2024年10月05日

昨日より今日、さらに1年後が大きくなる 統一教会が負けるはずがない理由 《ダンベリー精神》



240928-1984.0720ダンベリー.png


1984年7月20日、ダンベリーへの出発に当たり、
イーストガーデンに集まった教会員に
語られた激励のみ言(要約)の続きです。

真のお父様(文鮮明先生)は、
「皆さんが一つになれば
地獄の門を開くことができるのです」と語られています。

統一教会は涙を流しながらも前進する気根を持っています

ですからお母様も、もし涙を流したとしても、
夫が行くからといって失望する涙ではなく、
決意する涙でなければなりません。

失望でなく、希望と決意と未来の闘争のための
奮起の涙として変えることができるのは、
打たれて奪ってくる法則を守っていく道であり、
そうしなければ次は打たれて恵みを受ける基台が
なくなってしまうことを知らなければなりません。

今は泣いたとしても、より大きなものを
受けることのできる器となって雄々しく強くなりなさい。
希望と所望を持ちなさい。

そうでなければこれから打たれて
天が探してくださる恵みを受けることができず、
こぼして失ってしまうことになります。


だから、たとえ全アメリカから反対されるとしても
レバレンド・ムーンは負けないでしょう。
絶対に負けるはずがありません。

レバレンド・ムーンはアメリカ以上の所望を持って、
これから探してくださるアメリカまでも
受けることのできる準備をしなければならないのです。

そしてわれわれは昨日よりもきょう、
きょうよりも明日が大きくなり、
明日よりも1年後がより大きくなるでしょう。

それで神様の願いである45億人類が
一つとなることのできる道をつくることができるならば、
その道を選ぼうとするのが先生の思想なのです。

大法院の決定が出た時、
「神様! 次は何を与えようとするのですか?」
と先生は尋ねたのですが、大法院の決定の後には
キリスト教が統一教会に戻ってきたのです。

今回のこの法廷闘争において、先生が監獄に行く道を通して、
これから受け継ぐであろう大きな祝福とは何でしょうか?
それは世界の人類が先生の胸に抱かれるようになることです。

先生が行く道には、統一された家庭が付いてくるし、
民族が付いてくるし、統一された国が従ってくるし、
統一された世界が付いてくることを知っています。

そしてこの峠を越えて会う時には、
その場に統一された世界の群れが先生を待っているのです。

先生の行くこの道というのは希望の道であります。
そしてそこには、何十億という人がいるでしょう。
また、神様と一つに連結できる道があるでしょう。

私はそのために十字架の道を
所望と歓喜の道として行こうとするのです。

地獄の門を開く時、そこには復活があります

きょうこの日を通じて、統一教会は
統一を成就する伝統が父母様より子女様へ、
祝福家庭へ、既成教会へ、アメリカへ、世界へと
連なる橋が連結されたことを知らなければなりません。

この橋はだんだんと大きくなっていくでしょう。

このように壮大な道を出発するこの日に、
皆さんは涙で先生を送ってはいけません。
涙を流したかったら十倍、百倍、先生以上に
この国と世界のために闘うための涙を流しなさい。

心が痛み悲しければ、先生が出てくる時、
千人を一つにし、一万人を一つにして
会うことのできる統一の役軍となることを、
この時に神様が皆さんに期待している事実を忘れてはなりません。

先生は統一教会とキリスト教会と世界が一つになることを
信じて監獄に行きますが、先生は監獄の中で
一つになることのできない群れたちを一つにするための
運動のゆえに行くのだということを知らなければなりません。

だから皆さんは本当に一つにならなければなりません。
皆さんが一つになれば地獄の門を開くことができるのです。

イエス様が十字架にかかった後に、地獄に行って
門を開いたのと同じように、先生は死なずに
生きて門を開こうとする最後の峠を越えるのです。

この門を開く時、そこには復活がありますし、
五旬節が付いてくるようになります。
先生はこのように思っているのです。

(『ファミリー』1984年10月号より)

ダンベリー出発に際してのみ言➁
「十字架の道を所望と歓喜の道として行きます」
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=25626
前半(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


先回もお伝えしたかも知れませんが、
ダンベリー刑務所に入る直前の
お父様のみ言には、恨みとか悲壮感、
そういったマイナス的な発言が一切ありません。

希望に満ちた、困難を克服する、
強い信念の塊のようなお父様を感じます。

こういうお父様が私の父であることが、
本当に誇りであり、ありがたい存在であることを
つくづく感じるのです。。。

最後までお読みいただき ありがとうございました!
ポチッ!がまだの方はお願いしますm(__)m
ポチッは1日1回有効で、1週間の合計で
ランキングの順位が決まります。
ポチッとすると、現在の順位が出てきます ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ 当ブログ記事の転載、拡散は、歓迎いたしますが、
その際は、リンクを貼っていただくか
当ブログ名とURLを記載して頂くようにお願いいたします。

なお、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。

※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。 

posted by ten1ko2 at 09:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 父母様の路程 生活の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック