2024年10月12日

若き再臨主の半端ない吸引力! なぜ、帰りたくなくなるのか 《金元弼先生のベストアンサー》



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金元弼先生のみ言、
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」より
今回は、「霊能者とキリスト教信者」。

1947年、東洋のエルサレムと言われた平壌──
30名もの人たちが、なぜ再臨主の許に
集まってきたのでしょうか。


(文鮮明)先生は(大同保安署から釈放された後)
体が回復すると、すぐに前と同じく
朝早くからみ言を語られ、夜遅くまで語り続けられました。

今までずーっと見てまいりますと、先生がいらっしゃる所には、
常に大勢の食口たちが集まっているのです。
それゆえに、先生お一人の時間というものは全くありません。

リーダーになると、自分一人の時間が
欲しくなる時がよくあると思います。
しかし、先生にはそれがありませんでした。

先生の生活は、今でもそうですが、ちょうど
ガラスの部屋の中で生活しておられるものと
考えれば、大変分かりやすいと思います。

一方、私たちは壁を作って、その中で誰からも見られない、
自分だけの時間をもちたいと思い、そういう環境が欲しいと考えます。
しかし先生の場合は、何時にお部屋に行かれ、
何時に起きられたというように、すべて見ることができるのです。

 
四七年には約三十名の食口が集まりました。

先生を尋ねて集まってくる人たちは、
長年の間信仰生活をしてきた人たちです。
みんな各教会の中心人物でした。

彼らは、いろいろな奇跡や予言をしたり、
人々の病気を活したという経験をもっている霊能者でした。

それゆえに、その人たちによって、
教会の信者は伝道されたのです。
ですから彼らは、その教会の中心的な幹部であり
柱のようになっていました。

また、牧師のみ言を神のみ言のごとく大事にし、
牧師に対して神に侍るごとく侍ってきたのです。


その人たちに神は、メシヤの十字架は神の計画ではない
と啓示で教えてくるのでした。

霊能者は、牧師からイエス様の十字架は
神の計画であったと教えられているのに、
神の教えはそうではないのです。

霊能者はこの神の啓示を非常に喜んで、
牧師も必ず聞いてくれるだろうと思って
書きつけて話してあげました。

ところが予想とは異なって、牧師は
「それは正しくない。聖書を見なさい」
と言って、その霊能者の食口に
間違っていることを聖書を通して話すのでした。

また「あなたに教えを告げる者はサタンである」と教えるのでした。
その時の霊能者の衝撃は、耐え難いものでした。

それで家に帰って神にお祈りしました。
その啓示は以前と変わらず、
「これが正しい」と教えるのです。
そこで霊能者は、牧師と教えとの間にはさまって非常に悩みました。

牧師の反対は、聖書を通して
「何章にはこのように書かれている。このように教えている」
と具体的な内容で示して
「間違っている」と言うのです。

啓示では、正しいということは教えてくれますけれども、
聖書を通して、ああであるからこうである
というようには教えてくれないのです。


教会を離れては行く所がありません。
それで心の悩みを抱えながら、既成教会についていっているのです。

そこで、時には真理があると聞けば、
このことが解決できるのではないかと思って訪ねてみたり、
山へ行ってお祈りしてみたりするのですが、
答える人はありませんでした。

そのような中で教会へ行っても、
牧師に対する尊敬の気持ちをもつことはできませんでした。

また、韓国のキリスト教会は、
家庭復帰されていて家族連れで参加します。
ですから今お話しした霊能者は、教会を建てたのですが、
生活の面でも家庭で非常に尊敬される位置にいました。

家に病人が出ておなかが痛ければ、おばあさんだったらおばあさん、
お母さんだったらお母さん、お父さんだったら
お父さんのところに来てお祈りしてくれるのです。
するとすぐに治りました。

困難なことが起こってそれを話すと、
本当によくアドバイスしてくれました。

ですから家庭の中で、生活の面でも人格の面でも
大変仰がれる立場にいたのです。
しかしながら心の葛藤がありましたから、
本当の喜びはありませんでした。


そういう時に、南から来た青年の先生が、
神霊と真理によって礼拝をするといううわさを聞いて、
その人たちは目が覚めたごとく、先生の所に尋ねてきたのです。
そういう人が先生のみ言を聞きました。

十字架は既定事実ではないと今私たちが
『原理講論』を通して細かく教えられるごとく教えられました。
その人たちは、それこそ、
「私が神から教えてもらった啓示は正しかったのだ」
ということを体験するのでした。

他にもいろいろな問題がみ言を聞くことで解決されると、
霊能者たちはそこから帰りたくなくなるのでした。

そこで非常に喜び勇んで、牧師に話したのです。
しかし、この人たちは頭では理解できたのですが、
牧師が聖書を通して一つ一つ反論するのを
説得する力はもっていませんでした。

自分よりよく聖書を読んでいる牧師に、
よく説明できないのです。

そうして傷ついて帰ってくるのでした。
私たちのかつての姿を思い浮かべて見ればよく理解できると思います。
傷ついて帰ってきた人に、(先生は)一人一人お話をしてあげるのでした。
すべての人にそうしてあげるのです。

ある人は神の啓示を受けて、
「ある所に偉大な先生がいらっしゃるから、
そこに行って尋ねなさい」と直接教えられてきた人もいました。


また、五年前に、「再臨のメシヤが来る」と
その日付けなどいろいろと啓示を受け、
自分の聖書に五年後の何月何日にメシヤを迎えるだろうと記して、
その準備をしていた人もいました。

この人がその啓示を受けた時、部屋でお祈りをしていたら、
体がくっついて動きませんでした。

朝、お祈りし始めたそのお母さんが一日中出てこないので、
子供が不思議に思って行ってみました。
そして指を動かしてもビクともしません。
起き上げようとするのですが、彼の若い力をもってしても
どうしてもそれができませんでした。

この人はそれから五年後に、自分でも分からないうちに、
何かを探したいといって家を出ていったのです。

そして、その心の導きに従って歩いて、
ある狭い道路に来た時に、美しい歌声が聞こえてきました。
そしてその歌声が聞こえてくる所に入っていきました。

そこは先生がおられた教会であったのです。
その時は彼女が約束されていた、ちょうどその日でした。

皆さんが祝祭日に着る礼服は、
その人が神の啓示によってデザインしたものです。


教会の中心的幹部たちが、先生の所に
どんどん寄り集まってまいりましたが、
今まで所属していた教会へ帰ろうとはしません。

韓国の教会というのは、国家が助けているのではなく、
教会員たちの献金によって支えられていました。
ですから牧師たちの生活も彼らによって支えられていたのです。
そういう人が先生の所に来て帰らないので、
教会は大変揺れ動き始めたのでした。

教会員たちはそういう霊能者に影響されて、
どんどん統一教会の活動をしますから、今までいた教会へ行かなくなり、
献金もその人たちが来なくなると減ってしまいました。

そうなりますと教会を運営するのが困難になり、
そこで牧師たちはいかにして
その食口をもとに帰そうかと考えざるを得ませんでした。

I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々
「霊能者とキリスト教信者」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
再編集 文責:ten1ko2


天が準備し、啓示で集まった人たち。
やはり、み言と愛で離れられなくなったのに
違いありません。

まだ教会創立前、
北朝鮮の地で復帰された方たち。。。
草創期に導かれるというのは、
どれほど使命が大きかったことでしょうか。

ですから、乗り越えなければならない試練も
その分、考えられないほど大きかったのだと思います。

既成キリスト教会の牧師の立場を考えても
中心的な人たちが教会から去っていくというのは、
歓迎すべきことではなかったでしょう。

真の父母様に侍り、従っていくというのは、
導かれるだけでもすごいことですが、
従っていくためにはさらに、
とてつもない蕩減条件が必要である、ということを
改めて実感します。


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posted by ten1ko2 at 13:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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