李ヨハネ先生「信仰と生活」
今回は、『本性』です。
☆
「固執」という堕落性がありますが、
これは忠誠の本性が逆転してなるのです。
ゆえに、固執の強い人がもし信仰に入れば、
忠の強い信仰者になるのです。
パウロなど、そもそも固執の強い人間だったのです。
このように本性も、立場が違うと、堕落性になってしまうのです。
だから、堕落性があるからと、簡単に自分を
悪と決めつけたり、思ったりしてはいけないのです。
それも使い方によっては、本性としての
素晴らしさを発揮できるのであって、
ただ立場が違うと、罪になるのです。
立場が元に返ると、それは本性になってしまうのだから、
したがって罪というものはないというのです。
☆
なぜ罪というのでしょうか。
サタンの立場に立つから、罪という言葉が出てきたのです。
だから、それを切り替えるイエス様一人によって
皆の罪がなくなる、贖罪できるのは、
ここに理由があるのです。
しかし、今まで修行した人、信仰した人たちは、
必死になって、食べずに、眠らずに、
ひざにまめができるほど祈ったけれども、
結局、自分の本性も、サタンの正体も
つかむことができなかったのです。
☆
よみがえるというのは、私たちのその本性を
よみがえらせるということではないのです。
サタンの霊によって、サタンの結果が結ばれていた本性を、
また神の聖霊によって、聖霊の実が結ばれる本性にするのです。
だから、信仰すれば今までより高い、より公の情、
すなわち自分よりも家庭、家庭よりも民族を
心配するというように、情の方向が違ってくるのです。
信仰する前とあとでは、今までとは違って
人のために涙を流すというように、情のレベル、基準が違うのです。
結局、自分よりも他人、他人よりも歴史とか未来、
それよりも天の創造目的のためにという、
この世で比べられない永遠なる情にまで行くのです。
☆
皆さんは、自分の物足りない部分というか、罪というか、
そういう自分の欠点にこだわってあまり心配してはいけない。
それよりも、私たちは神の心配を分け持たなければなりません。
食べるのも生きるのも神のためであるのなら、
私たちの情というものも、神から来るものと思わなくてはなりません。
今までのサタンからの情を切って、
立場が違ったということを分からなくてはいけない。
今までの自分と思ったなら、いくら信仰しても
そのままになってしまうのです。
聖書にあるように、君の信仰が君の願いをなすというのです。
病人に対して、「汝の信仰が病気を治した」というのと同じく、
皆さんが自分をだれのものと思うかということが大切なのです。
自分の情も、神のものと思えばいいのです。
既成教会の人たちはこれを知らないので、
いつも、「罪人、罪人、どうかこの罪を救い給え」などと、
すらすらと言っているけれども、
自分の位置は神側に来ているのです。
1.牧会
本性
本性
信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
心霊を育てる生活原則「心情開拓」
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
☆
再編集 文責:ten1ko2
私の持っている情を善を中心として使うか、
悪を中心として使うか、このことで
本性、堕落性が決定するということです。
自分は幼いとか、足りないとか、
罪深いとか、また、欠点ばかりが
目についてしまうかもしれません。
しかし、そんな私だったとしても、
どのように見つめていくかによって
大きく変わっていくといいます。
神様を中心に物事をとらえていく、
その心の見つめ方が重要であると
あらためて思わされるのです。
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