2025年01月30日

監獄にて 神様に命じられて、アメリカを掃除している?! 《ダンベリー精神 》



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「ダンベリー精神」より、
お父様がダンベリーで
どんな生活をしておられたのか、
今回は、朴普熙先生の証言です。


◆朴普熙氏(36家庭)の証言
実生活と日常の行動がそのまま伝道であった


1984年7月20日に収監された文鮮明(ムン・ソンミョン)先生は、
翌85年8月19日深夜に自由の身になられた。
正確には396日間であり、ちょうど13カ月の獄苦を受けたことになる。

実刑宣告は18カ月であった。
では、どうして13カ月で出監されたのか?

文先生はここでも万事において模範になられた。
収容所の中で最高齢の64歳の身でありながら、
この世の荒波にもまれて入獄してきた
若い囚人たちの模範となったのである。

そして模範囚の公認を受け、法規の定めによって、
刑期が3分の1短縮される特権を得られたのである。

 
文先生は言われた。

「私は北朝鮮の地上の地獄のような監獄でも
模範賞状を受けた。
アメリカの刑務所は北朝鮮の獄苦に比べれば楽園である。
私がここで模範にならなければ、話にもならない」



囚人たちはまず、この謙虚な文先生の人柄に驚いた。

地上を騒がす大物中の大物が入って来たので、
どんな人物か見てみようと思っていた彼らは、
その人格に接してすぐに全員が兜を脱いだ。

刑務所では伝道や説教はできない決まりになっていた。
けれども、その必要はなかった。
実生活と日常の行動がそのまま伝道なのである。

囚人たちは、先生に割り当てられた労働を、
自ら志願して「自分たちがやります」と申し出たが、
先生はそれを絶対に許されなかった。
与えられた仕事は必ず自身でされた。
 
その仕事は、食事を準備する仕事であり、
食事の後に皿洗いをする仕事であり、
台所と食堂を掃除する仕事である。
そしてまた、便所を掃除する仕事である。

これらすべての責任分担を
一度もしかめっ面をすることもなく、
完璧にやり遂げられた。

「今この仕事をすることを私は神様に感謝している。
私がご飯を作って囚人たちに食べさせるとき、
私は神の子女たちを食べさせていると考え、
私が汚い便所や台所を掃除するとき、
私はこのアメリカを拭っていると考える。

ああ、感謝だ。
天は私に命じて私の民を食べさせ、
私の家とこのアメリカを掃除させておられるのだ」

 

▲お父様が使われた二段ベッドとキャビネット

夜は大抵、12時に就寝される。
早朝3時には起床して、
ベッドで背中を海老のように曲げ、
顔をベッドにつけて祈祷に没頭される。

そして5時になると台所へ出て、
囚人たちの朝食の準備をされた。

あるとき、刑務所の専属牧師であるグラハム牧師が、
「主日(日曜日)にはあなたの教会でも
礼拝を行うでしょうから、その時は
私の牧師事務室と祈祷室を使用してください。
どの時間がよろしいでしょうか?」と言ってきた。

そこで先生はすぐに、
「午前3時はいかがでしょうか?」と言われた。

グラハム牧師が驚いて、
「そんな時間に何をされるのですか?」と尋ねると、

「はい、われわれは午前3時に祈祷します。
そして5時に礼拝をします。
その時間には、アメリカでは祈祷する人が多くないので、
神様は私の祈祷を必ず聞いてくださるのではないでしょうか?」

先生はそう言って、微笑まれた。

グラハム牧師はいたく感心し、
「本物の宗教指導者を見た」といった面持ちで、
「もちろんですとも。
思いのままにお使いください」と答えた。

  
それ以来、先生は、日曜日になるとチャペル事務室に行かれた。
そこでもやはり床にひざまずいて、
海老のように背中を曲げた姿勢で祈祷された。

そして5時には敬礼式をされた。

いくらもしないうちに、この習慣を
他の囚人たちが知るようになった。
彼らは自分たちも敬礼式に参席していいかと尋ねた。

そして、彼らは代わる代わる参加し、
見よう見まねで先生と一緒に敬礼をして、
先生の涙の祈祷を聞くことを何よりの栄光と感じた。

このようにして、獄中の統一教会は
形成されたのである。

  
面会時間になると、ご家族や教会の幹部たちが
看守の机の所に行って身分証明書を出し、
先生の名前を告げる。

すぐに拡声器で、
「レバレンド・ムーン、面会があります」
と放送がある。

先生が面会室に来られると、面会室の人々は
事前協議でもしたかのように粛然となって敬意を表す。

他の面会者たちもしばらく会話を止めて、
先生のほうを見つめる。見守っている看守は、
ある時は起立までしながら、
監視者の立場ではなく保護者の立場に立つ。

先生は家族が立っている所へ来て、
令夫人と子女様がたを抱き締められ、
幹部たちとも握手され、上座に座られる。

こうして、その日の公務が始まるのである。

(朴普熙著『証言(下巻)』より)

再編集 文責:ten1ko2


『実生活と日常の行動がそのまま伝道なのである』
お父様が歩まれた道、本当に素晴らしいです。

私たちが本当に実践しないといけないと感じます。
私たちは、真の父母様の実子であるとするなら、
父母様の道を相続しなけば、子女と呼ばれる資格はありません。

真の父母を証しする歩みをしていきたいです。


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この記事へのコメント
歴史上最も苦労された男性は文鮮明だ。
文鮮明は自分の為に苦労したのではなく、人類の為に苦労された。そして一度も失敗する事なくやり切ったのだ。
お母様が聖和式でお疲れ様でしたと言われた言葉が胸に刺さる。

そして歴史上最も苦労された女性は韓鶴子だ。
Posted by 台湾ラーメン at 2025年01月31日 12:36
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