2025年03月20日

米学生が受けた啓示、Dr.神明は誰よりクリスチャン的?! 《UTS時代の神体験》



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統一神学校(UTS)の元総長、
神明(しんみょう)先生の信仰エッセーより、
『キリスト教神学を教える資格』です。

文鮮明先生より直接、UTSに行くように
指示を受けた神明先生。

大学側の無理解を越え、
なんとかUTSの助教授となったのですが──

第一章 愛して、仕えて、一体化
2 日本人はキリスト教神学を教える資格がないと言われて

いろいろな障害を通過して、1985年1月初めに始まる冬学期から、
私はやっとのことUTS(米国統一神学大学院)で
教鞭(きょうべん)を執るようになりました。

その直後の4月初頭から始まる春学期には、
いよいよ「キリスト教神学序説」なる必須科目を
教えることになりました。

ところが、そこに待っていたのは、
一部の学生からの日本人に対する偏見でした。

当時のUTSは、ほとんどの学生が米国人食口(シック)でした。
そこで、第2次世界大戦でサタン側のエバ国家であった、
雑教・多神教の日本出身の、
どこの馬の骨とも分からないような私が
キリスト教神学の講義を壇上からするわけですから、
そこに抵抗する学生も中にはいたのです。


その中に、私の講義を1、2回聴いた後、
嫌になって、必須科目なのに
“二度と教室には戻るまい”と決意した
1人の白人の女子学生がいました。

彼女は悔し涙を流しながらチャペルに走り込み、
必死で次のように祈ったといいます。

「神様、どうしてあの日本人が、私たち米国人に
キリスト教神学を教えなければならないのですか」

するとそのとき、霊界から
声が聞こえてきたそうなのです。

「心配するな。あの日本人の男は、
このUTSの中で誰よりもクリスチャン的な人間だからね」

それで彼女は、霊界からの声がそう言うのならば、
それが本当かどうかを確かめるために、
半信半疑ながらも一応教室に戻ることにしたのです。

そして、学期の最後まで私の講義を聴き、
やはり霊界からの声は正しいと感じたというのです。

これは、その学期が終わってから、
実はこういうことがあったと
彼女のほうから告白してきたので知ったことです。

 
私が当時、UTSの中で誰よりもクリスチャン的で
あったかどうかは分かりませんが、
もし「クリスチャン的」という意味が、
たとえ神様から捨てられても神様を捨てずに感謝して、
勇気を持ってみ旨を愛し抜く、ということであるならば、
それが少しは分かるような気がします。

当時私は、あまりにも忍耐せざるをえない道を
通過させられ、それでも感謝し、そこにかえって
神様の大きな愛の力を感じるようになっていました。

それで、善人を見ると涙し、
悪人を見ると愛ゆえに恋しくて、
さらにもっと泣いていたのです。

 
私が高校1年のときに、国際ギデオン協会が
福島県会津地方の田舎にある私の高校にやってきて、
新約聖書を無料配布してくれました。

私はそのときの新約聖書を肌身離さず持ち歩き、
いつも読んでいました。

そして福音書のイエス様の言行にひそかに感動していました。
でも洗礼は受けていないので、
クリスチャンではありませんでした。

実家は仏教、神道、儒教が雑居する、
それこそ雑教・多神教です
(ただ、先祖の中に処刑されて殉教した
キリシタンがいると聞いたことがあります)。

このような不足な日本人である私ですが、
イエス様の苦難の土台の上に、
真の父母様が生身でもってさらに苦労して、
本当の一神教を紹介してくださいました。

その一片にでも触れさせていただいたことに、
感謝いたします。

スマホで立ち読み 第15弾!
『生きた神様が働くとき』4
キリスト教神学を教える資格
https://www.kogensha.jp/news_web/detail.php?id=14813
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


国際ギデオン協会の新約聖書は、
妻も配布を受けて愛読していたとのこと。
雑教の日本人の啓蒙のための摂理だったのかもしれません。

キリスト教を知らない日本人と、欧米人との溝は、
日本にいたままでは考えてもみませんが、
証しを読みながら、信仰を持つ人だからこそ、
「プライド」や「こだわり」、「偏見」というものが
あるんだな、そのように思いました。

統一原理、という新しい真理が出現しましたが、
教会の草創期は特に
自分の信仰が一番である、という思いを持つ人は、
み言の本質を理解しようとはしなかったといいます。

これまで多くの人は、家庭連合(統一教会)の
うわさだけを鵜吞みにして、
偏見だけで近づきませんでしたし、
信仰をもつ人も、別の意味の偏見で
受け入れがたいことがあったのでしょう。

しかし、今現れている義人たちは、
心で、魂でみ言をとらえて、
お母様を、み言を受け入れています。
素晴らしいことです。

キリスト教の信仰の土台がない日本人が、
なんで、キリスト教を教えるのか、
そのような偏見に、精誠を持って対し、
見事に長子権復帰をされた神明先生の姿。

父母様の生き方に通じるものであり、
私たちにも大きく示唆を与えてくれました。
あらためて、ありがとうございます。




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posted by ten1ko2 at 10:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | Dr.神明・UTS時代の神体験 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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