありました。
その頃は、山路みち子さんという
霊能者の婦人が祈祷生活をしておられました。

その日、山路さんが修練所に来て、
修練生たちに霊界の話をしてくださいまし た。

白髪の上品な老婦人でしたが、
私たちを見ながら、「今回の人は皆、(霊人体が)真っ黒ね。
先回は灰色の人もいたけど」
と、言いにくいことをズバッと言ったのです。

私はカチンと来ました。


その後、遅れて夕飯の時間になったのですが、
修練生たちの中で食卓に着いたのは私一人でした。

皆、山路さんの話を聞いて悔い改め、
もっと神様に近づきたいと、祈祷をしたり水垢離をしたり
断食をしたりで、食事などそっちのけだったのです。

私はこれ幸いと、他の人の分まで食べていました。
ところが食事の最中に、どこからか
「山路さんのところに行きなさい」
という声が聞こえてきたのです。

最初は小さい声でしたが、
だんだん大きな命令口調になってくるのです。

私は観念し、大急ぎで食事を終えると外に出ました。


9時は過ぎていたでしょう。
当然、真っ暗でした。

不思議な声に促されて
飛び出してきたものの、祈祷院の場所を知りません。
どうしたものかと思っていると、
光のような一筋の道が山のほうに延びていました。

その光に導かれるように山道を登っていくと、
やがて祈祷院に着きました。

意を決して声をかけ、事情を話すと、
山路さんは快く中に入れてくれました。
そして私を相手に、再び熱心に霊界の話をしてくれたのです。

「霊界では統一原理が真理であることははっきりしています。
真のお父様がメシヤであることははっきりしています」
と言われたことを覚えています。

私は30分ほどいて、そこを辞しました。


ところが、外に出て修練所に続く砂利道に足を踏み出したとたん、
ドーンという音とともに体が震え出したのです。

霊動というのでしょうか、もう立っていられなくなり、
その場にバタンと倒れてしまいました。

すると、自分の罪や穢れに対する悔い改め、
そしてそんな私を呼んでくださった神様に対する感謝の気持ち、
さらに「真の父母様、再臨のメシヤに従っていきます」
という決意が怒涛のように湧き上がってきたのです。

私は砂利をつかんでおいおい泣きました。
おこがましいのですが、私にとっては、
パウロの回心にも匹敵するような、劇的な転換でした。

1972年1月19日午後10時10分のことでした。

一方、修練所では、夜遅くに私がいなくなったということで、
騒ぎになっていました。
そんな中、私が戻ってきて、「この道を行きます」
と班長に伝えたので、班長はびっくり仰天していました。


この期間、特筆すべきことは、信仰の親である松尾さんの精誠でした。

後で分かったのですが、私が金沢にいる松尾さんに手紙を書くと、
その質問に対する答えに当たる内容を、同日同時刻に
松尾さんが金沢で書いていたということが、何度もあったのです。

私のために祈っていなければ、こんなことは起こらないでしょう。

私がこの道に来られたのは、霊的な力はもちろんですが、
このような信仰の親の精誠のおかげだと思っています。

大塚克己ヨーロッパ天議苑苑長(当時)
『自叙伝 天地人真の父母様との対話』
祝福家庭より
再編集 文責:ten1ko2


霊的な体験をされた大塚会長。
頭を殴られたり、不思議な声がしたり、
そういう霊界からの協助がなければ、
この道にはいなかったのかもしれません。

私たちは自分の意志だけで、この道に来たのではなく、
逆に言えば、先祖の皆様、善霊の助けがあって、
この道にいるということを改めて感じます。

また、信仰の親(霊の親)など、
私に関わってきた人たちの協力にも
当然、感謝しなければならないと思います。

次回もお楽しみに。。。


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