2025年01月03日

私が、孫だからこの道を歩んでるわけではない 《文信出様*特別スピーチ》



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Bleseed Lifeに
★年末年始特別配信★として
文信出(ムン・シンチュル)様のメッセージ
が紹介されていました。

一年前に来日された時のみ言です。

兄弟としてお互いを愛し、全ての人を愛する人となりましょう

ただ、自分の生活圏の中で、真の父母様に
触れた人生はどういう人生だと、証明すればいいのです

私は、高校1年生の頃に初めて信仰を持ちました。

こう言うと、「あれ、でも小学生の頃から
行事で見た気がする」と思うかもしれませんが、
実は、その頃は何でそういう行事に
行っているのか、よく分かっていませんでしたね。

ただ、週末が奪われる、くらいに思っていました。(笑い)

でも、ある転換点がありました。
それを説明すると、話がとても長引くので省略します。(笑い)

その転換点のおかげで、私は自らの信仰を持つことができました。

しかし、信仰を持てば持つほど、
沼に落ちていく気持ちでした。

なぜかというと、今まで自分が当たり前のように
生きてきた、この人生の全てが、
どこから出てきたのかを学んだからです。

摂理歴史や真の父母様の生涯路程を
勉強すればするほど、自分が、食口たち、
そして真の父母様の血と汗と涙の上に
立っている気持ちになりました。

当時は、本当に教会に行きたくなかったですね。
期待がこもっている目線がもう本当にきつくて。

自分という人間は本当に不足なのに、
真の父母様が背負ったその責任を
自分も手伝わなければいけないと考えると、
もう存在価値がなくなる気持ちでした。

中心人物たちの歩みを知り沼から出ることができた

その沼から出られたきっかけは、モーセ路程でした。

モーセは、まあ、パッと見たら、
本当に素晴らしい指導者です。

もう、わがままな子供のようなイスラエル民族を
連れて(笑い)、人生を懸けて荒野路程を勝利し、
カナンの直前まで行った指導者です。

だから、それだけ見たら、「ああ、
モーセは本当に有能な、すごい人物だな」
と思うかもしれませんが、じっくり見たら、
モーセはもう短気で、弱虫で、本当に弱い人間でした。

神様と初対面のときも逃げ、断食して十個のルール
(十戒が刻まれた石板)をもらったときも、
自分の怒りを抑え切れなくて、それを割って、
また断食して……。

最後、カナンの直前でイスラエル民族たちが
また「あ〜、水ちょうだい」と騒いでいたら、
モーセは磐石を2回叩きましたね。

それが、イエス様にサタンが侵入できる条件になりました。

そのように見れば、実はモーセのせいで、
摂理が相当遅れましたよ。

それでも、なぜモーセがいまだに中心人物として
責任を果たした人物だと見られるかを考えたときに、
有能だからではなくて、最後まで神様を信じて
み旨を歩んだからこそ、失敗をしながらも、
中心人物として責任を果たしたと見られることに気づきました。

そのとき、他の中心人物たちも同じように見えました。

アブラハムも、本当に難しい祭物二つを捧げて、
最後の一つを残して休んでしまって、
摂理をまた遅らせて。

ノアも、言ってみれば、120年間、箱舟を
つくっただけですね。(笑い)
それは、才能がいらないですよ。

誰でもできますよ、本当に。
考えてくださいよ。
意志があれば、できることです。

でも、それに気づいた瞬間、
沼から強制的に出された気持ちでした。

そのような中心人物たちも、責任を持った瞬間に、
「自分は不足ですが、最後まで頑張っていきます」と、
神様の前に誓っていくのに。

私も本当に不足な身だけれど、行かなければならないと。
もう言い訳ができなくなった気持ちでした。

真に愛そうと努力すれば父母様の志がつながれる

私は、孫だからこの道を歩んでいるわけではないです。

私たちが献金をして、活動して、伝道する
理由が何かを忘れてはいけません。

教会の復興(のため)ではないのです。
それらは、地上天国を果たすための
仕組みにすぎないのです。

私たちが、生活の中で、日々の中で、
真の父母様から学んだその心をもって、
本当に真に周りを愛そうと努力し、
本当に真に人生を生きようと努力すれば、
私たちの中で真の父母様が生きて、
意志がつながれていくのです。

それが本当に難しいことは、私も分かりますよ。
私にも愛しづらい人がいます。

でも、真の父母様だから、自分のいちばん
憎んでいる人を愛せるわけではないのです。
真の父母様も、そのための努力が必要だったのです。

だから、もう言い訳はつくらないでください。
私たちにもできるのです、真の父母様ができたことが。

本当にお願いします。
私たちは兄弟姉妹です。
愛しづらい兄弟姉妹も、当然います。

でも、けんかしながらも、兄弟として
お互いを愛し、教会の人だけではなく、
世界の全てを愛する、そういう人になれば大丈夫です。

ただ、自分の生活圏の中で、真の父母様に
触れた人生はどういう人生だと、証明すればいいのです。

一緒に努力していきましょうよ。
(アージュ! 拍手)

2024年1月21日孝成家庭教会
(『SEIWAマガジン』2024年3月号より)
 全文は、『世界家庭』2024年3月号

https://www.kogensha.jp/news_web/detail.php?id=27500
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=24187
文信出様のメッセージ
全ての人を愛する人に
再編集 文責:ten1ko2


苦難の中を、み言を通して、直接、ご自身の意思で、
乗り越えていかれた信出様。

編集された文章には表されていませんが、
実際のスピーチでは、相当激しく、語られています。
そういうところは孝進様の生き写しだと感じるほどです。

お母様が相応しい評価を受けるようになるには、
私たち自身も、もっと見せられるだけのものを持って
ただただ、お母様と一つとなり、いきたいと思います。

そして、最前線で宣教活動をしている
信出様、また信興様の勝利を
祈っていきたいと思います。


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全ての責任は私自身に帰属するものであります。 

posted by ten1ko2 at 11:06 | Comment(1) | TrackBack(0) | ご子女様・真のご家庭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
モーセはこの地上の誰にも優って謙遜であった人でした。
ノアはたった一人の義人で山の上に船を作るという事を馬鹿にされても笑われても成し遂げた人でした。
アブラハムはたった一人の息子を神の命令で犠牲に捧げようとした人でした。

常人には出来ることではありません。私の憧れでありヒーローです。
Posted by LEVI at 2025年01月04日 12:15
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