2024年11月13日

こんな私に、神が「行け」といわれるのはなぜ?!  《李ヨハネ先生の信仰サプリ》

「行け」というのも神、奇跡を起こすのも神・・・



210708-John Martin-Moses dividing the waters of the Red Sea.jpg
モーセが紅海の水を分ける


李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生の
「信仰と生活」のみ言より
「心を土台として神がやる」です。


神は、一遍に三つ、四つのことを命令する時があるのです。

そういう時は、「行け」と言っても、行くのを見るのが目的ではなく、
「行け」という命令を受ける時の、その人の
「行きたい」という心構えを見るのが目的なのです。

だから、「こんな人間に、あれやこれやと忙しく仕事を
させなくてはならない神は、かわいそうだな」という
神に対する同情心がわき上がるくらいの心情があるならば、
こんな自分も神にとっては必要であり、
こんな自分をも信じてくれるのだという
縦的な因縁を発見するのです。

そのように、神と神が命令した人との間に、
相対基準ができれば、たとえその場に座っていても、
あとは神がやってしまうのです。

そういう信仰がないと、「体は一つなのに、
あれもこれも……」と不平を言いやすいのです。


モーセに率いられた六十万の民は、紅海を前にして、
「たくさんの人を連れてきて、どうするつもりか」と、
モーセに不平を言ったのです。

もしもその六十万の民が、
「エジプト軍の馬の足に踏まれて死ぬのは恥である。
海の中に飛び込んでも、私たちをここまで連れてきた神が、
滅ぼすはずはない」と信じたならば、
モーセが杖で海を打つ必要もなかったのです。


だから、ああやれ、こうやれという事情がぶつかってくる時には、
「人間はたくさんいるのに、神様、こんな者を
選ばねばならないのは、本当にかわいそうですね」
と祈ってみれば、自分も涙が出るのです。

その涙は、神の涙です。
その時に神の悲しみを体験するのです。
そのあとで、我知らず「やるぞ」
という誓いが出てくるのです。

すると、神が仕事をやるのです。

命令は神がして、なすべき結果も神がするのです。
人間は復帰摂理に加担しているけれども、
仕事は全部神がしているのです。

私たちの「心」を土台として、神がやるのです。
私たちが伝道に出た時など、特にそれを経験するのです。

何かに成功しても、神の前には「それは私がやったのです。
私でなければできないことです」とは言えないのです。
縦的関係において、「やりたい」という気持ちがあれば、
仕事は神がやっていくのです。

1.牧会
心を土台として神がやる

信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」
李耀翰
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)


神様を動機として歩むこと。
結果はどうだったとしても、
すべて神様が主管される。。。
そのように思うことが重要だと思います。

私たちは、結果に左右される堕落性があります。
ダメだった時は、反省し、
悔い改める、というより、
ただ後悔に暮れて終わってしまったりします。

また、結果が良かった時には、
神様を忘れてしまって満足してしまう、
つまり栄光在天ではなく、
自分に返してしまうこともあるでしょう。

置かれた環境に、神様の意図、配剤を感じる。。。
いつの時にも、しっかりと心を神様に向け、
神様を中心に歩んでいけるように、
あらためて心がけていきたいと思います。


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posted by ten1ko2 at 12:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 李ヨハネ先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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