2025年01月07日

判決文から「虚偽」の項目削除させる *やはり無実だった!取り調べ検事の告白 《金元弼先生》



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公判があったとされる裁判所(日本統治時代の平壌覆審法院)


金元弼(ウォンピル)先生のみ言。
今回は、「裁判で五年の実刑下る」です。

話はまた公判の日、1948年4月7日に戻ります。


私は教会生活の中で、先生は静かな方とだけ考えていました。
けれども、先生の威厳のある様子を見た時に、
先生の違った世界を見始めました。

本当に闘う時が来たと感じました。
先生が考えておられる様子は、これから闘う時が来る
というふうに構えているような、あるものを感じました。

裁判の全貌が新聞紙上に発表され、
多くの既成教会の人たちが裁判所に集まってきました。
彼らは、イエスは頭に何をかぶっていたかと嘲笑し、
先生を殺さなければならないと叫びました。

先生は多くの教会指導者たちや共産党員たちが大勢傍聴する中で、
四月七日に公判の席に出られ、大きく背伸びをし、
余裕をもって堂々と裁判を受けておられました。
その姿に、教会で見ることのできなかった面を見て、
深く考えさせられるところがありました。

 
最初に先生の裁判が始まり、
彼らが第一に先生に質問したことは、
「お前、何を専攻したのか」ということです。
それから名前など全部聞くのです。

先生は、「電気工学を専攻した」と答えました。
それで彼らは、「それでは、電気は
どのようにしてつくるのか」と質問しました。

先生は、電気がどのようにしてできるのか
電気発生の原理を説明していきました。
彼らはその点をねらったのです。

なぜならば、電気は見えないものであり、
人間がつくるものです。
それで、人間が見えない電気をつくるというならば、
神は見えないのだから人間がつくったものだというのでした。

見えない電気を人間がつくるごとく、
人間は神をあるようにつくり上げたのだというのです。

 
そのようにして、先生に対する
いろいろな問題を取り上げていったのです。
そして先生に対する判決文を読み上げました。

そこには、先生がたくさんの無知な人たちを
甘い言葉で誘惑して、虚偽を捏造し、
たくさんの金品を搾取したとか、
キリスト教の信者たちの家庭破壊や
社会の破壊をしたということが記され、
さらに社会の秩序を乱したという名目で判決したのです。

判事は判決文を全部読んでから、
「これに関して改める言葉はないか」
と先生に聞きました。

先生は、判決文の中で、社会秩序を乱したとか
金品を取ったとかいうことにはひと言も触れないで、
北韓で虚偽をしたという名目に対しては、
「判決文から取り除きなさい」と願い立てました。

共産主義の社会でそういう話をすれば、
かえって罪が重くなるということを考えますから、
普通の人は「どうかあなたの言うとおりに
服従しますから、何とか罪を軽くしてください」
という思いをもって、黙っています。

しかし、先生はそういうことは問題にしないで、
正しいことは正しいとしたのです。

「要請を受け入れる」と判事は答えました。

 
こうして先生は五年の実刑を受けました。
他の人たちは手錠をかけられて泣いていました。

先生は大変ひもじいはずですから、メンバーの一人
(玉世賢先生)が先生にお弁当をつくって差し上げました。

私たちは、これから五年間は先生との時間をもてなくなり、
別れていなければならない立場に立ちました。
それはちょうど親から離れる子供のような心情でした。

先生は他の同僚と同じく、片方の手には手錠がかけられ、
片方には食べ残したお弁当を下げていました。

私たちといよいよ別れるとなると、
弁当をお持ちの手を高く挙げて、「私は今は行くが、
再び帰ってくる時まで元気で頑張っていなさい」
と暗示をしてくださりながら、
笑顔で私たちを送ってくださいました。

先生には一つの啓示があって、牢屋には先生を迎えるために、
若い青年が待っているということを御存じでした。

それで牢屋に入られる時にも、その人に会える
という喜びと希望を抱いて出発したのでした。


裁判を終えて、先生は既決囚たちの待合室で待っていたのですが、
そのところに、たまたま先生を調査した検事が
何かの用事があって通りかかりました。

その時に、彼は長い月日の間先生を取り調べていましたから、
先生の顔は一見して分かるはずですが、
良心の呵責があったので、
知らぬふりをして通り過ぎようとしました。

先生は彼を呼び止めて、
「私が分からないでしょうか」と聞かれたのです。
すると彼は、「そうでしたね」と答えました。

そして先生に本当に申し訳ない顔をして、
「実はあなたについて何もなかったのですが、
上の方から命令がありましたので、
私は致し方なくてこうなりました。
人間的なことは全部水に流して、
私をお許しください」と先生にお話ししました。


そして彼は出て行ったのですけれども、
先生が牢屋の中へ戻られますと、
彼からたくさんの食べ物が贈られていました。

先生はその食べ物を見て、食べるべきか
そうすべきでないかと思って、長いこと費やされたというのです。

というのは、彼が薬を中に入れているのではないか
と考えたからです。

先生の性格として、もし先生がその人であったら、
体面を考えて差し入れなどはできないというのです。
その体面を乗り越えて、先生に差し入れをした
という心を非常に重くみたのです。

先生ができないようなことを彼はしたのです。
そういうことで、先生は中の人たちと分けて食べられたのです。

先生は、一言二言に対してこまかくお考えになる
ということがお分かりになると思います。


判事の言行から見ても、
先生は何の罪もなくて五年の刑を受けたのです。

刑務所では、名前が呼ばれるのではなく、
代わりに番号で呼ばれます。
先生の番号は五九六番でした。

これを韓国の発音で読みますと、オ・グ・リュク
となりますが、オグルハダと発音が似ています。
先生は罪なくして入られました。
それに対して番号自体もオグルハダ(くやしい、濡れ衣を着せられるの意)
となって五九六になったのです。

I 平壌開拓から興南解放
第三章 興南監獄での伝道
「裁判で五年の実刑下る」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題


裁判後、お父様を取り調べをした検事は、
自分の本心を吐露しました。

人は思想の影響によって、
自分は正しく、この人は悪いとなれば、
良心が塞がれてしまうのか、徹底的に
痛めつけても、良心の呵責も感じないようです。

しかし、この検事は、ずっとお父様と接しただけに
感じるところがあったのでしょう。
上からの指示とのはざまで苦しんでいたようです。

真のお父様は、蕩減の道を行かねばならない、
そのことを悟られて覚悟をされておられたのかもしれません。

しかし、何も悪いところがない無実の立場でしたから
裁判の苦難の道でも、人類の救世主として
堂々としておられたのだと思います。

神様を心配させまいとされる、
お父様の強い信念と決意を感じます。


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posted by ten1ko2 at 12:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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