2024年12月24日

私は「信教2世」です! 学校で起こった殺人事件、「苦しかった」と言えたとき  



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新潟の大教会長(2世)が、
シンポジウムで語られたメッセージ
「霊性の地・新潟から信教の自由を叫ぶ」
を紹介します。

私の立場は「信教2世」

安倍晋三元首相の銃撃事件から二年がたちました。
この間、各メディアは、宗教二世問題を
社会問題として取り上げてきました。

「宗教二世」という言葉は、家庭連合を
バッシングするための“キーワード”
としても使われてきました。

「親が高額献金を捧げることを通して、
不遇な家庭環境の中で育ってきた」

「親から信仰を強要されて宗教的な虐待を受けてきた」
などと、さまざまな声が飛び交ってきたのです。


宗教二世、きょうは、この言葉を使わないでおきます。
私の立場は「信教二世」です。

それは、親から信仰を継承したことを喜びとし、
自らの意思で、この道、信仰を育む道を
喜んで歩む者を指します。

家庭運合に信教二世は、たくさんいます。

■教会の教えと現実のギャップ

きょうは信二世の一人として、
きょうは信教二世の一人として、
皆様に心を開き、私の人生の一端を
お伝えしたいと思います。

私が親からどのようにして信仰を継承し、
育んできたのか、その人生の
一ページを皆様と分かち合いたいのです。

中高生のとき、反抗期真っ盛りだった私は、
親の信仰にあらがうように反発していました。

「宗教」という言葉が嫌いでした。
神の存在は信じていませんでした。
親の存在を、うっとうしく感じていました。

そんな私の身の周りで数々の出来事がありました。

友人たちがいじめを受ける。
自殺する者がいる。
酒やたばこに心が流れ、
現実から逃避しようとしている......。


そして、集団暴行事件が起こりました。
私が中学2年のときです。

1学年上の先輩が、高校生たちに呼び出されて
深夜のグラウンドで集団暴行を受け、
病院に搬送されました。
先輩はそのまま命を落としました。

つまり、私の学校で殺人事件が起きたのです。

亡くなった先輩は、私がよく知る、近しい先輩でした。
身近な人が命を落としていくという現実を
目の当たりにしたときに、
私の心の中に陰りが生じました。


教会に行けば貴い教えを聞くことができます。

神は存在している。
人のために生きることは素晴らしい。
あなたたちは神様の子供である・・・・・・?

もう、たくさん聞きました。
しかし、目の前にあるのは悲惨な現実。
教会で聞く教えと現実の間に
あまりにも大きなギャップがありました。

私は苦しかったです。
心のうちを誰に打ち明けて相談すればいいか
分かりませんでした。

心の苦しさを自らの中で押し殺しながら
必死に耐える日々を過ごしたのです。


大学に進むとき、私は一つの決心をしました。

“親と縁を切り、信仰を捨てよう” 

信仰を持っていても目の前の現実は変わらない。
むしろ信仰を持つことで制約されることが多々ある。
親から、正論のようなこと、教えを押しつけられる。

そんなうんざりする日々を思い返しながら、
私は、"このまま親と縁を切り、信仰も全て捨てて
自分なりの人生を歩んでいこう”という思いに
身を任せていました。


そんな私に、人生の転機が訪れることになります。

大学に進んだとき、同じ大学に通う
教会の先輩との出会いがありました。

お兄さん(先輩)は私に、「話をしよう。
権龍(けんりゅう)の人生を聞かせてほしい」
と語りかけました。

私は自らの人生について語り始めました。
身の周りで亡くなった人がいる。
私も非行に走ってきた。
親をたくさん裏切ってきた。

苦しいことがいっぱいあった。
でも、誰も相談に乗ってくれる人はいなかった。

心を打ち明け、とうとうと話していると、
目の前で一滴三滴としずくが落ちました。


お兄さんが泣いていたのです。

「苦しかったね。つらかったね。
よく耐えてきたね・・・・・・」
と言いながら涙を流していました。

私は驚きました。
“何で泣いているんだろう。他人なのに"
と私はお兄さんに
「何で泣いているんですか?」と尋ねました。

すると、「権龍は弟じゃないか。
弟が苦しんでいたら、その思いを
分かち合うのが兄弟じゃないか」と返ってきました。

お兄さんの温かい心に触れて、
凍りついていた私の心に
わずかに愛が届く感覚がありました。


お兄さんは、このように語りました。

「自分も、なんちゃって二世だったよ。
信仰を持ってるふりをしてきた」

「自分も、信仰をやめようと思ってきた。
でも権龍、神様っているんだよ。
神様に出会えば、人生変わるんだよ」

「信仰をやめるかやめないかは置いておいて、
神様がいるかどうかだけは確かめてみよう」

■「神様、苦しかったです」

そんな先輩の言葉に背中を押され、
私は、教会で主催された研修会に参加することになりました。

それは、教義を学びながら、
さまざまな実践をして自分の心を育み、
っていく場でした。

私は、この研修会でつかむものがなければ、
全て捨てて本当に親と縁を切ろう、
こんな思いで参加しました。

実は、信仰を捨てよう、親と縁を切ろう
と思いながら、受験勉強を一生懸命
頑張っていたのは、この会場の五階でした。

天の計らいなのか、きょうはその六階で、
信教の自由を守るための講演をしています。


私には、ずっと疑問に思ってきたことがありました。

“親はなぜ、メディアからバッシングされ、
ネットを開けば誹謗中傷の中にある、
この統一教会の信仰を持っているのだろうか。

親は何か、間違ってきたんじゃないか。
神様なんて本当にいるのか私は、
その答えを研修会で必死に求めてみました。


山に登り、頂上でお祈りをするという
チャレンジがありました。

そのとき、司会が「人生を振り返りながら
祈ってみてください」と言いました。

私は、人生を振り返りたくなかったです。
苦しいことや思い出したくないことが
いっぱいありました。

その登山で、私は神様に出会うこととなりました。

人生を振り返り、手を合わせて祈ろうとしたとき、
私の口から最初に出てきた言葉は、
「神様、苦しかったです」でした。

私はそれまで、自分が苦しかった
ということを認めずに生きてきました。

必死で心にふたをし、
感情を表に出さないようにしてきました。

それが、ありのままの思いを
神様に伝えようとして出てきた言葉は、
「神機、苦しかったです」だったのです。

その一言を言った瞬間、目から大粒の涙があふれ、
滝のように流れました。

信教の自由と人権を守るシンポジウム 新潟県民集会(7.20)
影山権龍 孝情礼拝
「霊性の地・新潟から信教の自由を叫ぶ」
世界家庭11月号
再編集 文責:ten1ko2


生まれてから、二世という立場で
最初から行くべき道を与えられる、というのは、
(うちの子供もそうですが)宿命を受け入れられればいいですが、
実際には、簡単ではない気がします。

この大教会長も、様々な葛藤の中にありましたが、
それを乗り越えることができたのは、

兄と慕う教会の先輩の一言でした。

この時、大学生の大教会長を
立ち上がらせるきっかけになった、
この一人の兄弟の姿に、
驚きと感動を覚えます。

続きます。



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