2024年11月14日

「祭壇に祈れない?!」 いまどきの家庭連合信徒の祈り方 《自己牧会プログラムQ&A》



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自己牧会プログラム事務局に寄せられた
質問に答えるコーナー。
「祭壇の前で祈るのが苦手です」

(女性 30代)

昔から祭壇の前に座ってのお祈りが苦手でした。

時には天に通じて祈れることもありますが、
ほとんどは雑念で祈れず、
定型文を読み上げているような感じでした。

ところが、自己牧会プログラムのワークを
始めてみると、驚くことに、
祭壇の前で祈っているわけではないけれども、
生活の中で天に心が通じている
感覚が持てるようになったのです。

しかしそれで満足してしまい、
祭壇の前で祈ることが以前より少なくなりました。
これはあまり良くないことですか?
アドバイスをお願いします。


家庭祭壇は、天の父母様と真の父母様の象徴ですから、
そこを中心に生活することはとても重要です。

苦手であったとしても、家庭祭壇の前で、朝と夜、
そのほか事あるごとにあいさつして過ごすことを、
これからも意識して実践していただきたいと思います。

一方で、内的な本質としては、
食口(シック/家庭連合の教会員)一人一人が
生きた祭壇であるということです。

食口の中にある良心こそ、生きた聖殿なのです。

そこに気付いて、生きた聖殿である良心に侍って生活することが、
天一国時代における信仰生活であると思います。

ですから、お便りのかたが、「生活の中で
天に心が通じている感覚が持てるようになった」
というのは素晴らしいことです。

「祈る時間がなければ、歩き回りながら祈りなさい」
(天一国経典『天聖経』1010ページ)というみ言もあります。

生活自体が祈りであることを意識して、
これからも生活の中で
神様と通じる体験を積み重ねていってください。

私の心の中にいる神様 80
「お便り&コメント」シリーズH
祭壇の前で祈るのが苦手です
(blessed lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


とても的確なアドバイスだと思います。

質問された方は、
心のワークを実践することを通して、
「生活の中で天に心が通じている
感覚が持てる」ようになった。。。

まさに、『生活信仰』
そのものではないか、と思います。

今は、徹夜精誠という最大の武器があります。
祭壇で祈れない、という方には
苦痛かもしれませんが。。。

ただ、3時間祈り続けるわけではないし、
集中して祈る時間は短いものです。

また、共鳴することに価値があるし、
心情一体化を通して、
勝利圏を相続することができると思います。

天に連結できる貴いひととき、
最大限、活用していきたいです。


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posted by ten1ko2 at 07:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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