2025年03月22日

誰かの犠牲の上に今の私がある! 敵を赦すことができた理由 《金元弼先生のベストアンサー》



250322.jpg


金元弼(ウォンピル)先生のみ言、
「犠牲の上にある今の私」です。

真のお父様(文鮮明先生)は、
自分を迫害し拷問した人たち、
敵のような立場の人たちも赦しながら
私たちに行くべき道を示してくださいました。

 
皆さん、(文鮮明)先生のことを考えてみましょう。

韓国の元老の(キリスト教)牧師さんたちが、
先生を訪れました。

その時、先生は彼らに、
「実を言えば、あなたと私は敵です。
あなたは私に反対して、
韓国から追い出そうとしました」
とお話ししました。


ヤコブには十二人の息子がありましたが、
十一人の兄弟はヨセフを殺そうとして追い出しました。

ところが殺されようとしたヨセフが
総理大臣となってから、
彼らはヨセフの所へ来て謝りました。

ヨセフは、自分を殺したのと同じ立場の
その兄弟を許しました。
なぜ許すことができたのでしょうか。

それはヨセフが親に侍らなければいけないはずなのに、
彼がいない時に、兄たちが侍ってくれた
というところを見て許したのです。

 
ユダヤ教とかキリスト教が、先生に反対しました。
それと同じです。

しかし、先生はどのようにして
愛する心をもたれたのでしょうか。

統一教会をなくそう、滅ぼそうとし、
先生を追い出そうとしたことは、許されるものではないのですが、
六〇〇〇年の歴史を通じて、ユダヤ教とキリスト教が
神を支えてこなかったならば、どうなっていただろうか
と考えるときに、許すことができるというのです。


ですから自分を中心としないで、あくまでも
神を中心としてこそ、許しの心が出てくるのです。

ただ漠然と、「愛さなければいけない、
愛さなければいけない」というのでは駄目なのです。

「なぜ兄弟を愛さなければいけないのか」
「なぜ人々を愛していかなければいけないのか」、
そういう心をもたないと、許しの心をもつことはできないのです。

皆さんが、過去を振り返って
「私はたくさんのことを習い、悟りました」
と言えるようになるまでには、
それぐらいたくさんの人を傷つけたお陰だ
ということを忘れてはなりません。

もし、先生が私の代わりにチームを指導したならば、
あのようにしなかったはずなのに、
と考えるだろうと思います。
それはいいことです。

 
これをもっと分かりやすく、印象的にするために、
名医の話をしましょう。

ある人が医学大学を卒業しました。
彼はお医者さんになって患者を診るようになり、
学校で習ったとおりに人を診断し、治し始めました。

最初はよく分からないところがあって、
学校で習ったとおりにやりました。
ところがかえって効果がなく、患者は非常に苦しみました。

それでもう一つのことを試みましたけれども、また駄目でした。
そうこうしているうちに、患者は死んでしまいました。

このようにして彼は、いろいろな経験を積みました。
それから後は、人をよく診断して治すようになったのです。
それで彼は、名医と呼ばれるようになりました。

 
名医とは、たくさんの人を犠牲にしたということが前提になるのです。
お分かりですか。

名医になった人は、まず誰に感謝しなければいけないのでしょうか。
自分でしょうか、自分を教えた先生でしょうか。
もちろん、そうでしょう。

しかしそれよりも前に、自分のために犠牲になった
たくさんの人たちに、感謝の気持ちを返さなければいけません。
悟るとは、人を犠牲にしてできるものなのです。


夫婦の関係も同じです。
私が相手を愛するようになったということは、
相手をたくさん苦しめたお陰なのです。

愛さなければいけないと悟ったということは、
過去には愛せなかったということです。
愛せなかったということは、相手を苦しめたということです。

平壌開拓から興南解放
第三章 興南監獄での伝道
「犠牲の上にある今の私」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
再編集 文責:ten1ko2


とても深い話ですね。

お父様が反対し、迫害する人たちを
いかに愛していかれたのか、
その原点にある心情世界を感じました。

人と接するとき、立体的に、歴史的に、
その人を見つめていくことが重要だと思います。

真の父母様のように、
神様の観点にたつこと、
いつも焦点を定めていきたいです。


最後までお読みいただき ありがとうございました!
ポチッ!がまだの方はお願いしますm(__)m
ポチッは1日1回有効で、1週間の合計で
ランキングの順位が決まります。
ポチッとすると、現在の順位が出てきます ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ 当ブログ記事の転載、拡散は、歓迎いたしますが、
その際は、リンクを貼っていただくか
当ブログ名と記事URLを記載して頂くようにお願いいたします。
(このブログ記事に飛べるようにして紹介してください)

なお、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。

※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。 


posted by ten1ko2 at 11:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック